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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

大水の上に響き続ける声

2025-07-22 | メッセージ
詩編29:1-11 
 
大水というモチーフがあります。乾燥するイメージは、乾季の存在からくるのでしょうか。まとまった雨の降る雨季になると、乾燥した土地に水がしみこまず、そのまま洪水のようになって強い流れになる、と聞いたことがあります。雨量がさほど多くなくても、恐ろしいことになります。でも主は、地のこうした水よりも遥か上におられます。
 
人の世の大水を超えて、主は王として座しています。このシチュエーションで、この詩が全編にわたり響かせているのは、主の「声」です。「声」そのものは、文字では伝わりません。たとえ耳で聞くにしても、その声そのものを他の人に伝えることはできないのです。今でこそ録音機器やウェブ環境でできても、聖書の時代には無理なことです。
 
それでなのか、「声」そのものについての考察は、そう多くありません。クリスチャンのある声の研究家が、イエスが福音書に記されたような話を、どのような声効果で話していたのか、考察したものがありました。サウロの回心のときに響いた、雷のような音が、当人にとってはイエスからの語りかけだった、ということも思い起こします。
 
ダビデはここで、主の「音」とは言わずに「声」だと表現しました。大水の上に、主の声はあります。力と輝きを以て主の声は届きます。杉の木を砕き土地を踊らせる声です。炎をひらめかせ荒野をもだえさせる声です。森を裸にすらすると言います。この主の声に対して、人はどう応えましょう。「主の宮では、すべてのものが/「栄光あれ」と言う。」
 
人は神に「栄光」の言葉を以て返すしかありません。それはどのような声でしょう。水の上に響き続けるその声を、今私たちは聞いているはずです。それは外から聞こえます。どのような声であるかは分かりません。轟くような声なのか、「かすかにささやく声」(列王記上19:12)なのか。その声が力を与え、祝福してくださるように、と詩人は祈ります。




主の声は大水の上にあり
栄光の神は雷鳴をとどろかせる。
主は荒ぶる大水の上におられる。(詩編29:3)

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