犬神スケキヨ~さざれ石

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太平洋の親日国家

2015-02-18 21:58:20 | 草莽崛起
日本から真南に3200km。
フィリピンとニューギニアの中間に位置する
大小200の島々からなる独立国。
それが…パラオ共和国です。
今般パラオに今上天皇陛下皇后陛下が歴訪されます。少し勉強してみましょう。

パラオ共和国

人口は2万人あまり、生活は主に漁業と観光で世界でも有数の美しいサンゴ礁はダイバー達を魅了し、大切な観光資源でもあります。

1994年に世界で190番目の独立国となりました。国旗は"月章旗"。
日本の日章旗に因んだデザインです。

青は海を表し黄色は月を表します。

日本、バングラデシュ、パラオの国旗は世界では日の丸三兄弟と言われています。

1947年から国連の太平洋信託統治領としてアメリカの統治下にありました。
しかし、1978年の国民投票によって自立の道を選びました。
そして1981年ハルオ・レメリック氏が初代大統領に選出され自治政府を発足させました。
後にアメリカとの自由連合盟約を模索し、1994年にようやくパラオ共和国が誕生したのです。
自由連合盟約とはアメリカが軍事施設と運営の権利を保有して、安全保障上の全権と保障を負うと言うものです。

日本とパラオ

独立までの道のりは決して安易なものではありませんでした。
しかしその基礎は日本統治時代の近代化でした。

かつてはスペイン領だったパラオ、しかし19世紀末にドイツに売却されました。
第一次世界大戦後から30年間、日本の委任統治が行われました。
大正11年パラオに南洋庁を設け行政機関としました。

日本からは大量の移民が押し寄せ、その人口は現地民の4倍にもなりました。
移民した邦人は漁業、燐鉱石採掘、鰹節や米の裁判で生計を立てました。

また統治下のパラオも台湾や朝鮮の様にインフラ整備をし、教育制度や医療施設の整備も行われ生活水準向上を推し進めました。
当時のロンドンタイムズ紙記者が「南洋の人々は世界の列強植民地の中で最も丁寧に行政されている」と報じる程でした。

今も遺る日本

こんなに離れたパラオ共和国ですが、日本のNHKがリアルタイムで見れます。
これはパラオが日本のほぼ真南にある為に時差がないからです。

そしてパラオで使われている言葉は実に面白いのです。パラオの年配者の方々は日本語を話せる人が多いのです。
統治時代に持ち込まれた日本語がそのままパラオの言葉になっています。
「デンワ」や「デンキ」や「センキョ」更にアブラはガソリンのことです。
統治時代に持ち込まれた言葉はそのまま日本語と同じ意味なのです。
因みにブラジャーはチチバンド、下着はサルマタ。実に面白いですね。

また地元の方々の名前にもスギヤマとかアオキ、ジローにタローに今でも日本名を付ける人々がいます。

更にはベントーまであり、これが唐揚がオカズに梅干しを乗せた日の丸おにぎりそしてたくあんで黄色の日の丸おにぎり。
親日感がハンパない!

そして驚くべきことにこのパラオには神社があります。「南洋神社」と言います。
ここにはナント!日本とパラオの祖先、大東亜戦争の戦死者が合祀されているのです。

ペリリュー

天皇陛下の島、ペリリュー島。
フィリピン奪還を目論むアメリカはこのパラオを手中に収めねば奪還は困難になる。
1944年9月15日アメリカ第一海兵師団は猛烈な艦砲射撃と空爆の援護を受けペリリュー島に上陸しました。

当初3日で落とせると見ていたアメリカでしたがアメリカ海兵隊が今まで経験したことがない日本軍の猛烈な反撃でした。

日本軍はそれまでの戦法を棄て、あらかじめ山をくり抜き構築した複郭陣地と呼ばれるトンネルで徹底的な持久戦に持ち込みました。
その結果アメリカ軍は多大な損害を出しました。

天皇陛下は、毎朝「ペリリュー島は大丈夫か?」と聞かれ、守備隊になんと11回も御嘉賞を下賜されました。
その為、天皇の島と呼ばれました。

日本の貢献

日本からパラオ共和国への支援はインフラ整備などODAによる物が主になります。
しかし、民間からも支援があります。
観光が経済の貴重な柱でもあるパラオでパシフィックリゾートと言う自然保護と開発の両立を無しとげた日本人がいました。
これが今日のパラオ観光のお手本になっています。

しかし、支那はこのパラオに目を付け触手を伸ばし初めています。

また日本パラオ友好の橋と言う橋があります。
これは日本の無償支援で作られ、現在パラオの象徴にもなっています。
ここには以前別の橋が架かっていました。
韓国企業が作った橋が架かっていました。
しかし、1996年9月に突然崩落しました。
さすがアホの韓国企業!

またアホの韓国はパラオにシレっと知らぬ間に訳のわからない"抗日記念碑"なるもを建ててしまいました。
地元の人達を騙し建てました。
天皇陛下が行幸されるのにどうしたものか?とパラオではその扱いに困惑しています。

パラオ共和国は「日本が国連常任理事国になるなら間違いなく推薦する!」と明言してくれています。

日本人にとって友人であるはずのパラオ共和国を我々はあまり知りません。
今回の天皇陛下行幸に合わせ知る機会として熱い友情をパラオと結びましょう。

日本人の心と…

2015-02-17 20:52:58 | 草莽崛起
皆さん本日も雑談です。
ボソボソと話していきます。

今般の支那朝鮮の反日を目にするに又も嫌気がさしてきます。
朗報と言えば日韓通貨スワップの終了ですね。
日本の国益には全くならない通貨スワップがやっと終了で、これから韓国は下り坂を転がり落ちます。

支那はもう全くバブル崩壊!
さらに共産党上層部の一部特権的な立場の人間は外貨準備高を上回る不正蓄財を海外に移転させて、いつでも逃げ出す準備OK。
こちらも下り坂を転がり落ち始めましたね。

日本にとってはむしろウェルカムです

日本の心

最近の調査で先の二国以外のアジア諸国からは一番信頼でき、先進的な国ランク1位になった日本!最高ですね!

これは何よりも日本の伝統や文化、日本人の気質性質がアジア諸国によく理解されているのかもしれませんね。
そうであれば嬉しいですね。

エルトゥールル

1890年、エルトゥールル号に乗って使節団が来日した話しは皆さん御存知ですね?

明治天皇に拝謁した後、帰国の途に就いたのですが和歌山県串本沖で座礁しました。
581名が死亡しました。
しかし、串本町大島(現大地町)の住人による救助、看護で69名が救出されました。
その後日本海軍の巡洋艦でトルコまで丁重に送り届けられました。


エルトゥールル号

エルトゥールル号遭難は和歌山県知事に伝えられ、そして明治天皇に言上されました。
明治天皇は直ちに医師看護師の派遣をされました。

また大島住人も遭難現場を確認し大騒ぎとなり生存者の救助に向かいました。
この時、台風により出漁出来ずに食糧の蓄えも僅かしかありませんでした。
しかし住人は浴衣などの衣類や卵にサツマイモや非常用のニワトリを遭難したトルコ人乗員に与え献身的な救護を行いました。

このエルトゥールル号の話しはトルコでは小学校で習います。
我々日本人は知りませんでした。

しかしこの事件からおよそ100年後の1985年、イランイラク戦争の中イラクフセイン大統領が突然48時間の猶予期間以降に上空を飛ぶ航空機を無差別に攻撃すると宣言。
在留外国人が脱出するなか在留邦人は脱出できずにいました。
邦人救出に政府は自衛隊派遣を実質できず、日航にチャーター便の派遣を依頼しましたが組合からの反対により拒否されました。

トルコのオルザイ首相(当時)は親友である伊藤忠商事森永氏の依頼を受け特別便を飛ばす事を決断。
直ぐさまトルコ航空でミーティングが開かれました。特別機への志願者を募ったところ
その場にいたパイロット全員が志願しました。
かくして邦人は脱出できました。
トルコからの恩返しだったのです。

トルコの方々はエルトゥールル号の恩を忘れず学校で子供達に伝えいつか恩返しをする日があると考えてくれていました。

恩返しの恩返し

エルトゥールル号の恩を忘れず、更に大変な親日国であるトルコ。
そんなトルコを大地震が襲います。

1999年、死者16000人と言う大災害が発生。
この時、先のトルコ航空で脱出した日本人達が今度は我々が恩返しだ!と義援金を集めてトルコに贈りました。
また、救援隊も派遣されトルコで活躍しました。

その後、東日本大震災ではトルコからの義援金に救援隊でまたまた日本も助けられました。

それは心です

何故100年を超えてトルコは日本に恩返しをしてくれたのでしょうか?

自分はただの人助けの美談なのか?と考えました。そして辿り着いた答えは"心"でした。

それは日本が、日本人が持つ「他者の為に生きる」という心が伝わったのだと考えました。
他者の為にこそ命を使う、その心のままにエルトゥールル号の遭難者に接し、自分達の貴重な食べ物すら与え献身的な看護をする。
何も考えてなんかいないでしょう。
そうすることこそが日本人の当たり前の心だからです。
その真っ直ぐな日本人の気質がトルコの方々に通じたのでしょう。

そう考えますと他のアジア諸国の親日ぶりも理解できます。
我が身、我が命など顧みずにアジア諸国の独立に貢献した日本人達。
他者の為にこそ命を燃やすその精神。
それこそがエルトゥールル号の真実ではないでしょうか。

決して憲法9条などを評価された訳でもなく、戦後見せかけの平和を諸国は見ている訳ではないのです。

心はありません

そう見ますとこの国の憲法には心がありません。戦後アメ公様から英語で書かれた憲法をどうにか日本語に翻訳して使い続けて来た憲法。

アメ公様から頂いた条文です。
アメ公が考えた条文なのですから、先に述べた様な「日本人の心」はありません。

本物の日本人の血が通った条文ではないので、あのパクリ国家韓国すらパクリません。
何でも日本の物ならパクリまくる韓国ですらパクらない憲法。
そこに本当の日本人の心がないからです。

更にこの日本人の心が全く通じないのが支那人に朝鮮人なのです。

世界はむしろこの日本人の心が通じているので親日なのではないのでしょうか。

そして改憲

そもそもハーグ条約違反である現憲法。
全て否定し破棄!という意見もありますが…
結論からは反対です。

憲法の下に法律がありますが、現憲法を否定破棄すればそれ迄の法律をも否定してしまいます。
例えば犯罪を犯し死刑になった人、懲役に就く者。裁判其の物。つまり今までの法的な判断が全て間違いだとなってしまいます。

これを避けるには改憲を繰り返しながらやがて独立した日本の、日本人の心が反映された憲法にして行くしかありません。

壁は高く厚い

さて先の施政方針演説で安倍首相は憲法改正を明言しました。
しかし、この壁は高く厚いのです。
戦後の刷り込みは徹底的で改憲を、いや議論すらタブー視する人もいます。

まぁ以前に改憲に向けて味方に付ける団体や人物の話しをTwitter上ではしました。

先ずは公明党。支持母体は創価学会です。
これを引き込むのです。
政教分離の法改正をします。政教分離が正しいという理屈はアメ公の神道に対する考え方です。神道が故に日本は戦争したと思い込み政教分離を憲法に盛り込みました。
しかし、世界は政教分離ではありません。

ドイツ与党にはキリスト教何たら党とかがあったり、アメリカ大統領は宣誓式で特定の宗派の聖書に手を置くではないですか。
神に誓うのです。アメリカの建国理念はキリスト教を原理に白人国家を作ることです。
ですから創価学会公明党には改憲する大義があります。

例えば同性愛者の方々はどうでしょうか?
先頃、東京のある区では同性婚証明を発行する議案が議会にかけられます。
しかし、法的な拘束力は無く実質的にはただの紙切れに過ぎません。
これは憲法に婚姻は男女と定めてあるからですね。同性婚姻を認めるならば憲法改正しかありません。
憲法に違反する法律は作れません。

テクニック論

具体的には改憲が一番です。
しかし、世論が改憲に向けて議論が熟さないならば実質的に改憲と同等のテクニックを用いる方法も考えなければなりません。

例えば、まだ使える茶碗ではあるが長年使い辛く感じていました。
しかし、今回新しく茶碗を買いましたが前の茶碗は何かの時の為に一応捨てずに取っておきます。
しかし、時間が経つうちに「やっぱり要らないな」と捨ててしまう。
と、いう話しです。

これは憲法9条を例にするなら、あの9条の文言の後ろに「領土、領空、領海及び国民の生命財産を守ることにおいてこの限りではない」と書き加えるのです。
この"加筆"にて実質的に前の条文を無効化してしまいます。
その後、機を見て改正してしまうのです。
本来は全く改正してしまうのが理想ですが、こういう方法もあるのだと頭に入れておかねばなりません。

これは法学ではよくある方法なのです。
書き加える事で実質的に前文を無効化してしまいます。

こういう話しも盛り込みながら憲法を改正し、さらに日本人の心が入り血の通った憲法にしていかなければなりません。

福島原発更にの話し

2015-02-16 22:26:28 | 草莽崛起
またまた左翼のプロパガンダ

福島原発災害からまもなく4年が経ちます。
ますます左翼のプロパガンダが激しくなりますね。
そして4年を経ようとしている中で子供の甲状腺ガンが発見された!
と、騒ぎ始めましたね。
待ってましたと言わんばかりの反日マスコミ!
困ったもんです。
科学的、論理的な解釈は全くない。
こんな非科学の感情論で話してはいけません。
皆さんと少し勉強しておきましょう。

甲状腺と甲状腺ガンの話し

甲状腺とは首の前、浅いところにあります。
ホルモンを作る臓器です。
甲状腺ホルモンと言うのはいわゆる活力の源でこれがないと人は活動の度合いが落ちます。
子供の場合は発達障害の原因ともなります。
逆に出過ぎも良くありません。
甲状腺ホルモンにはヨウ素が入っています。

ヨウ素は食物中には少ししかありません。
甲状腺はその中にタンクを作りヨウ素をため込みます。
子供の甲状腺ガンは、日本全体で年間に数人程度しか発病しません。
非常に珍しい病気ですが、多くの場合は治療が成功しますので命を落とすことはありません。

ヨウ素131

自然界にもヨウ素は存在します。
普通のヨウ素は127と呼ばれます。
ヨウ素131は自然界には殆どありません。原子炉の中には大量に存在します。
ヨウ素131は放射線を出しキセノンと言う別の物資に変わります。
甲状腺は127、131の区別なくタンクため込みます。

チェルノブイリ

1986年のチェルノブイリ原発事故で初めて原発事故により甲状腺ガンが多発することがわかりました。
チェルノブイリがあるウクライナはソ連の一部であったことで秘密主義の国家体制の中にありました。
この秘密主義が被害の拡大や基本データが信用出来ないと言う深刻な問題を生みました。
その為に「わからない」と言わざるを得ない話しが出てきます。

このチェルノブイリ事故では大爆発と火災により極めて大量のヨウ素131が大気中に放出されました。
放出されたヨウ素131は周辺地域に落下、牧草に付着。汚染された牧草を食べた牛から搾った牛乳を飲んだ人達がヨウ素131を摂取したと考えられています。
ヨウ素131は甲状腺に取り込まれ、そこから出た放射線が甲状腺ガンを引き起こしました。

どれ程の子供が甲状腺ガンになったのか正確な数字はわかりません。
一説には事故以前の数十倍~百倍以上、数百人~数千人と言われています。
全体の約半数が事故当時5歳以下だった子供達です。
ガンになった子供達がどれだけの量のヨウ素131を摂取したかは信頼出来るデータがありません。甲状腺ガンは治療が上手くいくことが多いのでチェルノブイリの子供達も治療は上手くいっているようです。

福島とチェルノブイリ

福島もチェルノブイリもヨウ素131が大気中に放出された点では同じです。
また、地上に落下し水道水やら野菜、ミルクの汚染など筋書きは同じです。
福島では海にも放出されましたからむしろチェルノブイリより状況は悪く感じますね。
しかし詳細は違います
最大の違いは放出されたヨウ素131の量です。
放射線、放射能は"量"が問題です。
チェルノブイリは広島型原爆の数百個分と極めて大量の放射性物質が放出されました。
チェルノブイリ周辺の子供達がどれ程の量のヨウ素131を摂取したかは正確なデータが曖昧な為にはっきりとわかりません。
しかし、かなりの極めて大量のヨウ素131を摂取したと推測はできます。

福島原発事故は事故直後から詳細な測定が為されています。
さらに、福島県内の原発周辺の子供達は甲状腺放射線量測定が行われ全員が基準値を大幅に下回っています。
基準値は大変厳しいもので基準を多少超えても甲状腺ガンが直ちに増加するとは考えられない少ない量に設定されてあります。

またチェルノブイリは内陸部にあり、日常からヨウ素不足の状態にあったということが考えられます。この地域はヨウ素不足が原因の甲状腺腫という日本ではあまり見られない病気の多発地帯でもあり、ヨウ素不足の甲状腺がヨウ素を取り込もうとヨウ素131をより多く摂取したと考えられます。

実はヨウ素131は原子炉の中にだけあるわけではありません。
病院では広く使われています。
甲状腺の病気を検査したり、治療したりする為にヨウ素131を飲みます。
しかしこれが原因で発がん性を疑われた事はありません。

見かけの増加

福島では、甲状腺検診を子供達全員に行いました。大変よいことなんですが、検診により見かけ上、甲状腺ガンが増加する結果が出てしまいます。

集団検診などを定期的に受けている人々からは検診を受けない人々よりもたくさんのガンが見つかることがあります。
当然の事に思えますよね?
しかしこれは実は理に合わないのです。

ガンは放置すれば死にます。死なない場合もありますが…それはさて置き。
しかし、検診せずとも死因がガンならばいずれは見つかり病気の数は同じになるはずです。

更に検診では早期ガンが見つかるのですから、検診をこまめに受けている人々のガンが原因の死亡率は減るはずです。
だいたいその為の検診なんですからね。
しかし減らないことも多々あります。
検診でガンは沢山見つかるが死因する人は減らない。

この説明には"ガンにも二種類"あり、放置すると死ぬ本物と、放置しても大丈夫な雑魚なガンがあると考えられ、検診では雑魚ばかり引っかかるのでガンが増加したように見えるが実は本物を引っかけるのは難しい。
したがって死亡率は下がらないのです。

検診により甲状腺ガンが多く見つかる場合もありますがそれが福島原発災害の影響かどうかを多角的に、緻密に検討しなければなりません。

どのようなガンが発生しても福島原発災害の影響かどうかは綿密な調査と科学的分析により判断しなくてはなりません。

適当な見た目で"ガンが増加した"とか"鼻血が出た"などは単なる憶測やデマでしかありません。
また感情論で話す事でもありません。

デマや憶測を実しやかに話したりするのは風説の流布という刑事犯罪です。
元livedoor社長ホリエモンはこの罪で懲役を食らったのです。

義務と権利と自由と責任

2015-02-12 15:37:05 | 草莽崛起
自由とはなんでしょう

日本と言う国は民主主義です。当たり前ですが昔から民主主義です。
戦後アメ公様から民主主義を教えられた訳でもなくずーっと民主主義です。
アメリカ型民主主義を戦後押し付けられただけで日本には日本オリジナルの民主主義が古くから根付いています。
そして世界でも稀に見る自由な国です。

年末の歌番組で天皇陛下を愚弄しようと、時の政権をバカにしようと逮捕されたり監禁されたりしません。
嘘の報道をしようと、性奴隷だったと慰安婦コスプレをしようと自由です。
それどころかアベコベに訴訟を起こすのも自由です。
一体自由とはなんでしょうか?
自由にもルールがあると思います。
自由のルールと自由の意味とはなんでしょう?

「自由にしたいなら義務を果たせ!」と昔からよく聞いた気がします。
義務を果たしたら自由が得られるのでしょうか?違うのではありませんか?

自由と責任

義務を果たしたら自由が得られるとは一体どういう事でしょうか?
そう思っている方もおられるはず。
しかし、自分自身はそう考えません。

例えば白人の奴隷になっていたアフリカ系の人達は、奴隷としての生き方や振る舞いを義務付けられて生きていましたね。
しかし、その義務を果たし奴隷として生きていたのに自由だったのでしょうか?
違いますね?自由などは無く、来る日も来る日も白人にこき使われていました。
義務を果たしても自由などありません。
つまり義務を果たすと好きな事が出来るのではありません。

では自由とは一体何を指すのか?
それは「選択」だと考えます。つまり自由というものは「その選択はあなたの自由」と言う事です。
物事の判断や決める権利は自分にある。
今日何をして過ごすのか。
昼ごはんに何を食べるのか。
誰と付き合うのか。
何を思い日々の生活をするのか。
どういう生き方をするのか。
何の為に死ぬのか。
それは我々個人が好きに選択する。これが自由ではないでしょうか?

そしてその選択の結果は選択した人の責任でしょう。
結果の良し悪しも全て選択した個人の責任で誰の責任でもありません。

例えば、あなたが大学受験をするとしてどの大学を選ぶのかはあなたの自由です。
合格でも不合格でも結果は選択したあなたの責任です。

国が危険だと注意をしたにも関わらず敢えて危険な地域に行くのもあなたの自由です。
その結果が無残なものになろうとそれを選択したあなたの責任です。

そもそも…

義務を果たしても自由ではない。
だけど義務はある。
この国の義務は納税、労働、教育が義務の柱です。
納税はこの国に住むならば誰でも払わねばなりません。国民、外国人の区別なく納税しなければなりません。

働けるのに働かないのは義務を果たしていません。働く事で報酬を得て生活し納税する。
この義務は国を作る、国を守る根幹です。

教育はある年齢になれば最低9年間教育を受けなければなりません。
しかしこの教育の義務は子供達にあるのではありません。教育の義務は大人にあります。
つまり、子供達に教育を受けさせる義務が大人にはあります。
子供達は教育を受ける権利があるのです。
大人には義務を、子供達には権利の行使です。

権利の行使は自由です。権利を行使するかしないか?は自由です。
例えば、学校でイジメにあい学校に行きたくないならば教育現場である学校に行く権利を行使しない選択が子供達は出来ます。
しかし、大人には教育を受けさせる義務があるので学校に行かせなければなりません。
ならば大人はまた子供が教育を受ける権利を行使出来る様にしなければなりません。
例えばイジメている生徒に話しをしてイジメを辞めさせる。
学校や教育委員会に問題提起する。
警察に告発する。
学校を転校する。
あらゆる手段を使い子供達の教育を受ける権利を守り教育を受けさせる義務を果たさなければなりません。

またイジメている側は権利を侵害しているのだと自覚する又は自覚させなければなりません。

これも自由です

例えば街を歩いていて車椅子の方を見かけました。道が狭く進み難い様で困っている様子。
助けてあげましょう…ちょっと待って下さい。
本当にそれで良いのですか?

その車椅子の方を助けるのも助けないのも権利です。行使するかどうかは個人の自由。
また、車椅子の方自身手助けされるのか否かはその方の自由です。

困っていると思い込んでいるだけではありませんか?その方はその状況を乗り越え様とされているのかもしれません。
もし助けて差し上げるならばさりげなく道の障害物をどかしておく。
どうしても助けて差し上げなければならないと感じるならば「宜しければ、手を貸しますが?」と相手を尊重して声をかけるべきです。

その時に相手から感謝されなくてもそれはあなたな選択の責任です。

この自由は間違い

先般、危険地域へ渡航しようとしていた自称ジャーナリストが旅券返納という事態になりました。このジャーナリストは「国がこんなことをすれば報道の自由、取材の自由を制限することになる!」と記者会見で述べました。

なるほど!それはそうだな!と、何と無く納得してしまいます。
しかしそれは間違いです!

国には国民の生命を守る義務があります。
だから義務を果たしたのです。
彼には渡航の自由はありますが、国が再三忠告をしており先般も邦人が誘拐惨殺されたばかりです。"あるかもしれない"ではなく起こった事実がありますから国は義務を果たします。
旅券返納という対処をしました。
そうする権利があるからです。権利を行使し義務を果たしたのです。
義務と権利とはこういうものです。

報道ということは人に伝えることです。
新聞やテレビで見るニュースなどで世の中を知り、真実を知りそして問題を掘り起こし是正する。そういう力があります。
それは我々一般人にとって大変意義のあるものです。

しかし先述のジャーナリストの言う報道の自由や取材の自由なるものは現憲法にも現行法においても全く保障も担保もされていません。

つまり報道には自由などありません。
当然ながら報道をする義務もありません。
もちろん言論や表現の自由はあります。その意味においては新聞紙面やテレビで伝えることは自由です。

しかし自由に取材し自由に報道する権利はありません。では報道とは?

報道とは国民の知る権利に辛うじて乗っかっているのです。
国民の知る権利を代わりに辛うじて行使しているに過ぎません。
だから報道の自由だ!などというのは余りに尊大な、自惚れた考えです。

更には朝日新聞やテレ朝の捏造報道などは実はこの国民の知る権利を侵害しています。
真実を知り考える権利を侵しているのです。
一体何を考えているのだと?と聞きたいもんです。これこそ勘違いも甚だしい。
自分達は報道だから何をやっても良いと思っているのでしょうか?
知る権利の侵害は人権侵害です。
嘘を知らされてしまい、考えを間違える。
罪のない人に罪を着せる事になります。
実際に先達の方々に在らぬ罪を着せています。

我々はこういう自意識過剰な人間のおかげで間違った教育を受けてしまいました。
現在もその嘘を信じて疑わない人もいます。

また、伝えなければならない事を伝えない!
という事態も起きていますね。
韓国のフェリーが事故を起こし死人が出た!
悲惨な事故で亡くなられた方々は誠にお気の毒ではありますが連日報道しなければならないニュースではありません。
ナッツが気に入らずに飛行機をUターンさせようと日本には関係ありません。
一度ニュースで流せばそれで良いはずです。
こんな事は韓国民が問題提起し考えれば良い事です。
そんなくだらないニュースを流すならば直接日本に関わる重大な話しをしっかり報道しなければならないはずです。
例えば拉致被害者のニュースはさほど流れません。
毎日でも流すべきです。




何も変わっていないのです!

2015-02-10 21:49:47 | 草莽崛起
本質を考えて

先般のテロリストにより邦人誘拐惨殺事件。
国論を二分する異常な事態に改めてこの国の根が腐っている!と感じると同時に、安倍晋三をもってしても未だ変わらない、いや変えられていない日本の実態が見え恐ろしさを感じます。

実はこの国はテロリストに弱い。
テロ行為に何ら打つ手がない!と露呈しています。
しかし、これは今に始まった事ではありませんね。オウム真理教サリン事件。北朝鮮拉致事件。しかしこれらは全て国内治安です。
そして何回も申しています、ダッカ事件。
日本がテロに屈してしまい、世界に日本はテロに弱いと宣伝してしまいました。

ダッカ後の海外テロ

ダッカの後も、日本がテロ行為を受けました。
それは在ペルー大使公邸占拠事件です。
これも実にテロに弱い現実を如実に現した事件でありました。
この事件を通して現在の日本を見てみます。

在ペルー大使公邸占拠事件

1996年12月17日夜、ペルー首都リマの日本大使公邸にて青木盛久特命全権大使をホストに、恒例の天皇誕生日祝賀レセプションが行われていました。
午後8時過ぎに、当時空き家になっていた大使公邸隣家の塀が爆破され覆面をした一団が乱入し直ぐさまこの大使公邸を制圧占拠しました。

ネストル・セルパをリーダーとするトゥパク・アマル革命運動(MRTA)構成員14人。
その場に居た青木大使をはじめ、レセプションに参加していた各国大使やペルー駐在の日本企業民間人等を人質に取りました。

その後セルパは、「逮捕拘留されている仲間全員の釈放」や「国外退避するまでの人質の同行」、「アルベルトフジモリ政権による経済政策の転換」や「身代金の支払い」を要求。
更に公邸敷地に対人地雷を設置するなどし武力による解放作戦に備えました。

当初の予定ではペルー政府要人や日本大使館員など少数の人質確保を目的としていました。
しかし実際はレセプションもあり人質は600人以上と予想以上の人数になりました。
その後人質の中にいたミシェル・ミニグ赤十字国際委員会代表の求めに応じて女性や老人子供など200人以上を解放、その後も継続的に人質を解放しました。
それでも多くのペルー要人や日本大使館員、日本企業ペルー駐在員らが人質として公邸に残されました。
以上が概略です。

見えるもの

この際に解放された人質には老人子供、女性の様な弱者でない人も早期解放されていました。
アメリカ人などがそれにあたります。
これはアメリカ等は自国民救出の為に直ぐさま特殊部隊を送り込んで来るからです。
たかがテロリスト、泣く子も黙るアメリカ特殊部隊が相手ではひとたまりもありません。
テロリスト程、世界を知る集団はありません。

テロリストが日本人を人質に残したのは、日本が決して自国民救出に軍隊を出さない、出せないと知っているからです。
外征出来る特殊部隊を持つアメリカ相手には太刀打ち出来ないことも知っているのです。
実に賢いやり方です。

決着

発生から事件解決まで実に127日と言う長期に渡りました。
直接の解決に至ったのはペルー海軍特殊部隊の突入によりテロリスト全員死亡、人質72を救出内一人死亡で決着しました。
日本人人質は24人全員生存で救出。
当時のペルー大統領アルベルトフジモリ氏は一躍ヒーローとなりました。

その真実

邦人人質全員救出と言う結果に日本ではペルー大統領を一躍時の人、稀代のヒーローにしてしまいました。
しかし、真実は違うのでした。
当時アルベルトフジモリ大統領は人質全員救出は不可能だと考えていました。
いや、むしろ人質救出よりもテロリスト制圧が目的で犠牲者が出ると考えていました。
言い換えるならば人質が死のうともテロリストを全員制圧する事を主眼に置いていました。
いわば邦人人質が全員無事救出されたのは偶然であります。
アルベルトフジモリ大統領は日系二世と言う事で日本からの援助も引き出していました。
しかし、人質に死人が出れば援助打ち切り下手をすれば国交すらなくなる覚悟で特殊部隊による武力行使の道を選びました。

それは一度テロに屈すれば後雨後の筍の様に次から次へと同じことが繰り返されることへの懸念と自身の保身からでした。

アルベルトフジモリ大統領はインフレ率2000%と言う最悪のペルー経済を独自のショック療法で立ち直らせ南米の軌跡と言われました。
しかしその良い面には裏の顔もあり、己の利権利益を貪り独裁政権を目論む面もありました。
その為に三選出来ない憲法を無理矢理改正し、さらに逆らう者は粛清していました。
だから最後は糾弾され海外に逃亡、帰国後は禁固25年の実刑を受け今も収監中です。

日本

事件当時の日本は第二次橋本内閣でした。
橋本内閣は既に事件発生直後から武力行使を検討していたペルー政府に対して、当時の外相池田行彦に命じ「平和的解決」を要請していました。
当時の報道ではこの要請にペルー政府が応じたとされていましたが実際にはペルー政府から物凄い反発を受けました。
しかし翌日にはペルー政府が要請に応じました。これには正面突入では作戦が成功しないと踏んだペルー政府が日本の要請を逆手に取りトンネルを作って突入する作戦を立て、そのトンネルを掘る時間稼ぎに利用したのです。

そして当時、対策本部が設置された外務省に橋本首相自ら購入した木村屋のアンパンを差し入れ後に「アンパン総理」と揶揄されていました。しかし、実際はペルーとのホットラインが外務省にしかなくその為に外務省にわざわざ赴かねばならない事をごまかす為にアンパン差し入れをしたのです。

また池田行彦外務大臣がペルーに赴いた際にテロリスト側から日本の外務大臣が人質になるなら他の人質を解放してやる!と交換条件を提示されました。しかしこの提示に池田行彦外務大臣は信じられないことにびびって直ぐさま日本にとんぼ返りしたのです。

制圧

遂に発生から127日後の4月22日ペルー特殊部隊の突入が始まりました。
結果はテロリスト全員殺害。
その内容はリーダーセルパは射殺後に喉を十字に切り裂かれました。
ナンバー2のロハスは首を切断。
他のテロリストは射殺。
少女テロリストは生きたまま四肢を切断された上で強姦され殺されました。

犯人制圧に此れ程の残虐性が必要でしょうか?
必要ありません。では何故か?
これは見せしめなのです。
独裁政権のアルベルトフジモリに逆らう者はこうなる!と言う見せしめだからです。
喉を十字に切り裂くのは古代インカの慣わしの様な殺し方で逆らう者は喋れなくしてやる!と言うアピールなのです。
少女テロリストは一度逮捕されました。後手に拘束されました。
しかし、一度外へ連れ出しカメラに見せた後にまた建物に連れ込み四肢を切断し強姦されました。

日本人は何故助かったのか

結果から言うと日本人だったから!と、言う事になります。
リーダーのセルパなどはプロのテロリストです。しかし、テロリストの中には先に述べた少女の様にまだ年端もいかぬ少女少年が居ました。この少年少女はジャングルで僅か50ドル程度の金で親に売られた少年少女です。
この少年少女をテロリストは買い取り自分達の思想を植え付けた上でテロリストに育てあげるのです。わずか7~8歳程度で親に売られ、テロリストには人間扱いなどされずに過ごします。

日本人と言うの誠に不思議な民族です。
この人質と言う不自由な立場でも規則正しい生活を送るのです。
朝は決まった時間に起床しラジオ体操等をしていました。
また上下の立場に関係なく皆で掃除をしたり食事の支度をしたりします。
これは海外では実は不思議な事なのです。
立場が上、例えば会社の社長は平の社員と食事を共にしたり掃除などはしない。
しかし日本人には"上の者が率先してこそ下が付いてくる"という考えがありますから上の者ほど汗を流します。
また、同じ釜の飯を食うという考え方もペルー人には不思議に見えるのでしょう。
しかも長い人質生活の中でも不自由さを幾らか緩和する手段を編み出し自分のベッドスペースを喧嘩することもなく、特に話し合いもなく平等に分け自分が使いやすい様に小さな棚を付けたりと快適にしてしまう。
地球の裏側にいる日本人等見た事もなくその知識もない少年少女テロリストには衝撃的だったでしょう。

その内に長い共同生活の中日本人と少年少女テロリスト達は打ち解けラジオ体操を毎朝一緒にやったり、時には日本語やスペイン語を教えてやったり将棋を差したり。
更に差し入れされる和食を少年少女テロリストに振る舞ったりしていました。
特に日本のインスタント食品には感動していたそうです。
少年少女テロリストは恐らく始めて人間扱いされたのでしょう、親に売られテロリスト達には人間的な扱い等受けずに育ちました。
しかし初めて会った地球の裏側の人間達は少年少女をテロリストとは見ずに人間として扱い実直に接していました。

その為に「ペルー政府が武力で制圧する時には人質を全員殺せ!」と命じられていた少年少女テロリストは一度日本人を含めた人質を殺害しようと銃口を向けたのですが殺せませんでした。
むしろ日本人人質がいる部屋を守り殺されてしまいました。
日本人人質が全員無事だったのは別け隔てなく人に接し相手を思いやる日本人の心が自らを守ったのです。

今も何も出来ない

今回の自称イスラム国の事件
ペルー大使公邸事件
どちらも日本政府は「平和的解決」というワケのわからない手段しか取れませんでした。
当時の日本政府の要請にペルー政府は「テロリストの言いなりになれば次から次へと同じことが起きる。要請には応えられない」と突っぱねています。
当然の回答です。一度でもテロに屈伏すれば政府や国が瓦解しかねません。
テロを助長する事になります。
その後のペルー政府内では日本のこの要請に対して「日本人は自国民の命を見殺しにする」とか「拉致事件もだから同胞を救えないんだな」と言われていました。

大使公邸は治外法権です。ペルーにあってもペルーではなく日本なのです。
それでも日本からは自衛隊は愚か警察の特殊部隊すら送れませんでした。
この治外法権すら逆手にとって同胞を救えなく現地当局に任せなければなりません。
偏に現憲法、現行法があるからです。
治外法権の大使公邸ですらこれですから、全くの国外であるシリアではミリタリオプションによる救出は不可能です。
更に身代金を払えばテロに屈伏する事になり後には雨後の筍状態です。

また現政権の様にある程度強い政権でなければ思い切った行動をすることもありません。

自国民の生命や幸福を守ることは憲法上も国家の義務です。
しかし義務が果たせずにいます。
更に義務を果たさねば生存権の侵害にもなります。
国家自ら憲法違反をする事になります。

どうにか日本国民の民族性と規律や相手を思いやる気持ちだけで在外邦人は暮らしているのです。
しかし国内に於いてもオウムサリン事件も北朝鮮拉致事件も未然に防ぐことが出来ず、更には拉致被害者を取り返せずにいる現状を皆で考えていかねばなりません。

一つの問題提起として皆さんの頭でしっかりと考えていただきたい。