犬神スケキヨ~さざれ石

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ジェンダーレス過激派

2024-08-04 17:49:00 | 草莽崛起
さてパリオリンピック、柔道の誤審問題など様々な問題が湧きに湧いて『さすがフランス!頭が悪い』と喜んで見ています。

フランスは超が付くリベラル国家です。
なんせフランス革命により、特権階級を皆殺しにして出来た国ですから。
公共の場では自らの信仰を誇示する様なものも身につけてはならないとか聞きました。

オリンピック開会式も『下品』だなと思いますが、自由主義を標榜する身としては『まぁ、フランスさんのお好きな様に』と言う感じです。

自由・平等・博愛がフランスの國體ですからあの様な演出になるのでしょう。
アレを批判したりする事も又アホのやる事なんで私自身は何とも思いませんが。

それ程に下品でアホに見える国でもリベラリズムとリアリズムを心得ている事には評価する次第です。
その事は柔道を見ていてもわかります。
何せ世界柔道連盟は本部がフランスにあるのだとか。更に柔道人口は発祥国である日本の4倍だそうで、先ず子供には柔道を習わせるのがフランスの教育だとか。
武道としての柔道に敬意を払いながら、その実は競技として如何に勝つかと言うリアリズムの基にやっているのでしょう。

今や我が国発祥の柔道はJUDOになり柔の道でも無くなったと言う事でしょう。
世界のJUDOになった事で形式や作法やルールの中にだけ『武道』があり、我々日本人が考える武の道はBUDOになってしまったのでしょうね。
海外に我々日本人にしか理解出来ない『道』を輸出すれば、文化や歴史や宗教観から『道』は都合良く解釈されるのでしょう。
つまりは道なるものは我々日本人にしか理解出来ない観念であるのですから仕方ないのかもしれません。
現代日本人でも中々理解し難いでしょう。

武術や格闘技の経験者ならば、何となく想像は出来るとは思いますが。
例えば『武士道』や『大和魂』などは定義付け出来るものではないでしょうが、日本人にはふわっとでも言語化ぐらいは出来るもんです。

と、前置きが長くなりました。
フランスパリオリンピックで、面白いことの一つが女子ボクシングではないでしょうか。
ネット上でも随分と話題を提供してくれてますね。

女子のカテゴリーにトランスジェンダーの選手が出ており、対戦した女子選手が開始早々に棄権したとか。



過度な平等意識が招いた結果なのでしょうか。
このトランスジェンダーの選手が実際にトランスジェンダーなのか、疾患により男性化しているのか、或いは自称女性なのかよくわかりません。
IOCによれば戸籍上もパスポートも女性だと言う話しですが、この選手は東京大会でも女性として出場していたそうです。
しかし、それ以前には性別の問題で出場出来なかったと言う話しもあります。

女性と男性では、当然ですが筋肉量やら動体視力に至るまで違いはあります。
それは生物学上の問題で我々人類が進化の過程で獲得した違いです。
優劣とか言う話しではありません。

これを否定すれば、人類を生物ではないと定義しなければなりません。
人間と言うものは、その様に性別で違いがあるものなのです。

これを否定して
男女は生殖器官以外は何の生物学的違いはなく、男らしさや女らしさは全て社会的・文化的に構築されたものだ!
と主張するフェミニズムが存在します。

私はこの様な訳の分からない主張をする人々をジェンダーフリー過激派とかフェミニズム過激派と呼んでいます。

他には極端に環境問題を叫びたがる環境過激派・SDGs精神疾患とか、鯨やイルカの保護にのみ関心が高いシーシェパード脳障害とか、人に近付き過ぎた熊の駆除にやたら反対するヒグマの食糧になりたい人とか色々ありますね。

とにかく、ジェンダー過激派は『全てのジェンダーギャップは社会的に構築される』と信じて疑わず、生物学を否定します。
先に申しました通り、生物学上の男女差を否定するのは『人類は生物ではない』と宣言するに等しい話しです。

生物でも有機物でもない人類は一体何なのか?と言う話しになります。
もう無限ループに全てをジェンダーギャップであると言い続けられます。
前提に人類は生物ではないと置くだけです。
これは、人種や宗教など全てに於いて活用出来るでしょう。

しかし実際には男女差は脳の構造自体違うのだと言う話しは科学的事実です。

生まれて間もない赤ん坊にすら、興味の対象に男女差があります。
男の赤ん坊は『物」に強く興味を持ち、女の赤ん坊は『人』に強く興味を示します。

進化論的に話すならば、男は狩猟に最適化し女は採集に最適化しているからです。
それは網膜にも差があるのです。
網膜にはM細胞とP細胞があり、M細胞はモノの動きに、P細胞は色や質感などに反応します。
男はM細胞が網膜に広く分布しており、女はP細胞が広く分布しています。
ですから、例えば幼児にクレヨン等で好きな絵を描かせてみたら女の子はカラフルな暖かい色を使い人物や動物、草花を描きます。
しかし男の子は冷たい色、黒やグレーでロケットや車やロボット等を何らかの動きを表現しようとします。
これは周りの大人、親や教師が『男らしさ』や『女らしさ』を描かせたわけでもなく、またジェンダー的圧力を加えたわけではありません。
網膜と視神経の生物学的差異です。

単純に見える世界に男女差があるのです。
その為に脳の構造に僅かだが違いがあるのです。
男は空間的な知能が発達していますし、女は言語知能が発達しています。
つまりは男女で得手不得手があるのです。

この事実はジェンダー過激派には『偏見』に思えるらしいのです。

しかし、事実を見れば明らかで米国シリコンバレーで成功している億万長者達は論理や数学的知能が高くて殆どが『男』です。

男女の脳に何の差異もないならば、エンジニア、プログラマーなど男女の比率に差は生じないはずですが実際には違いますね。
米国西海岸と言えば最もリベラルな地域であるにもかかわらず、西海岸のテクノロジー企業の採用試験で選ばれるのは男ばかりです。

つまりそれらテクノロジー関係で極めて高知能の領域では男の方が優秀であるからでしょう。
そしてそれらを男女平等なるアホなお題目に沿って人材確保をしていれば、ライバル企業に良い人材を取られてしまい企業間競争に勝てないからです。
そして人種にも偏りがあり、アジア系やインド系人種が最も多いのです。
逆にヒスパニックや黒人は少ない。
男女の脳に差がある等と言うと、人種による能力の差まで掘り起こしてしまいます。
つまりは生物学的差異があると絶対に言えない理由がここにあるのでしょう。

例えば、出自を理由にする様な偏見がまかり通るならば『差別』と呼ぶべきなのかもわかりません。
ところが丸っ切りのデタラメなものもあるわけです。
例えば『イエスキリストを処刑したのはユダヤ人だ』と言ってユダヤ人を忌避することは丸っ切りのデタラメです。
これは日本人も全く意識せず、キリスト教を白人の宗教だと思い込んでいます。
その為にキリストやその使徒達を無意識に白人だと思い込んでいますし、キリスト教の宗教画を見ても丸で白人の様に描いてあります。
しかしキリストは白人ではないでしょう。
そもそもユダヤ人ではないでしょうか。
ならば黒人とまでは言わないまでも有色人種であるのは間違いない。
これが『ユダヤの裏切りでイエスは処刑された』と言う思い込みと優生思想、人種差別へと繋がりナチスのホロコースに繋がったのでしょう。しかしキリストも使徒もユダヤ人です。何故ならキリストはユダヤ教の改革派だったからです。

しかしこの『真偽』を問うて、根本的な間違いを指摘する人を見た事がない。
非科学的で何ら根拠もないデタラメを指摘すればリンチに会うからです。

逆に言えば、科学的だったり歴史的に真偽がハッキリしたものは検証が為されて、その結果として非科学的で曖昧なものだけが残ったからです。

例えば『男は女より暴力的』と言う事を否定する人はいないでしょう。
暴力をどう定義するかはあるものの、まあ反対する人はいないでしょう。
国籍、文化、宗教など違いはあれど、様々な社会で凶悪な殺人犯は圧倒的に男が多い。
暴力事件もそうです。
筋肉量やらテストステロンの量やら理由がありますが、男の方が圧倒的に攻撃性や暴力性は高いのです。

ジェンダー過激派が言う様に『ジェンダーギャップは社会的に構築』されるなら、生物学的な違いや解釈は『差別』です。
そうならば、男女平等が進めば男による殺人や暴力は女並に下がるか、或いは女による凶悪事件は男並に増えると主張しなければなりませんが、ジェンダー過激派やフェミニストからそんな話しは聞いた事がありません。

男の言語能力は左脳に偏り、右脳は論理・数学的な処理に使われ、女は左脳だけでなく右脳も使って言語処理を行っていると言う生物学的事実は既に解明されているのです。
と、言う事は男女の生まれつきの差異は最早『常識』と言う話しです。

結果として『事実の真偽を無視する』と言う事が広く病の如く蔓延しているのです。

これは様々な場面で見て取れます。

例えば、環境保護などの運動。
鯨やイルカの保護。

福島第一原発からの処理水放出についても絶対に放出を許さない!とヒステリックになったりします。
核物質が100%取り除けないからダメだ!とか言ってみたりしますが、全く非論理的で非科学的な主張です。
問題は量や濃度と言うごく当たり前の科学的な常識が理解出来ないからです。
小便にも放射線物質は含まれているのです。

鯨やイルカの保護にヒステリックな人々も同じ事が言えるのです。
我々人類は幸か不幸か、食物連鎖の頂点に君臨しています。
つまりは、我々人類が数の調整をしなければむしろ鯨やイルカは淘汰されてしまうのです。
餌の量、生きていく為の許容範囲には限界があるからです。

しかしこれら常識は言ってはいけない恐ろしい事実なのです。
声高に常識を宣えば、コレら過激派に生活や生命そのものをキャンセルされかねないからです。

コレをキャンセルカルチャーと言います。
対立する相手の行動、活動、仕事、収入、人間関係など様々な日常を妨害し出来なくする(キャンセル)させる行為です。

この手の連中はいわゆる観念論的な連中です。観念論とは情報欠乏から来る勝手な思い込みです。ステレオタイプとも言うのです。
全く自らは調べたり考えたりしません。
認知能力が著しく低い人間です。
しかし、何ら根拠のない自信だけはあるのです。ですから結果として自身が認知能力が無い事を認知出来ません。
よって、間違いを改めたり調べ直したりしませんので永遠に観念論です。
だいたい根拠もない陰謀説にハマったりしてクソ真面目に荒唐無稽な話しを繰り返します。
根拠など考えなくて良いのですから、本人は至って真面目に間違った発言を繰り返します。

また、妙な道徳心に犯されてもいますから手が付けられません。

我々の社会では善はプラス悪はマイナスと言う変な考えが蔓延しています。
善は利他的、悪は利己的。

心理学者のブノワ・モニンと言う人がとある実験をしたのです。
その実験で得た結果は
人は善はプラスされていく、悪はマイナスされていく。
なんだそりゃ?と思いますよね。

わかりやすく言えば、善を行えば道徳の貯金がされていく、悪を行えば貯金が減ると言う考え方です。

これは一つ善が貯金されたら、悪を一つ行ってもプラマイゼロとなるのだと人は考えがちだと言う事です。

この実験でわかった事は道徳の貯金箱は大雑把で、自分が善行をしたと思えば無意識に貯金されていく。人種や性別に関係ない。
道徳の貯金残高を他人が知っているかどうかは関係ない。
相手がどう思うとも、自分が納得するかどうかが問題。

ですから、例えば『きれいごと』を述べただけでも自分が善行だと納得出来れば『道徳貯金』の残高が増えるのです。

これが厄介な道徳の真実です。
またこれが自尊心とも結びつくから厄介です。

自尊心もまた報酬系なのです。

自尊心の残高が下がれば、もうパニックになりその残高を増やそうと必死になります。

例えば、SNS等にトピックを上げます。そのトピックの間違いを誰かに指摘されたら自尊心の残高は著しく下がります。
そうなると、残高を増やす為に必死になります。その様な事が顕著に現れる人はやはり認知能力が著しく低い人間です。
根拠のない自信から持論を展開しますから、間違いを認められません。間違いに気づいたらそれを訂正して改める方がはるかに後の報酬が増えます。
しかし、今残高を減らされた事にしか神経が向かないのです。
するとどうなるかと言えば、残高を増やす為に論理のすり替え、果ては罵詈雑言で相手を攻撃します。時には誹謗中傷。
相手が余りの無知蒙昧ぶりと攻撃に呆れて相手をしなくなると何故か『勝った』と宣言して自尊心の残高を増やします。
これも道徳の残高と同じで、自分が納得出来れば良いので『事実』等気にしません。
それでもまだ残高不足なら、永遠に何日も何ヶ月も繰り返します。

さて、話しを戻しますがジェンダー過激派や環境テロ過激派は全く論理性のない非科学的な事を大真面目に宣います。
この非科学的で非論理的な話しは、彼らには『納得できる綺麗事』なわけです。
これを宣えば宣う程『道徳の残高』は増えて行きます。そうなれば、残高分の悪を行えます。しかし、これは一般的な普通の話し。

実際には、この手の連中がやるキャンセルカルチャーやテロ紛いの行為も『善』なのです。世界的な遺産や美術品にペンキをかける行為、捕鯨船に体当たりする行為。
そして生物学的男女差を『偏見』と言う事。
コレら全て、当人達には『善』であるのです。

幾ら科学的根拠を示したところで、連中には通じません。
自らを『生物ではない』とアホな宣言をするに等しい行為も、そんな真偽はどうでも良いのです。

陰謀説を必死に喋りまくる人も、それを話す事で『私しか知らない』貴重な話しをしていると自尊心の残高は増え、わけのわからないお節介も自分が納得できる『道徳の残高』なのです。

これが我々の社会の残酷な真実です。

これを理解しなければ、各種過激派とは対峙できません。











『軍国主義国家』?『〇〇主義国家』?

2024-07-27 17:27:00 | 草莽崛起
戦前の我が国は『軍国主義国家』であったと多くの国民が考えるところでしょう。
教育も政治もマスコミも、そこに立脚して言説を垂れ流してもいます。

よく人と話してもいても『戦前の軍国主義が』ともよく耳にするものです。
なので『軍国主義とは何なのか』と尋ねてみるのですが、皆一様にフワッとした答えしか返ってきません。
侵略を繰り返しアジア諸国を苦しめた、それが軍国主義だと言う人もいます。

アジア諸国とは一体どの国を指すのかと尋ねても、これまた明確に答える人は稀です。
そりゃそうです。
戦前のアジアは白人の植民地でしたから、諸国と呼べる様なものはありません。
明確に国名を言い出す人がいれば、それは認知能力に問題のある人でしょう。

軍国主義なるものは軍の意思が全てに優先する事ではないでしょうか。
どの省庁や役人、更に時の内閣よりも軍が優先される政策でしょう。

戦前の日本がそうであったのでしょうか?

軍国主義であったから戦争をしたのでしょうか?

事実を紐解いてみれば、甚だ疑問です。

昔、知り合いの方から聞いた話しを紹介します。その方は、とある旧帝国陸軍人のお爺さんから話しを聞いたそうです。
その元軍人の方は南方で終戦を迎えて生き延びて帰って来られた方です。

『あれ程に餓死病死者を出す程に、継戦能力がない戦争をしたんですかね』と質問しました。
すると元軍人さんは『あの時代、皆んな貧乏だった。貧乏で食うものもなかった。なのに資源を絶たれたら戦争に活路を見出すしかなかったんだよ。戦争するしかないぐらい貧乏だった』
と答えたそうです。

貧乏でも、助け合い皆笑顔で仕事もあり、子供の成長を楽しみに生きたり。
貧乏だが、豊かであった。
それなれば人は生きて行けます。
しかし資源を絶たれたなら、戦後マッカーサーが証言した通り資源のない我が国は失業者を1200万人は出したでしょう。
僅か8000万人の人口です。

そうなれば、貧乏な上に仕事もなく困ってしまいます。
貧乏で困る、貧乏が理由で困る
これを『貧困』と言うのです。
貧乏でも豊かならば、単なる貧乏です。

国際連盟の椅子を蹴って、そこから脱退して帰って来た松岡洋右を称賛したのは日本国民です。
世界が国益の為に植民地支配を散々やっていた時代に、我が国も権益を求めて大陸に進出した事を戦後『平和』に対する罪としたが、フランス人判事アンリ・ベルナールは『願望を持っていただけの事だ』と言って日本無罪論展開しました。

対米戦についても、国民の支持があればこその事です。
軍であろうと国民の支持がなければ戦争など出来ません。戦争になれば真っ先に死ぬのは軍人であるからです。

なんでもかんでも話し合いをする事が外交ではありません。

超リベラル国家のフランスには国家憲兵隊と言う組織があり、第4の軍隊とも呼ばれます。
この国家憲兵隊には警告無しの射撃や射殺が認められています。
特にテロに対して強く、例えば原発等に配置されています。
非公式ながら、実際に原発に侵入しようとした人間を無警告で射殺した事があるそうです。
そしてこの組織、始まりはナポレオンだそうです。ですから必ずしも現在の第五共和制に準じないのだと公然と発言しています。
コレが真のリベラル、自由主義の事実です。
自らの自由と権利の為には武器を取るのです。
リベラリズムとしての理想とリアリズムとしての実力行使です。
射殺と言うある種の暴力によって、解決は出来なくとも決着を付ける事が出来る典型例です。
人類の歴史を見ても、随分と暴力によって決着を付けた歴史は枚挙に暇がない。
このフランスの考えを見れば理想を語るならば現実を覚悟しなければならないと理解出来ます。
現実を覚悟出来ぬ者には理想など語る資格はないと言う話しです。

先に紹介したフランス人判事アンリ・ベルナールは『自衛権を行使しなければならないと日本が感じたのであれば、それは自衛権を行使する事態だ』と言う様な発言もしています。

現代日本に於いても、バブル崩壊以降の30年近く経済的理由により自死を選択する人が沢山いたのです。
毎年3万人を超え自ら死を選ぶ人が絶えないアホな時代。
単純計算90万人が死んだのです。
それに目を瞑って『平和である』と思い込んでいるのですから救い様がない。
なんと愚かな平和でしょうか!

人間は圧倒的に『暴力』により決着した歴史の方が遥かに多いのです。
コレが理解出来ない人間は認知能力に問題があります。

我々、今生きているホモ・サピエンスも暴力により生き延びて来たのです。

だからと言って暴力を肯定する話しではありません。
私の話しを歪曲、曲解し『自分も暴力を振るって良いのか』と考える短絡的、直情的人間もまた認知能力の低い、境界知能以下のアホです。
一個人に行使して良い実力行使などありません。

軍や治安組織は統制されているのです。
法と民主主義の手続きにより統制されているからこその実力行使です。

アホなデモや、そのカウンター等で個人や単なる団体が行使出来る暴力など法も憲法も認めていません。

我々は先の対米戦を見ても、豊かな貧乏を無理矢理に貧困へと引き摺り込まれようとしたのですから、アンリ・ベルナールが言う様に『自衛権の範疇』であったのでしょう。
それは『日本の戦争は主に安全保障によるものだ』と証言したマッカーサーの話しと矛盾しません。
そうであるならば我が国が軍国主義であったからアジア諸国を侵略し対米戦までやったと言う話しは全く成立せず、それは単なる日本人の思い込みと言う話しです。
何をどう刷り込まれたのか、今や解りませんがそういう事です。

では、現代日本は一体何なのか?

先述しましたが、年間に経済的理由により自死を選ぶ者が三万人を超える事実をどう見ればよいでしょうか?

現代日本でも、それ程の死者を経済的理由により出すのですから、戦前の日本人が外圧により1200万人の失業者を出す事態を安全保障問題だと考えるのは当然でしょう。

失われた20年だ30年だと言う話しはよく聞くもんです。
何故、そうなったか。

それは政府の経済政策の失敗にあります。

バブル崩壊後の金融政策、経済政策、財政出動などやるべき政策を全くやっていなかったと言う話しに反対する人はいないでしょう。
逆に第二次安倍政権でアベノミクスにより景気浮揚した途端に自殺者が減った事実を見れば明らかです。

そして、そのアホな国策の中心にいるのがいつの世も財務省です。

時の政権ですら、財務省には逆らえません。

第一次安倍政権を潰したのも財務省の画策があればです。

現政権など財務省ベッタリの政権です。

各省庁、役人にしても全く財務省には逆らえません。

政治家にしても、財務省に真っ向逆らえば翌日には突然国税庁や検察が現れる始末です。
小選挙区当選議員などは地元に還元すら出来なくなる。

勝手に国民の懐に手を入れて『安定財源』と言って我々の、血の滲む努力によって得た収入を鷲掴みにして持っていくのです。

誰も逆らえず、財務省の意見が全てに優先するのです。

ならばこれは
財務省主義国家
と呼ばねばならないのではないか?

軍国主義国家なる、アホな刷り込みどころの話しではありません。

財務省国家主義は事実なのですから。

例えば、支那や北朝鮮と言う国は国民を餓死させても軍が優先しています。
コレを『軍国主義国家』と言うのであって、貧困や餓死から国民を守ることは『安全保障』です。

国民を貧困や失業から守れず、自死者を毎年数万人出すアホな事態をなんとするのか。

間抜けで愚かな平和を教授して喜んでいる場合ではありません。

前時代なら『戦争』に活路を見出す事も出来たでしょうが、現代社会ではありえない話しです。

世界は未だ腹黒で、自国ファーストでなんだってやるのです。
にもかかわらず、財務省主義により国民は苦しむのです。

ありもしない軍国主義を考えるなら、財務省主義こそ何とかしなければならない。
国民の喫緊の課題ではありませんかね。










事実の涙

2024-06-30 16:00:00 | 草莽崛起
あ未だに我が国は大東亜戦争に於いて『無条件降伏』をしたと思い込んでいる人が多数います。

話しを聞いてみると『学校で先生がそう言っていた』とか、両親からそう聞かされた、マスコミはそう報じている等様々です。
しかしこれらが何故か我が国の常識であるかの如きに扱われ、またそれが故に疑う事なく大多数の国民に刷り込まれています。

しかし事実は違います。

我が国は無条件降伏などしていません。
ポツダム宣言受諾により敗戦したわけですが、それは有条件による降伏です。
國體護持を条件にポツダム宣言を受諾したのです。

経緯を見れば米国も『天皇の地位を認めれば日本は直ぐに降伏する』と言う見解は首脳陣の一致するところでした。

実際にポツダム宣言草高にも明記されていました。それが実際、ポツダム宣言に対する連合国側の調印の場になって削除されていました。此れには様々な思惑はあるものの、一番の理由はやはり原爆であろう事は間違いありません。

草稿に関わったスチムソン陸軍長官は『ある公に出来ない軍事的理由』と自身の日記に書いてある事からも理解できます。
トリニティー実験(原爆実験)まで後二か月と言うところでした。
それまでに日本が降伏してしまっては都合が悪いと言う事です。
英国がポツダムに於いて戦後処理を議論する会談を再三申し入れていたにも関わらず、米国は理由を付けては意図的に一カ月以上引き伸ばしをしていました。
トリニティ実験までの時間稼ぎをしたのです。


それほどトルーマンにとってトリニティ実験は重要であったのでしょう。
そもそも有色人種への偏見もある白人社会である米国です。
また日本悪の世論形成もやっていましたから、米国内世論も『天皇処刑論』が大多数を占めていました。

そんな折に米国は重大な情報を入手します。
1945年7月3日付の機密報告にて東郷茂徳外務大臣が『早期終戦を望む天皇の意思をソ連外相に伝達』するよう駐ソ大使である佐藤尚武に電報を打ったのです。
これを米国は傍受します。
スチムソンは『今こそ草稿を発表すべきだ』と大統領に迫ります。
しかし、7月16日原爆実験に成功と言う一報をトルーマンは受けとります。
翌17日ポツダム会談が始まる前日です。
この原爆実験以降、トルーマンの人格が変わったとすら言われています。
しかしコーデル・ハルらの助言もあり、先述の通り天皇の地位を保障する一文は削除されました。

ポツダム宣言には『國體』について明記されていませんでした。
日本にとって受け入れ難い話しです。
また我が国もソ連に終戦の仲介を頼むと言う失態もありました。
我が国が降伏しない理由は『國體護持』にある事は明確な事であり、それは米国とて理解していましたし英国側も理解していました。
スチムソン陸軍長官にしても『こと、ここに至ってもまだ天皇の地位にこだわるのであるから、それを認めてやれば良い』と発言してもいました。
それは我が国が『ポツダム宣言は國體護持を含むのか?』と問うていたからです。



これにジェームズ・バーンズ国務長官は回答しました。
天皇及び日本国政府の国家統治の権限は連合軍最高司令官にsubject toする
これは直訳すれば隷属する、従属すると言う意味です。
天皇が連合国に従属するとは日本にとって受け入れ難いはなしです。
そのまま読めば『國體護持』の拒絶です。
これでは抗戦派は激昂です。当然です。
しかし天皇陛下は至極冷静に『公式の敵側の返信でもない放送、しかもその日本の訳語もよく練ったものかも疑わしい。それをつかまえて喧しく議論立てする事など慎むべし』

バーンズの回答には『最終的な日本の政治形態は日本国民の自由に表明する意思により決定される』

米国のギリギリの回答でもあったのでしょう、天皇の地位については日本国民が決めろと言う事です。

その顛末は映画『日本の一番長い日』でも描かれた様に意見の割れた内閣ですが、鈴木貫太郎の策により陛下の御聖断を仰ぐ形でポツダム宣言受諾へと決定します。
これを殆どの人が『ポツダム宣言受諾』のみにフォーカスしますが、それだけではありません。
陛下の御聖断で最も重要なのは『自由に表明される国民の意思』と言う回答を汲み取った事にあるのです。
そして『朕は英米の善意を信じる』と仰った事にあるのです。
つまり、ここで陛下は自ら全ての責任を負うご決断を表明されたと言う事です。
自由に表明する国民の意思は『天皇排斥』であるかもしれない。皇統は断絶するかもしれない。上手く皇統断絶を免れたとしても自らの身は滅するほかない。その様なお覚悟であったのは『もうこれ以上、国民が苦しむ姿を見るのは辛い』と言う一言にも表れている様に思います。

かくして我が国はポツダム宣言を受諾し、停戦となったのです。
そもそもポツダム宣言には軍に対する全面降伏にしか触れていません。
何故なら、対ドイツに対して国家の全面降伏を迫り大失敗をしたからです。
ドイツは連邦国家です。トップはヒトラーで、そのヒトラーは自決。役所があちこちにある程度の連邦国家で誰が降伏を決めるのか?軍の無条件降伏武装解除は出来ても、ヒトラー亡き後、国家の無条件降伏など不可能です。役所の役人とてそんな話しをされても何も出来ません。連合国は始末に窮したわけです。
もう少し踏み込み考えれば、米国とて博打に近いものであったでしょう。
天皇の地位の保障さえすれば日本が降伏する事はわかっていました。ですから、ポツダム宣言→原爆投下→天皇の地位の保障と言う流れを考えていたのでしょう。しかし、米国首脳陣は『原爆投下をしても日本は降伏しないであろう。むしろソ連が参戦すれば降伏するだろう』と分析していました。
この米国の流れを考えれば、原爆は二発しかなく、その後の天皇の地位の保障で日本が降伏しなければ打つ手はなくなるわけです。
そうなればソ連を引き込み参戦させるしかないのです。
終戦後の事を考えれば米国としては避けたいところでしょう。実際原爆投下に慌てたソ連は日ソ不可侵条約を一方的に破棄して侵略して来たわけですから。
容易くソ連を参戦させれば戦後の日本はソ連と米国の分割統治となり、丸で東西ドイツの様になっていたかもしれません。

そう考えると陛下の御聖断はギリギリのタイミングであったのです。
これが天皇陛下の神通力と言うもんです。

ポツダム宣言を受諾し、昭和20年9月2日戦艦ミズーリ艦上にて降伏文書に調印し日本は正式に敗戦国となりました。
我が国では天皇陛下の玉音放送があった8月15日を終戦記念日としていますが、世界では降伏文書調印こそが終戦日となっています。

例えばソ連は、9月2日までは戦時下であったから南樺太、千島列島、北方4島への進軍は正当だったと主張していますね。
ならば、歯舞諸島には9月3日に侵攻していますから明らかな侵略行為です。

そして同年9月27日、マッカーサーと昭和天皇の会見となります。
翌年4月15日まで11回行われたのは皆さんご存知の通りです。




フィリピンで日本軍にコテパンにやられて逃げたマッカーサー。反日感情はあったでしょう。当初『命乞いに来た』と考えていました。しかし命乞いどころか、自らの身を差し出して引き換えに国民保護を訴える陛下にマッカーサーは心揺さぶられます。
この時、何故あれ程日本人は不利な状況にも関わらず國體護持を強く主張したのか理解した事でしょう。
後の大日本帝国憲法から日本国憲法へ繋がる歴史の事実がここにあるのです。
右や左のイデオロギー病に犯された人間にはこの事実を正視する事は誠に耐えがたいでしょう。
あらゆる意味に於いてやっとその事実が認識される時なのです。

さて、降伏文書調印後に米国は三布告なるものを日本に突き付けてきました。

布告第一号:立法・行政・司法の三権は、いずれもマッカーサーの権力の管理下に置かれ、管理制限が解かれるまでの間は、日本国の公用語を英語とする。

布告第二号:日本の司法権はGHQに属し、降伏文書条項およびGHQからの布告および指令に反した者は軍事裁判にかけられ、死刑またはその他の罪に処せられる。

布告第三号:日本円を廃し、B円と呼ばれる軍票を日本国の法定通貨とする。

これはつまり米国が軍政により我が国を占領統治しようとするものです。

これには流石に日本政府も慌てました。
当時の外務大臣である重光葵がマッカーサーと直談判します。
『此れでは國體護持が不可能だ!ポツダム宣言を履行せよ』と迫ります。
マッカーサーも政府の意図を理解し、即日中止を発表します。
重光葵の言うポツダム宣言の履行とは『自由に表明せらる国民の意思』と言うバーンズの回答そのものです。要は『そんな事は日本国民が決めろ』と言うのがバーンズ回答です。
この一連の流れからも我が国が無条件降伏ではないと容易に理解出来るでしょう。
このポツダム宣言の一文は後の旧憲法から新憲法への改正と國體護持へと効いてくるのです。

昭和20年12月17日極東委員会が設立されます。極東委員会とは連合国が日本を占領統治する為に設けられた11カ国の代表からなる最高政策決定機関です。
GHQもその決定に従わねばなりません。

降伏文書調印後、極東委員会が設立されるまでにマッカーサーから憲法改正を示唆する発言を政府は受けていました。
その為、天皇に奏上し草案が作られました。
当初、日本側は改憲について余り真剣に考えてはいませんでした。
帝国憲法を少しイジって改憲とすれば良いと言う程度の草案であったし、そんなものは今すぐやるべき事でもないと考えていました。

しかし天皇と会見し、その存在の意味に気付いていたマッカーサーは違いました。
ソ連やオーストラリアが加わっている極東委員会が発足すれば『天皇戦犯』とし処刑する事は間違いない。
そうなれば、天皇と言う御存在が危うくなります。翌年2月、民政局にGHQ草案の作成を指示します。
同月、日本政府はGHQに『憲法改正綱領』を提出しますが、GHQはこれを拒否。
日本側にGHQ草案を渡します。

日本政府はGHQとの協議を重ね改正綱領を発表、4月『憲法改正草案』発表。
5月22日吉田内閣成立
6月20日帝国議会に改正案提出
11月3日日本国憲法公布
昭和22年5月3日日本国憲法施行

我が国の憲法について、東大憲法学の考えが蔓延しています。
いや、厳密には東大と京大の二つの解釈があり東大が優位であると言えるのでしょうか。
東大憲法学説とはご存知宮澤俊義『八月革命論』ですね。





現憲法に関して
八月革命論

現憲法無効論

旧・新憲法改憲論

これらがあると思います。

GHQが書いた草案だから無効と言う『押し付け憲法論』も無効論に入ります。

八月革命説は『旧・新憲法』は根本建前が変わると言う法理ではありえない改正をやったので、それは法律の限界を超えた。
よって旧新憲法への改正により『國體』が断絶した事は『革命』である。
昭和天皇は新たに新憲法により象徴天皇として即位した初代天皇であると言う説です。
宮澤俊義が言う根本建前とは『主権』です。

帝国憲法では、天皇主権であったものが新憲法では国民主権に変わった。これは改正の限界を超えるもので『革命』でなければ不可能だと言う主張です。
また、ポツダム宣言に於いても連合国は『国民主権』を要求している。よって我が国の國體は断絶した。
この様な解釈を示しています。
しかしポツダム宣言の一体どこにそんな条文があるのでしょうか?
確かに戦時下に於いて民主主義の後退と立憲主義が充分に機能していなかった事は事実です。それは戦時だからです。しかしポツダム宣言第十項には『民主主義的傾向ノ復活強化』を要求する文言があります。
つまりは我が国は本来民主主義的傾向が存在している前提とした内容です。

京都大学佐々木惣一は『デモクラチック傾向の復活強化を要求しているのであって、この要求が君主国から民主国に変更すると言う様なことに関係ない』と述べています。




つまり、我が国は帝国憲法下に於いても普通選挙は行われており、不十分であったとしても民主主義は機能していたのです。
そこへ大戦前には軍閥等が政治に関与する事になり、民主主義的傾向が弱まったというのは歴史的にも事実です。
我が国が民主主義ではなかった、今の北朝鮮の様な軍国主義であったと言う様な事実はありません。
その証拠にハワイにある米国の戦争記念館には米国と日本と言う新興国がお互いの国益の為に、お互い避けようとしたが避け難く遂に戦争になってしまったと表示されており『軍国主義』など一切記述はありません。

天皇主権であったと考えた場合、開戦前の御前会議で昭和天皇は明治天皇の御製『四方の海』を2回詠まれ、戦争を反対する意思を示されています。
なれば、これは主権者に逆らって開戦したと言う事になります。

他方、天皇の『大御宝』とは臣民、現在では国民です。天皇の『大御心』とは臣民の総意です。これは古事記に示された仁徳天皇・民の竈に示されています。
つまりは、天皇と言う存在は『大御宝』に逆らうことは出来ません。
当時を振り返れば事実として国民が対米戦へと突き進んでいたのは間違いない。
つまりは天皇主権と言いながら『大御宝』に逆らえないなら天皇と国民は一体であり、天皇主権はそれ即ち国民主権でもあると言う事でこれを『君臣共治』と言うのです。

更に旧憲法を読めば、天皇の政治的権能はほぼありはしないのです。

八月革命説を取るならば『統治権』の何が天皇から国民に移譲されたのか?
これを明確に答えた者はいません。

そもそも、天皇とは権威の象徴でそれは歴史の事実が裏打ちしており、その存在を担保しているのは国民です。

帝国憲法を書いた井上毅は当初第一条に『大日本帝国は万世一系の天皇が之を知らす』と書いていました。
伊藤博文は『さすがに今の国民は知らすではわからない』と『統治す』と書き換えました。しかし自身の著である憲法義解に『統治とは知らすである』と示してあります。
『知らす』とは知ると言う事です。
天皇とは祈る人です。
国家、国民の安寧を願い一心に祈ります。
祈る事で統治するのです。祈る為には広く知らなければなりません。知れば祈りも強くなります。
広く知り、祈ることで国家と国民をまとめるのです。
それを帝国憲法では『知らす』と言い、現憲法では『国民統合』です。
民の竈でも、臣民の竈から煙が立ち上っていない事を見て、皆が食べる事が出来ないと『知り』税を取る事を6年間止めたのです。
何故なら臣民は天皇にとって一番の『宝』だからです。

時の為政者と言うものは天皇の宝を『お預かり』しているのです。
ですから、お預かりした臣民の為に政を行わなければなりません。
幕末の大政奉還を見ても、政を朝廷にお返しした訳ですが、臣民の為の政ですかららこれは『お預かりした大御宝を天皇にお返しした』と言う事でもあるのです。

宮澤俊義は此れを理解していないのではないでしょうか。
論拠を見れば西洋の王と民の関係と考えているのでしょう。
王と民は対立関係にあり、西洋の王は権威と権力を持ちます。
また王は宗教を背景に王権神授説なるものを根拠としていたりします。

我が国では天皇と臣民は対立構造ではありません。むしろ補完し合う関係です。
また八月革命説では天照大御神の『天壌無窮の神勅』により即位していると言う前提に立ってもいますが、明治天皇による憲法制定の詔勅を読めば皇祖皇宗と初代神武天皇と以降の天皇の歴史的な意向について触れています。
草案を書いた井上毅にしても、憲法に神話を持ち込んでいません。
よって『神権主義』なるものでもありません。
宮澤俊義の前提が間違いであるならば、結果として八月革命説は成立しません。
つまり國體の断絶はありません。

余談ではありますが、男系女系を語る時に女系容認論者がよく言う事ですが『天照大御神が皇祖神ならば天皇は女系だ』とか言い出しますが、コレはアホな論理です。
そもそも天照大御神と須佐之男命の誓約によって生まれた男神である天忍穂耳尊の男子が邇邇芸命であり、この神が降臨なさったのです。
須佐之男命は伊邪那岐命から生まれた神です。つまりは完全に男系血統です。

例えば、天照大御神から生まれた説を採用したとて万世一系とは初代神武天皇からなる男系の血統を指しますから神話は関係ありません。ウルトラエクストリーム解釈で根底に皇統の断絶を望んでいる事は明らかです。

さて、もう一方の無効論です。
無効論では『新憲法制定過程に法的瑕疵があるから現憲法は無効で、旧憲法こそが正当な憲法だ』と言う論調でしょう。
法的瑕疵とは恐らくハーグ陸戦条約でありましょう。
占領下でGHQが書いた草案により新憲法制定は、条約に示された勝手に相手国の法を変えてはならないと言う事を根拠にしているのでしょう。
押し付け憲法論もこれに立脚していますね。

しかし、ハーグ陸戦条約は『戦闘状態』での改正を禁じており、占領時の非戦闘時には効力がありません。
ロシアがウクライナに侵攻しましたが、東部地域を占領しました。
しかし、今だに戦争状態で終結していません。にも関わらず、ロシアは東部地域で勝手に住民投票を行ってロシアに編入しました。
つまりウクライナの法律からロシアの法律に変えてしまったのです。
戦闘状態であるにも関わらずこれを行ったのでハーグ陸戦条約から見れば条約違反です。

また国際法違反を問う事も難しいのです。
国際法とは慣習法であり、違反したとてそれを裁く法などありません。
されは酷いと、国連憲章が作られてもいますが、そもそも敗戦国が戦勝国を裁く事は不可能である上に、国連は戦勝国が牛耳る組織です。

更に現憲法を無効とすれば、八月革命説と同じで戦後國體が断絶している状態とも言えるわけです。
そして現憲法には昭和天皇の御名御璽がある訳ですが、これをどう説明するのでしょうか。
無論、押し付け憲法論を感情的には理解は出来ますが、あくまで理解する程度の話しで言わば『気持ちはわかる』と言う程度。

日本政府は当初から考えが甘かったとしか思えません。
むしろ、マッカーサーはその辺りしっかりと理解していたと思われます。

先に述べた通り、極東委員会はソ連やオーストラリアが代表として参加しており天皇を戦犯として処刑することを強く打ち出して来る事は火を見るより明らかです。
昭和天皇が譲位され、処刑されようと皇統がその後維持されるかは不明です。
ポツダム宣言を履行するにしても帝国憲法では出来ません。

日本側が示した草案は帝国憲法を少しいじった程度でしかない。
これでは天皇を守れません。
天皇と会見したマッカーサーは『死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事情に照らし、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私を骨のズイまでもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとった』と絶賛。
恐らく、昭和天皇との会見により皇室存続を強く意識させたのでしょう。

マッカーサーはGHQのホイットニーに草案作成を命じたのですが、その起草にあたり『天皇は国の元首にあたる、皇位は世襲される、天皇の職務及び権能は憲法に基づき行使され、憲法に示された国民の基本的意思に応えるものとする』と言う事を盛り込みたいと述べています。

しかし、最高司令官が諸改革の実施を日本政府に命令するのは最終手段とも考えていました。何故ならば、それが連合国側から諸改革が強制されたと日本国民が知れば、日本国民はそれらを受け入れず支持もしないだろうと考えていたからです。
にも関わらず、最終手段に出た理由は極東委員会にあるのです。
天皇存続の為のウルトラCと言う事です。

ポツダム宣言のバーンズ回答に示された『自由に表明される国民の意思』により天皇の存続を国民が決めた

この様な大義名分を立てる事で天皇と言う存在を守ろうとしたのです。

しかし先に述べた様に、草案がGHQであるのは秘中の秘ではあるものの枢密院はそれを掴んでいたようです。
当初、枢密院は改正に反対でした。
しかし、枢密院は賛成に回ります。
議事録は残ってはいませんが、鈴木貫太郎と吉田茂の説得や説明があった様で、この後枢密院が賛成に回った事実を見れば議事録はないが容易に推認できます。

新憲法可決後、鈴木貫太郎は『これで國體は護持された』と漏らしてもいます。
『國體の芯の芯は守られた』と発言する者もいたのです。

現憲法1条から8条は國體について明記されています。
押し付け憲法論に立脚すればそれは『押し付け國體』と言う論理が成立します。
尊皇と宣いながら、この押し付け國體論と言う危険性が理解出来ないとすれば、事実が認識出来ない無知蒙昧丸出しです。
國體が押し付けなら辞めてしまえ!と言う世論が形成されかねない。

この辺りが理解出来ていない事が問題です。

現に東京裁判に於いて、被告に天皇がいない事に言及している判事もいたのですから、マッカーサーのナイスプレイとしか言いようがありません。
敗戦国の国家元首を存置するギリギリの判断であったのは事実です。

マッカーサーには思うところがありますが我が国の國體を護持しえて、2000年を超える伝統の火を絶やさなかった功績は小さくありません。

例えば、現憲法の第一条には
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
この様に明記されています。
我が国はナシオン主権と言うものをとっています。
主権の存する日本国民とは、ナシオン主権に於いて現在の国民だけではなく、過去そして未来の日本人をも含みます。
これと真逆なものがプープル主権と言うものです。

GHQの草案が基であるのにも関わらず、ナシオン主権に基づきしっかりと國體が過去から未来へと繋がっていると明記しているのではないでしょうか。

ならば、八月革命説も無効論も余りに思慮が足りないのではないでしょうか。
いや、何と言うか実にバカバカしい話しです。

左翼は先の大戦について、その時代を無視して批判し、その時代を批判せず国の為に散華された我々の先達のその苦労をバカにして己れの間違った、全く言語化すら出来ず定義すら作れぬアホなイデオロギーを正義と思い込んでいる無知蒙昧丸出しで自らの知能の低さを吐露するに過ぎない。

右翼は先の大戦を無闇に美化して、アホな論理で己れの都合の良い様に御英霊を祀り上げて排他的に論じている。國體の芯の芯を理解しようともせず、我々日本人が積み上げてきた大切な歴史を神輿に乗せて社会主義をやろうとしている。

例えば、東京裁判にしても随分と思い違いをしていると思います。

日本無罪論を展開し、我が国でもそれを顕彰しているインドのパル判事。


いわゆる右寄りな人々からは絶賛すらされています。
確かに彼は日本無罪を唱えた。
しかし、彼は『南京虐殺については事実』と述べています。
1235ページに及ぶ日本無罪の意見書は見事なものですし『司法裁判所は政治目的を達成するものであってはならない』と述べてはいます。しかし、全体的な論調は事後法で裁くなと言うものでもあります。

フランス人判事アンリ・ベルナールもまた日本無罪を主張した人でもあります。


しかしこれを知る人は少ない。
それは彼が『東京裁判で天皇が不起訴』であった事に異議を唱えていたからではないでしょうか。

ベルナールはパル判事の無罪論ですら『法立証主義にとらわれ過ぎだ』と発言しています。
彼は満州事変をありふれた事件とした上で『自衛するべきであると思う時に自衛権はある』と言い『実際に攻撃も侵略もないケースに於いても自衛権発動を妨げるものではない』と満州事変は自衛権の発動だとする日本側の主張を支持していました。
また日支衝突について日本側の責任を問う事は間違いであるとも述べ『事変と称される事実が起きた時点で支那国民党政府自身、日本を敵国とみなしていなかった』と述べています。
更に『法的な解決、或いはイニシアティブを取るべきは日本によって行使される特権の廃止を求めていた支那にある』と主張。

共同謀議についても定義がない上に証拠もないと主張しました。
コレは事実を見れば全く正論で、当時と言えばコロコロと政権交代ばかり繰り返していたのですから謀議のしようがありません。

ベルナールはその意見書にて日本側の自然法について触れ、日本の自衛権は自然法の範疇であるとしました。
しかし、その自然法によって侵略戦争が犯罪でことは証拠があれば立証可能ではあるが、日本の侵略陰謀の直接的証拠はない。東アジアを支配したいと言う希望の存在は証明されたが、希望を平和に対する罪なるもので有罪にする事は出来ないと主張しました。
また予審もなかった事にも言及し裁判そのものを正当性がないと断じています。

至極真っ当な意見ではないでしょうか。
大陸での我が国の振る舞いを正当な行為と言っているに等しい話しです。

またよく言うWGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム)、いわゆる連合国側が日本人に贖罪意識を植え付けようとした政策てますが、これもやたらと評価され過ぎです。
戦後80年、こんなものが効いた事などありはしない事は火を見るより明らかです。
こんなものは歴史の事実を見ればアホでもわかります。

昭和22年
共産党と左翼勢力がゼネラルストライキをやろうとしたのです。
戦争勃発を期に禁止され解体された労働運動でしたが、GHQは米国式民主主義を日本に植え付ける為に、意図的に労組勢力拡大を容認しました。
共産党と労組幹部と結び付き人民政府なるものの樹立を目指し出します。
吉田政権妥当をスローガンに労働者の生活確保と大義名分を打ち出していますが、何のことはない共産主義政府樹立の運動です。
『デモだけでは内閣は潰れない!労働者はストライキをもって断固、吉田亡国内閣を妥当しなければならない!』と労働闘争により内閣妥当と日本の共産化を目指したのです。

既に東西冷戦化を感じとり、共産主義を脅威と感じていたのでしょう。GHQはこのゼネストに中止命令を出して潰します。
GHQ内部でも幅を利かせていた左派精力はコンサバ勢力に取って代わられ、パージされていた保守層、いわゆるブラックパージされていた連中が次々と戻り出します。
後に、皆さんもご存知の赤狩りへと繋がるわけです。

それ以降、GHQの態度は変わるのです。

その辺りの事実を見れば、WGIPなどどれだけ長く見てもたかが2年ある無しです。
こんなものが戦後80年も効果を出し続けるなどありません。

事と次第によっては我が国はソ連と米国による分割統治と言う現在の朝鮮半島やかつての東西ドイツの様になる寸前であったわけですが、何とか米国が占領することになり分割統治は免れた訳ですが、それでもソ連からの赤化の圧力はあったのです。

米国にしても対戦時は民主党政権であり、ルーズベルト大統領は社会主義者でありました。



ハルノートで知られるコーデル・ハルはコミンテルンであった事は今や事実です。



戦後の我が国の労働争議も社会主義運動がその根っこです。
戦後のインフレを背景に、社会主義により国家統制を目論む連中が労働者を焚き付けて日本を社会主義化しようとしていたのです。

現に戦後、社会党の片山政権すら誕生していたのですからコレは間違いありません。
農地改革にしても画策した連中は社会主義主義者です。結果としてこれは赤化を防ぐ事になったので良かったです。
社会主義化を望んでやった政策は結果的に共産化を防ぐ事になりました。
戦後の経済新体制綱領では国家社会主義丸出しであったのは事実で、自由主義経済を標榜していた小林一三など経済人は猛反発していまささた。小林一三は阪急電鉄の創業者です。

戦後の左翼的教育を見ても容易に理解出来る様に、常に赤化の圧力を受けていた我が国です。
米国は、かなり過激とは言えレッドパージまで行って来ましたが、戦後の我が国はいわゆる赤がマスコミ、教育といった所に浸潤して現在にいたるわけです。

要するにWGIPよりも、我が国の戦後の問題は社会主義や共産主義に浸潤されて来た事にあるのです。それが証拠に大学の経済学部では信じられない事にマルクス経済学なるものを教えているわけですから。

1951年の米国議会マッカーサーは対日戦争は間違いだったと証言し、東京裁判などやるべきではなかったと発言しています。



終戦後、石原莞爾は米国の間違いを指摘し日本が何と戦い、今後米国がどう苦しむかを病床で説いていましま。

ソ連との冷戦が始まり、中華人民共和国が建国し、朝鮮戦争の勃発。
マッカーサーは石原莞爾の言葉が身に染みたでしゅう。

戦争する相手を間違えた。

都市空爆や原爆にも触れ『あれは虐殺』と認めたのです。
自身は次の大統領候補でもあったのですからこの証言は大変なものです。

これが我が国への占領統治終了を早めた事は間違いありません。

イデオロギー病に冒された人々は、左の人間は事実を『歴史修正主義』と言うのです。
こんなもの、戦争を指揮し、あの東京裁判を管轄した人間が己れの地位もかけて証言したのですから戦後6年で勝った側が歴史を修正したのです。

右の連中は、ルサンチマン丸出しにやたらと美化して歴史の事実は無視しているのです。

戦後80年も経てば、新たな事実が掘り起こされるのは当たり前です。

そういった事を無視して、例えば憲法など語ることはできません。

そもそも『憲法とはなんぞや』が全く議論されていないのですから。

いつまで、戦後左翼の影響を受け続けるつもりでしょうか?

八月革命説

ハンデキャップ国家論

憲法九条平和論

日本人はどれだけ、ものを考えなくなったのか?

単純な話し

生きる気ないんか!

と、思う次第ですね。































優生思想と社会主義

2024-06-03 17:48:00 | 草莽崛起
優生保護法による被害者が国家賠償を求めて裁判を起こし、全ての審理が終わり今夏にも最高裁は判決を下す見込みです。

これが優生保護法に対する一つの基準となる判決であるのは間違いありません。

優生保護法は現代社会では明らかな『人権侵害』であるのは間違いないでしょうし、異論のある方もまずおられないでしょう。
しかし、現実として1948年から1996年まで施行されて来た法律です。

我々はただ『人権侵害だ』と叫べば良いと言う話しではありません。
それが如何なる思想の下、1996年まで続けられたのかをよく考えなければなりません。

ダイナミックな思考を巡らせ、我が国の『今そこにある危機』をしっかりと見つめなければ祖国は某国と成り果てるのです。

我が国の『優生保護法』は戦前にまで遡って見なければなりません。
明治13年(1880)年、堕胎罪が規定されました。母体が危険な場合など例外規定を設けて、それ以外の理由による人工妊娠中絶が禁止となりました。
その後、昭和9年(1934)『民族優生法案』が議員提案されナチスドイツの遺伝病子孫防止法をモデルとし『国民優生法』が制定されました。
悪質なる遺伝性疾患の素質を有する者の増加の防遏すると共に健全なる素質を有する者の増加を図り、以って国民素質の向上を期する事を目的とす
と、言う様なもっともらしい大義により制定されましたが優生思想の導入、人口妊娠中絶や不妊手術の規制を図るものでした。
しかし実態としては『悪質遺伝防止』よりも人口増加が最優先されていましま。

敗戦後は優生保護法と改められて、優生思想はそのままに強制不妊手術の他、一定の要件を満たせば中絶、不妊を合法化しました。
様々な考察はあるものの、戦後の混乱状態で治安維持が困難であり進駐軍による乱暴狼藉の結果としての望まぬ妊娠、いわゆるGIベイビーや寿産院事件、復員兵による人口増加など諸問題がこの法制度に影響を与えたと思われます。

政府は戦争による人口減少を懸念して産児制限には消極的でした。
この優生保護法に前のめりであったのは加藤シヅエ議員(社会党)議員でした。




加藤シヅエは『戦前の国民優生法は軍国主義の産めよ殖やせよの精神によって出来たもので、手続きも煩雑であり悪質遺伝防止の目的を達成しうるものではない』と批判。
『飢餓戦場に立たされる国民の食糧事情、失業者の洪水、絶無に近い医療そのどれをとっても産児制限は必要だ』と訴えました。
そもそもこの議員は戦前より産児制限運動を主導する人物です。
何故そこまで強く優生思想や産児制限に傾倒しているのでしょうか。

19世紀、フランシス・ゴルトンと言うイギリス人学者が提唱したのが優生学です。
『人類の遺伝的素質を改善する事を目的として、悪質なる遺伝的形質を淘汰し、優良なるものを保存する』ことを研究する学問と定義されています。
その様な優生思想の実現の為に強制的に不妊手術や断種を行う政策が優生政策です。

20世紀に入り、アメリカで積極的に優生政策が取られた事を皮切りに国民保護の為と世界的に支持を集める様になりました。
1907年アメリカ・インディアナ州で世界初の優生思想に基づく堕胎断種法が制定され、以降1923年までに32州で制定されます。
カリフォルニア州などでは、梅毒患者や性犯罪者も対象とされました。

1930年代には、欧州や北欧にも広がり次々と制定されていきました。

このアメリカの断種法はナチス・ドイツにも多大な影響を与え優生政策が『障碍者の断種』を超えて『障碍者の殺害』にまで至る事態を招きます。
これがその後のナチスによるユダヤ人迫害にまで至ったと言うのは容易に想像できます。
偉大なるゲルマンは他の民族を支配しなければならない、ユダヤ人は根絶やしにしなければならないと言う発想にまで発展したのです。

さて、先述の加藤シヅエですがロシア革命に感化され、夫と共にマルクス主義、社会主義に系統し労働者問題の改善と言う活動に傾倒するゴリゴリの社会主義者です。

夫が労働問題の研究の為に渡米すると、幼児二人を実家に預けて自分自身も後を追って渡米します。
その後、ニューヨークで秘書学などを学びますが、そのあたりから周辺の社会主義者らと親交を持つ様になります。
ジャーナリスト、アグネス・メドレーを介して貧民街で産児調整運動をしていたマーガレット・サンガーと出会います。
このマーガレットを生涯の師と仰ぐ様になります。

マーガレット・サンガーはゴリゴリのフェミニストであり社会主義者です。
その上、有色人種に対する差別主義者でもあったようです。
黒人に対する差別意識は強かった様です。

マーガレットを師と仰ぐ加藤シヅエは昭和21年(1946)4月の第22回衆議院選挙にGHQの要請を受けて出馬、日本社会党から衆院議員最高得票当選を果たし、日本初の女性国会議員の一人となります。
公約は『アメリカ型自由民主主義の導入と、家族計画、女性の社会経済の地位向上』でありました。

この辺りを鑑みれば、相当アメリカとズブズブな関係ではなかったかと思われます。
日本家族計画連盟なるものを結成し、核家族を推進もしています。
成田闘争にも参加し一坪地主にもなっています。
歌手のさだまさしは加藤シヅエを大絶賛し歌まで作っています。
社会主義者でフェミニストであった加藤ですが、さだまさしの『関白宣言』を何故か絶賛していますからよくわからないもんです。

さて、ここで申し上げたいのは優生思想なるものが社会主義やフェミニズムと結びついている事です。
戦後の優生保護法を『最悪』と断じているアホの社民党・福島瑞穂ですが、元を辿れば嫌がる政府をねじ伏せて推進した社民党の前身である日本社会党です。
その事をまさか知らないはずもなく、ほっかむりをして断じるなど自ら愚かなるを晒す様なものです。

この様な郵政思想や実際の政策は、後のナチスの選民思想と結びつきユダヤ人の迫害へと繋がるのです。
ナチ党は国家統制による社会主義で『革新派』と言われる連中です。

戦前に於いての『革新』は右翼をさす言葉であり、革新を左などと言う様になったのは戦後の話しです。
それについては拙著記事にても掲載しています。


また加藤シヅエの提唱する政策を見れば、戦後アメリカが押し付けた政策そのものです。
また、生涯の師と仰いだマーガレット・サンガーは社会主義者でフェミニスト。
更には人種差別主義者です。

加藤シヅエに、自覚があったかどうかはわかりませんが社会主義なる思想はとどのつまりは選民思想であるのは明白で、昨今の左翼連中の発言を見てもよくわかります。
自らの意見は必ず正しいとばかりに宣う始末。国民が安倍政権を選択すれば『国民はバカ』だと罵り、我々が真の国政を教えてやると一体どの目線で言い出すやら。

そして右翼も同じです。
国家統制による社会主義を目指していたのが右翼です。
そうした連中が、自らの主張の為に天皇と言う御存在を神輿に乗せて社会主義をやろうとしたのが226事件です。

そして右であろうが左であろうが、自らのイデオロギーの為に大切な国民の根幹、日本と言う国の根幹を利用していると言う問題があり、何より日々普通にコツコツと暮らす大多数の国民を蔑ろにしている事です。

自らのイデオロギーの為に、天皇陛下と言う大切な御存在を恣意的に利用し、国旗を恣意的に利用し、国歌を利用する。

自らのイデオロギーの為に、大切な御存在である天皇陛下の写真を芸術だと言って燃やす、国旗を燃やし国歌を忌避する。

右翼も左翼もイデオロギーの病に犯された同じものです。
昨今も、地方選挙に於いて落選した候補者が当該地の有権者に対して『自らを選ばなかったから、この地域は没落する』と投開票日の夜に言い出す始末です。
これこそが統制であり選民、有生思想の根っこであり、本人すら気づいていないでしょう。

私が社会主義や共産主義を忌避する理由がここにあるのです。
そして、右翼や左翼を忌避する理由でもあるわけです。

選民思想や有生思想、果てに全体主義なる統制と言う馬鹿げた発想と言うものが根っこにあるが故に保革を標榜する、自称する連中が全くまとまらずに内ゲバを繰り返すのです。

僅か数%のバカを横目に一般の大多数の国民は正しい判断をしよう、我が子の為に、我々の子々孫々の為に今を一生懸命に生きているのです。

僅か数パーセントのバカに好き勝手されるわけにはいかないのです。









破綻病にはCDS

2024-05-29 16:14:00 | 草莽崛起
今だに『国の借金』理論で破綻病を拗らせている人がいますね。

つい先だっても立憲民主党の枝野幸男が
『減税をすれば財政が悪化する』と頭の悪い事を宣うていましたが、流石に党内からもバカ扱いされるでしょう。

毎度お馴染み、日曜日の朝からバカと無知と知的障害レベルのコメンテーターに台本を読ませて世論誘導を試みる『チョンデーモーニング』ですが、相変わらず国借金理論で破綻病全開にエンジンを吹かしています。

拙著ブログに於いても、この破綻病と言う恐ろしい病については2015年に掲載しています。
宜しければ一読下さい。

日本と言う国が債務不履行に陥る事は、少なくとも今後5年以内にはありません。
ものの計算によれば、デフォルトする確率は1%未満だそうです。

今般、市場は日銀がまた利上げするぞ!と読み日銀買いオペに応じず応募割れを起こしていました。
『日銀の利上げで国債の利払いが増えて大変な事になるぞ!』と、またぞろ破綻病罹患者が騒ぎ立てる始末。

しかし、借金ばかりに目を向けて資産には全く触れません。何故なら病気だからです。

政府資産の8割は金融資産ですから、利上げをすれば収益が上がります。
債務と資産の利子を見れば政府は薄っすらですが黒字です。

銀行も、日銀が利上げを昨年秋頃からチョロチョロ漏らすので、利上げに備えて売却を控え利上げと同時に売却し3兆円を超える利益を手にしています。
こんなものはある種のインサイダー取引きです。

破綻病患者は『利上げ』により利払いを問題視して騒ぎまくり財政均衡を声高に叫びます。だいたいが反政府、反アベノミクス、反日の連中ですから、お里が知れると言うもんです。

そもそも、マイナス金利政策は『労働者』の為の政策です。
雇用を確保し、賃金を上げるものです。

バブル崩壊以降『失われた』何とかと言う状態は金融政策と財政政策の失敗...と、言うかマクロ経済理論からかけ離れた政策で、全くの間違いです。
それを積極的に是正さ雇用を伸ばしたのがアベノミクスです。

円安是正の為に、利上げなどすればまたもや我が国は没落します。
政府はそもそも円安で50兆円ていど利益を上げています。

つまり、今日本で一番儲けているのは大手企業と、政府と銀行です。
政府が利益を上げ懐に入れているのが間違いです。全て国民に還元しなくてはなりません。
還元とは簡単で減税と給付です。

円安と物価高に対抗する手段は利上げではなく『減税』です。

円安で増えた収益は、輸入に頼る中小零細企業に回す事です。

日本は破綻しません!

だから減税で景気浮揚しなければなりません!

利上げと円安で儲けているのは銀行と政府です!

一番苦しいのは一般国民です!

CDSをご存知ですか?
クレジット・デフォルト・スワップ

国債や企業の債券に対する『保険』の様なものでデリバティブ商品です、要するに金融派生商品です。

破綻リスクが高いものは、当然支払いが高くなります。
一般のサラリーマンとF1ドライバーでは、生命に対するリスクはドライバーの方が高いので、保険掛け金が高くなりますね。
そんな様なものです。

破綻するリスクの高い債券は、高い保険料となります。

bps(ベーシスポイント)と言うもので表されます。
100bpsは1%になります。

トルコ 263.25bps=2.6325%

エジプト 562.1bps=5.621%

アメリカ 36.88bps=0.3688%

イギリス 24.25bps=0.2425%

トルコやエジプトはリスクが高いのでbpsが高くなっています。
この数値は当てずっぽうではありません。
市場原理に基づく数値です。
そしてCDSは5年ものですから、エジプトなどは5年で額面の28%を支払わねばなりません。

逆にアメリカ国債は1.8%の掛け金です。
しかもアメリカ国債は海外でも大量に買われています。
かなり信頼度が高いですね。

では我が国はどうでしょうか?

日本 23.22bps=0.2322%
しかも殆ど変動なしです。
5年の掛け金が1.1%でアメリカより低いのです。
しかも自国通貨立て、90%が国内保有です。
破綻のしようがありません。

例えば、日本国債が10年後破綻すると仮定しましょう。
CDSは10年で2.3%です。
国債の利子が1%ですから、10年後には10%です。

10%−2.3%=7.7%
しかも破綻すれば元本を保障してくれます。

10年後破綻して、更に7.7%の利息を受けとり元本も戻ります。

こんな金融商品はありませんよ!
素晴らしい!

逆に買いです!

必ず儲かる!

これで一体、どうすれば破綻するのでしょうか?

仮にCDSが同じなら、破綻するまで500年ほどかかる計算になります。

破綻病にはCDS!

処方箋はCDSで。