教会の歩みを記録し、正当化する必要に駆られたであろうルカは、その教会の根拠として最大のものである、イエスの生涯についても、その路線でまとめるべきだと考えたことでしょう。つまり、マルコの福音書をルカが知っていたのは、そこからの引用や構成といったことから間違いのない事実なのですが、どうやらルカは、マルコには相当に不満だったと思われるふしがあるのです。つまり徹底的にそれを改訂しようではないか、という心づもりが感じられるのです。もちろん、神の子イエスの生涯の記録です。その大筋を否定したり作りかえたりすることはできません。しかし、何もそんなふうに描かなくてもいいではないか、とマルコへの対抗意識が強く見られます。いわゆるQ資料と呼ばれる、仮想のルカ独自の、あるいはルカ並びにマタイが用いたであろう、マルコに由来しない別資料の存在も議論されるべき価値があると言えます。しかし、マルコがすべての資料を掲載したとも思えないので、他の資料はいくらでもあったことでしょう。また、マルコが執筆した後に判明した資料もあったでしょう。ですからそうした新しい記事があることについては、それもあるだろうと思いますが、問題点は、マルコから引用しながら、それを細々としたところで書き換えていることです。その書き換えに一定の意図がはっきりしているということで、ルカの心理をあぶり出すことができると思えるのです。
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