私たちは、ペトロやパウロの証しや説教から、多くのことを学ぶことができます。しかしまた、ルカ自身が、異邦人にも分かりやすい、人の罪とそこから救う十字架の救い、復活のドラマチックな事実といった展開をしていることについては、他の福音書や証言を併せて理解するとよいであろうとも思われます。旧約聖書の背景がなければこの救いが理解できず、また救いを受けることができない、というようなあり方だけは、どうしてもしたくなかったことでしょう。罪の赦しを強調するルカの筆致は、現代の日本における伝道においては分かりやすい基盤となるかもしれませんから、日本の教会説教では人気があります。使徒言行録もまた、たんに信徒教育というだけでなく、救いへの導きとしても力になるようです。また、福音書には美しく独特の譬えが備えられているところも魅力です。それを、ユダヤの背景から穿った解釈をすることもできますが、他方、素朴に人類普遍の知恵としても見ていくことは、当時基本的に期待されていたのではないでしょうか。私たちは、世界のすべての人が救われていく幻を思い浮かべるとするならば、ルカの福音書やこの使徒言行録は、まだまだ用いられて然るべき文書であるように思います。ギリシア語は美しいと言われることもありますが、たどたどしい使い方をしていないという意味のことであって、表現上説明が足りないところや、文意が曖昧になるところがあることは、仕方のないところでしょうか。航海についてのやたら詳しい叙述があると思えば、いやにあっさりと到着してしまったりと、語彙についても個性があるように見受けられます。しかし、この異邦人社会への福音の伝えられ方については、まだまだ検討する価値のあるものが潜んでいるようにも思われます。私たちは、この最後のパウロの伝道の、延長上に、たしかに生きているのです。(了)