エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

ハート

2012-07-20 | ルカによる福音書
 先の続きであるのか、改めてということであるのか、新共同訳は続けていますが、ギリシア語編集のほうでは分かれてもいます。「そして」などの関連は特に見られません。「自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない」(ルカ12:33)は、明確にマタイに並行個所があります。しかし表現の差異は明らかで、マタイと同じ資料を見たのかどうかは怪しまれます。空しい世の財については、神が与えてくださるのだから、自分の財産は売り払い施しに用いよと言います。教会での共産体制の一つのスローガンであったのかもしれません。マタイにはない「財布」がルカでは登場します。「富」というよりは、集められてきたものという響きのある語でもあるので「宝」として捉えておくことにします。天にこの宝を積むわけですが、天ならば盗人も来ないし、シミに侵されることもないといいます。「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ」(ルカ12:34)と、宝あるところに心もあり、と神を第一としたかどうかがそこに現れてくるような言い方を感じます。ここの「心」はまさに「ハート」と呼ぶに相応しい語です。曖昧な語なので様々な意味に用いられますが、大きくその人の人格全体を表現するようなものとして使われます。私たちもまた「ハート」として、思いや行動、意志など広い扱いをこの語に求めます。宝が天にあるとすれば、あなたがたのハートはまさに神と結びついているのだということなのでしょう。自分のものとして自分でどうにでもなるものとして財産を見てほくそ笑んでいた金持ちは思慮が足りませんでした。神が見えていなかったのでした。神が第一であるならば、つまりハートが神の国にあるならば、神は必要なものをすべてご存じであるということになります。こうしてこの最後の教会的勧めは、大きくここまでの、地上の富にまつわる内容を締めくくるに相応しいとルカが考えたのではないでしょうか。
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