実はこのルカという名前も、はっきりと著者が名のっていない以上、どこか仮のものに過ぎません。著者の名をルカというのだ、という証言は、書かれてから百年を待たなければ私たちには見つかっていないのです。しかし、それを疑う資料もありません。パウロはフィレモン書の中で、ルカという人物に触れています。ただ、パウロの弟子としてではなく、同労者としてです。コロサイ書ではルカは医者であったという記述がありますが、コロサイ書そのものはパウロの手によるものであることは疑わしいものですから、信憑性はありません。医者であるとないとも言い難いのです。しかし、使徒言行録の書きぶりからして、パウロと行動を共にしたことがあるのは確実で、パウロの活動を全面的に支援していることは間違いないでしょう。ルカはこの伝道の根拠を記すことに情熱を燃やしました。ローマ当局あるいはその関係者に、この宗教活動がいかがわしいものでないことを説明する必要があったのかもしれません。あるいは、ルカの福音書の様々な描写からほぼ明らかであると言えるのですが、当時はすでにエルサレム神殿が破壊され、ユダヤ人がそこから追放されていましたから、ユダヤ教に迫害されつつあったキリスト教サイドから、ローマに対して、これはユダヤ教とは違うのだということを証拠立てる必要も覚えた可能性もあります。この視点は重要です。時に、ローマのご機嫌を窺うように、ローマの関係者に配慮を払った叙述であるようにも思われるからです。また、福音書のジャンルに入れられる割には、そこに「福音」という言葉が避けられている傾向が見られます。パウロの言葉として重要な「福音」を使わないというのは、一定の意図があると思われます。政治的に、まずかったのでしょう。