犬神スケキヨ~さざれ石

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Japan Air Line 123 ⑤

2021-07-22 16:45:00 | 連続
ここまでで、ボイスレコーダー冒頭の警報音について『客室高度警報』か『離陸警報』かについて述べて来ました。

さて今回はまた違う角度から考えてみたいと思います。

先ず事故調の見解として以下の事を述べてみたいと思います。



与圧隔壁の金属疲労部分から破断
0.05秒後、機内から噴出した空気により機体尾部の差圧が『4psi』まで上昇

これにより防火壁とAPU(補助エンジン)が離脱、その事により圧力が解放され差圧が急低下

0.3秒後、垂直尾翼点検孔から入った空気により内圧が上昇、上部リベットが飛び破壊が始まる

0.4秒後、内圧が4.75psiに達した内圧に耐えきれず垂直尾翼の半分以上が飛散


以上が事故調が出した結論です。

しかし、この事故調の説では垂直尾翼を吹き飛ばす事は不可能でしょう。

そもそも機体尾翼が脱落し差圧が一旦下がった後に、再び上昇するとは物理的に考えてありえないからです。

機体尾部のセクション48と言われる部分には高圧エアーパイプが通っており、万が一それが破損しても尾翼を保護する為にわざと1.5psiにしか耐えられない構造になっています。

更に1.0psiになった時点で与圧隔壁の下にあるプレッシャーリリーフドアが開く仕組みになっています。



例え尾部の内圧が上昇しても二段階で尾翼を守る構造になっているために、垂直尾翼が内圧で吹き飛ぶと言う事はあり得ないのです。



実はフライトレコーダーのデータを見ると、衝撃音から約1秒後に操縦桿は押し込まれ、ペダルは右に踏み込まれているのです。

これは不可解なデータです。
一体何を意味しているのでしょうか?

自動操縦から手動操縦に切り替えられたのはデータを見ると37.92秒から38.92秒の間になります。

しかしフライトレコーダーのデータからではこれが自動操縦によるものか、或いは手動によるものかよくわからないのです。

もし自動操縦による操作であるならば、6°上に機首が向いた事は以前に述べましたから、これを水平に戻そうと自動操縦による操作と考えられます。操作は37秒の時点であるとわかっています。

しかしフライトレコーダーのデータを見れば37秒時点では、まだ機種は水平を保っています。
と、言う事は自動操縦によるものではないと考えられるのです。

では可能性として考えられるのは、当時操縦桿を握っていた副操縦士が実際に操作したと考えるのが自然です。

では何故、この様な操作をしたのでしょう?

衝撃音に驚いてつい操作してしまったのでしょうか?

通常、自動操縦はパネル部のスイッチで解除します。
しかし緊急時等では、操縦桿に付いた自動操縦解除ボタンで解除できます。

フライトレコーダーのデータによると、操縦桿を一杯に押された状態で解除されている為にこれは、操縦桿の解除ボタンで自動操縦を解除したと考えられます。

つまり何らかの理由により、意識的にこの様な操作を行ったのです。

事故調査報告書には、操縦桿やペダルの操作については書かれていますが、その理由については書かれていないのです。
事故原因究明に大きく関わると思われるはずなのに、全く触れられていないのです。

この最大の謎を考えなければ、事故原因に迫る事は出来ないでしょう。



報告書によれば18時24分35.70秒に約11tの前向き外力が作用したとしています。
上の図の上から3番目のグラフで見てとれます。

36.20秒以後の大きな変化は機体運動によるものとしています。



九州大学名誉教授
大平博一氏は、前後加速度の最初の部分はエラーとして読み飛ばすべきだと、1995年の報道番組のインタビューで答えています。

元日航パイロット
杉江弘氏は前方へのGが検出されているのは、後方への力が働いた事による反作用であると考えるのが自然であると、事故調査報告書の与圧隔壁破壊説を肯定しています。

ならば、時速500km以上の速度で飛行するジェット旅客機を前方へ加速させるほどの力が与圧隔壁破壊によって起こったのでしょうか?

では生存者の証言『客室内に空気の流れはなかった』と言うのはなんなのでしょう?


元大手航空会社パイロットの方が以前に匿名で証言していましたが、11tもの前向きに押し出す力が作用したなら、機内風速は50mにはなったはずであると。

しかし事故調は10m/sの空気の流れがあったとしています。

上の写真を見ても空気の流れがあったとは思えません。

では、前後方向加速度が示す11tもの前向き外力とは一体何なのか?

次回詳しく考察してみたいと思います。

続く...








Japan Air Line 123 ④

2021-07-18 15:30:00 | 連続
前回は警報が客室高度警報ではない可能性を示してみました。

警報は実際には1.4秒で停止しています。
客室高度警報が停止する条件は以下の通りになります。

気圧高度が−500〜−1500ftまで降下する

機関士が停止する

機関士が1.4秒で停止するとは考え難いですね。もしその様な短時間で停止するならば構えて待っていなければならないでしょう。ならば事前に知っていた事になります。

降下するにしても1.4秒と言う短時間で13000ftまで降下しなければなりません。
不可能です。

ボイスレコーダーを聞けばわかりますが、機長は22000ftまでの降下をリクエストしています。

つまりそれ程の短時間で急減圧があったとは考え難いのです。

更に酸素マスクをつけた方が良いという機関士からの提案は衝撃音から9分後です。



これは約25年前に放送された特別番組でも実験されていましたが、高度24000ftで、急減圧が起き酸素不足に陥ればまともな判断が出来るのは2分が限界です。
これにより、当初は酸欠に陥ってしまったパイロット達は操作を誤ったのではないかと実しやかに噂された理由です。

しかし実際にはボイスレコーダーの解析から、全くそうではないと判明しました。
15年が経ち、内部リークされたボイスレコーダーにより、その汚名は晴らされたのです。

事故調によれば

18時24分37秒、1秒間に3回警報が鳴り停止。27秒間停止した後に25分02秒からまた鳴り出す。

事故調はこれに対して
1秒間鳴った後、故障して27秒後に装置が復活してまた鳴ったと言う訳のわからない推論を述べています。

しかし、実際には1.4秒間に5回鳴った。
しかも、そもそも客室高度警報が鳴っていないと考えたなら、故障も起こしていないのです。

この様に考えれば、そもそも急減圧があったことすら考えられません。
もし短時間にそれ程の急減圧があれば、機内には風速数十メートルの空気の流れがあったはずですが、証言からもその様な事実はありません。

客室高度警報でないならば、あの警報は同じ音を使っている離陸警報と言う事になります。

ネット上には実しやかに囁かれる噂があります。

ボイスレコーダーの24分46秒の部分です。
事故調はこの部分を『オールエンジン』と言う発言と解析しています。

この部分がネットでは『オレンジエア』だとし、訓練用模擬飛行機がオレンジなのでオレンジエアだと言うものです。
このオレンジエアが事故に関わっている。
元自衛官である機長はこれを知っていたから思わずオレンジエアと発言したと。

しかし、実際には機関士が発言したものであり、更にオレンジエアなる言葉もありません。
後にこれは『ボディギア』だと、ボイスレコーダー解析者も訂正しています。

しかしボディギアでもないのです。

実際には、これは元旅客機パイロットも衝撃していますがオレンジギアであると思われます。


そして57秒にも同じ発言があります。
これはオレンジドアではないかと思われます。

そう考えると辻褄が合う。

フライトレコーダーを見れば、衝撃音の直後に機首が6°変化しています。
この6°の変化が元に戻るまでの時間が1.4/sなのです。



着陸装置には安全装置が付いています。
これが最初の衝撃と機首の傾きにより安全装置に不具合が出た。
具体的には安全装置のセンサーが着陸装置の不具合を感知した。
しかし機首が戻る事で警報が止まったと考えられるのです。


そしてそれらの警告灯は機関士の前にあり、異常がなければ緑色に光っています。
異常があればオレンジに光ります。

例えば離陸後、ギアに異常が無ければ『オールグリーン』や『ギヤグリーン』と発言します。

それを考えると着陸装置のインジケーターがオレンジに光り『オレンジギア』や『オレンジドア』と機関士が機長に知らせたと考えられるのです。

これらを考え合わせると

18:24.35の警報は客室高度警報ではなく、離陸警報であり、25.04から客室高度警報が鳴り出した。
そう考えれば、異常から29秒かかり緩やかに減圧していた。
と、言う事になります。

事故調は5秒強の減圧時間を示しています。
更に少なくとも10秒以内であると。
しかし実際には29秒かかっているのです。

計算では垂直尾翼を吹き飛ばす為には客室高度が5秒以内に10000ftに達しなければなりませんが、事実はそうなっていません。

では、一体何が原因で機体後部や垂直尾翼が吹き飛んだのか?

次回、更なる可能性について考えてみたいと思います。

続く...








Japan Air Line 123 ③

2021-07-16 18:47:00 | 連続
18時24分35〜36秒
『ドーン』と言う衝撃音と共にこの悲劇は始まってしまいます。

18時24分37秒
警報音が鳴り響きます。

この警報音を事故調は客室高度警報音として事故調査報告書に記載しています。
1秒間に3回警報音がなったと。

この客室高度警報こそが、急減圧があった証拠であると言う見解です。
これこそが与圧隔壁破壊の為に起きた急減圧で、されを示すのが警報音であると結論付けました。

しかし、本当にそれが正しいのでしょうか?

実はこの警報音は1秒間に3回ではなく
1.4秒間に5回鳴っていたのです。

これは、ノイズリダクションをかければハッキリと判りますし、可視化されたグラフにも1.4秒間に5回鳴ったと言う事が示されたのです。

そもそもボイスレコーダー冒頭の衝撃音の後に鳴り響く警報音は客室高度警報音と離陸警報のどちらかです。
両方は同じ警報音を使用しています。

離陸警報は主に地上で、客室高度警報は離陸後使用されるものであるから、同じでも構わないと言う事です。

24000ft上空は約8000m弱です。
この高さの気圧は0.3気圧です。
空気は薄く、デスゾーンと呼ばれる高さです。

その為に機体内部は圧力が高められ地上気圧に近い状態にされています。
これを与圧と言います。

B747には2種類の与圧があります。
差圧8.9psiこれは、更に高高度を飛ぶ事が多い国際線が主に行う与圧です。
差圧6.9psiこれは主に国内線が行う与圧です。

そして当時のJALは国内線に於いても8.9psiに設定されていました。
事故調はコレに対して『6.9psiならば与圧隔壁の疲労は3倍に延びていただろう』と見解を示しています。

さて、この差圧とは客室内の気圧ではありません。
差圧とな外気圧と客室気圧の差を表すものです。

これを計算する公式がありこれを
測高公式と言います。

P=po{1−0.0065z/(to+273.15)}^5.257

poとは気圧(hpa)
toは地上気温(℃)
zは高度(m)

事故当日の気象を加味しながら計算すると

地上気圧1013hpa、当日の気温26.3℃、高度は7285m
先の公式を基に計算すれば
上空気圧P=409.84hpaになります。

これを重量毎平方inchに直します。
(÷68.948)

5.94psiとなり23900ft気圧となります。
これは衝撃音がした時に飛んでいた高度とぴったり合います。

では客室気圧を計算してみましょう。

1013hpa、外気温26.3℃
客室内設定高度198.12m(650ft)
990.3hpa
(÷68.948)

14.36psi(0.977気圧)となります。

14.36−5.94=8.42
差圧8.42psi

事故調もほぼこれと似た差圧を計算しています。
事故調はこの差圧こそが後部圧力隔壁を破断に導き、客室の気圧を一気に低下させた為に、冒頭の警報は客室高度警報が作動した音であると推定し結論付けています。
しかしこれはあくまで『推定』です。

果たして事故調の推定は正しいのか?
寧ろ事故調の事故原因に対する結論から考えれば『客室高度警報でなければならない』と言うご都合が働いているのではないでしょうか。


当然ながら、客室高度警報が鳴るには条件があります。

それは客室内気圧が10000ftに達した時に警報音はなり出します。

事故調が示したグラフ計算では衝撃から最速で1.656秒です。

この客室高度警報のセンサーはコックピットにあります。
圧力隔壁で変化した気圧はコックピットのセンサーに届くまでの時間はパスカルの原理にしたがい時速1224kmで届きます。
これはつまり音速で均一に広がるわけです。

東大名誉教授の加藤寛一郎氏は大雑把ながら『圧力隔壁の開口が1㎡ならば2.4秒』と計算しています。


事故調は圧力隔壁破壊により約11tの前向き圧力がかかったとしています。

加藤教授はフライトレコーダーから
力=(重量÷G)×0.05G=0.05×重量=12t
と計算しています。
そこから圧力隔壁の開口面積を0.83㎡と導きだしています。
更に開口面積が1㎡、客室気圧1気圧であった場合の計算が2.4秒と言う事です。
つまりこの時間は客室の圧力高度が圧力隔壁破壊から客室圧力が10000ftに達して、警報がなるまでの時間と言う事です。

しかし、事故調は開口を1.8㎡と言う見解で1.656秒と試算しています。

また、事故調の報告書では減圧が緩やかだった場合でも5秒としています。

つまり事故調は1.656秒から5秒の間に客室高度警報が鳴ったはずだと推定しているのです。

圧力隔壁から収録用マイクまでの距離は53.7mです。
最初の衝撃音がマイクまで届くには経路は2種類。
一つは機体内部を伝わる空気伝播。
もう一つは機体そのものを伝わる固定伝播音です。

音の速さは密度と体積の弾性率で変わります。即ち硬さです。
密度が高く硬いほど音は早く伝わる。

普通に考えれば機内の空気伝播音より機体を伝わる個体伝播音の方が早く届いたはずです。

空気中の音速は摂氏0℃1気圧の場合、331.5m/sです。
1℃上がる毎に、0.6m/s速度があがるので機内を25℃とした場合

331.5×0.6×25=346.5m/s
と、なります。

機体は金属ですから密度が高く硬い、約空気の15倍程度で5000m/sになります。

しかし旅客機の機体構造は複雑な為、機体を伝わる正確な速さはわかりません。
しかし、空気伝播音と時間差があった事は確実です。

過去にこの時間差をあるテレビ番組が解析したことがあり、その時間差は約0.14秒と結論しています。

空気伝播音が機内マイクまで伝わった時間は約0.15秒。
と、言う事は固定伝播音は0.01秒で機内マイクに達した事になります。

これによりボイスレコーダーの波形を検証した結果、隔壁破壊から1.58秒後に警報がなった事がわかります。
事故調推定の1.656秒より短いのです。

となると警報音は客室高度警報ではない可能性が出てきます。
しかしこれはあくまで圧力隔壁の開口が1.8㎡と仮定した場合です。

しかし警報圧力到達時間はいくら開口を1.8㎡より大きくして計算しても1.58秒より早く鳴ることは不可能なのです。

そもそもそんな短時間の急減圧が起こりうるのか?と言う事です。
生存者の証言では機内に急激な空気の流れは無かったとあります。

急減圧があれば、機内の空気は一気に外に排出されてしまいますか、相当な速さの空気の流れがあったはずです。

つまり最初の警報音は客室高度警報音ではないと結論付けるしかないのです。

では、あの警報音はなんなのか?

次回、別の角度から考えてみようと思います。

続く...















Japan Air Line 123 ②

2021-07-14 17:47:00 | 連続
航空機事故に遭う確率は米国運輸安全委員会の計算によれば0.0009%だそうです。

その『0.0009%』が起きた。

2010年、元日航客室乗務員青山透子氏の著書により、再注目される事となったなっのが日航ジャンボ機墜落事故です。

ハッキリ言ってしまえ青山透子氏の著書について玉石混交で半ば陰謀論めいた話しもあり、私自身は全てを信じるものではありません。
しかし、とはいえ鋭い指摘もあります。

この著書を受ける形で、2011年7月に運輸安全委員会は事故調査報告書についての解説なるものを発表しています。

しかし、中身はただの事故調査報告書の強調に過ぎず、青山透子氏の提起した問題には答えておらず、更に目撃情報や目撃者、生存者への聞き取り調査なども一切ありませんでした。

当時を知る報道関係者の中にも疑問を呈する声もあるのです。
そして何故かマスコミに箝口令が引かれた事もわかっています。

先ず何より、第一報が午後7時20分と言われていますが最初の速報は午後6時58分頃であった事も証言が多数あります。
その速報以降、なかなか次の報道がなく皆がイライラしていた。
当時第一報のニュース原稿を書いたのが池上彰氏だったこと、ニュース原稿を読んだのが木村太郎氏であったのは事実で、墜落直後にはNHKは墜落をどのルートからか知っていたと思われます。

ネット等に流れる実しやかな話しとしてあるのはオレンジエア説です。



これはボイスレコーダーの18時24分48秒あたりの『オールエンジン』が『オレンジエア』だとするものです。

これに着いては次回以降説明いたしますが、結論から言えばオレンジエアではありません、これは近年の音声分析から判明しており、ある種のネット上に於ける陰謀説の様なもので、発端は青山透子氏の著書という事です。

この説をある種真実たらしめる説があります。が、この根拠についても全てが『陰謀説』では片付けられない一面もあります。

陰謀説で片付けられない根拠についても次回以降説明したいと思います。

当時、中曽根政権下で『陸自に新たなミサイル部隊創設』と言う事がありました。
これに伴い、新型飛行機の製造と言う事もありました。

既存の地対空ミサイルを新型に置き換える計画です。

そのミサイルはSSM1導入です。

事故2日前に誘導飛行に成功していました。
テストは飛行機に吊り下げ、上空で点火し落下させるものでした。

その時に、仮想の標的がオレンジの飛行機型の標的です。
これを飛行させ、そこに誘導すると言うものです。

これをオレンジエアと呼んだと言う話しがあり、コレがオレンジエア説の基になっています。
当初『オールエンジン』と言う発言は機長が発しており、自衛隊出身の機長はこのオレンジエアを知っていたから発したと。

しかし、オレンジエアと言う言葉そのものが使われた事はなく、またこの発言も機長ではなく機関士の発言であると判明しています。
オールエンジンでもなく、オレンジエアでもありません。
次回以降説明いたします。

ただ、飛行テストが行われていた事は事実で事故当日も行われていたのではないかと言う話しはあるのです。
元パイロット(民間)の見解ではF4ファントムがこの飛行実験をしていただろうと言う見解です。

他に首を傾げざるを得ない事実もあります。

先ず、救出が事故翌日の8時30分であった事です。

生存者の証言では『墜落して暫くしたら、ヘリコプターが飛んで来た、コレで助かると思ったらどこかへ飛んで行ってしまった。でも発見してくれたからいっぱい人が後から助けに来てくれる、そう思って気を失った。次に気がつくと辺りは明るくなっていて太陽の光が見えた。そしたら「生きてたら手足動かして」と言う声に足をバタバタしたら発見してくれた』と言う証言です。

事故から10年後、当時横田基地に配属されC130のパイロットだったマイケル・アントヌーチ氏が軍人向け新聞にてある証言をしています。



当時、横田基地は123便に着陸許可を出していた。更に123便も希望していたはずである。何故ならばリクエストがなければ横田基地は許可しない。

ボイスレコーダーにはこの横田基地と123便とのやり取りが残っておらず、消されたのか改ざんされたのか、この辺りも陰謀説に拍車をかける一端と思われます。

そして最も重要な証言があります。

アントヌーチ氏は横田基地帰還中に墜落を知り、20分後には墜落場所を把握していたと言うのです。
更に米軍は体制を整え、現場に急行し指示を待っていた。
しかし、日本側から救出部隊が行くから帰還するよう命令が下ります。
現場到着から2時間後、日本側救出部隊が到着したため安心して帰還したと言うのです。

ところが翌日、墜落場所が特定出来ず救出が遅れたと言う話しを耳にしてしびっくりしたと語っています。

これは先の生存者証言とも一致します。

暗闇の中に現れたヘリは恐らく米軍でしょう。暫くしてヘリはどこかへ行った。
朝になり救出が来た。

救出に加わっていた元自衛官が匿名で答えた証言と言うものもあります。
『午前4時ごろ、現場に着いたがまだ4〜50名は生きていた。しかし今動かすと危ないから後から来る部隊が救出する』と言われたと。そして先遣隊は何かを探していたと言うのです。
この証言の真偽はさだかではないのですが、時系列に符合します。

またボーイング社が修理ミスを認めるのがやたらと早かった事。

修理を担当したボーイング社の社員は『修理にミスはなかった』とハッキリ証言しています。

更にこれは後に調査に影響したと言わざるを得ない事実として、事故調査を行なっていたのが警察であったと言う事。
通常はその様な『捜査機関』ではなく、なんら犯罪捜査に関係ない機関が調査しなければなりません。

警察は捜査機関であり、犯罪立証を前提としているため、関係者の間には『刑事罰を問われるかもしれない』と言う精神的圧迫が働き、事故にまつわる証言や証拠物の提出などをためらう向きもあったのです。

現にボーイング社は日本の警察が捜査しているとして、社員への聞き取り調査を拒否しています。

ボーイング社が修理ミスを認めたその後も、日本はボーイング製品を大量に購入し続けており、ボーイングは過去最高売り上げを叩きだしています。

これについて日本側は『修理ミスはあったが製品の安全性は確認されている』とコメントしています。

あまりに不自然な報告書、米軍兵士との証言の食い違い。

2015年7月25日
伊豆東沖2.5kmの海底160mの所で機体後部の残骸が発見されています。

2019年6月12日
現立憲民主党議員、津村啓介議員が国会に於いてコレを質問しています。
『真相究明には是非引き上げるべき』と。




当時の国交相石井啓一大臣は答弁で引き上げには数千万を要すると。

しかし、引き上げはおろか予算にすら計上されていません。

事故調査報告書は全く断定しておらず、全てに於いて『推定』としています。
コレについても津村啓介議員は質疑しています。

断定出来ないのでしょうか?

本当に与圧隔壁の修理ミスが起因し事故が起きたのでしょうか?

次回から具体的に解説したいと思います。

続く...





Japan Air Line 123 ①

2021-07-13 17:00:00 | 連続
毎年、8月になればまるで夏の季語の様に8月15日に閣僚や首相は靖國神社に参拝するのか?等と報道があってウンザリします。

国に殉じた者の御霊を何と心得ているのでしょうか?
我々の先達が血を流し獲得した安寧を忘れ一体我々を何の為に生きるのでしょうか?

そして、同じ様に忘れてはならない事実があるのです。

1985年8月12日
日本航空123便(ボーイング747)
午後6時56分30秒
群馬県多野郡上野村の御巣鷹山に墜落

乗員乗客524名うち520名死亡
生存者4名
単独機航空事故としては世界最悪の事故

当時、夏休み中であり夕方のラッシュと盆の帰省とが絡み多くの犠牲を出しました。
また歌手坂本九さんも犠牲者となった事もあり、社会的衝撃は大変なものでした。

羽田から伊丹空港に向かう日本航空123便は定刻より4分遅れの18時12分に離陸。
その12分後、伊豆半島南東部東岸上空で突如、衝撃音が発生。
操縦不能に陥り、迷走した後に墜落しました。




機体尾部と垂直尾翼を破損し、操縦に必要な油圧システム全喪失となり、機体コントロールが出来なくなってしまいました。
しかしこの状況で30分近く飛行出来たのは驚異的でありました。



機長は高濱雅己(49)海上自衛隊から富士航空、日本国内航空を経て1966年12月1日に日本航空に入社。
飛行時間は12423時間というベテランで、指導教官でもあり、他にYS11やB727、DC8の飛行資格も保有。

副操縦士は佐々木祐(39)1970年4月18日入社。飛行時間3963時間。1000時間を超えれば一人前と言われる世界で4000時間近いキャリア。他にDC8の機長も務める。
当日は訓練の為に機長席に座り、操縦とクルーへの支持もしていた。

航空機関士は福田博(46)1957年4月1日入社。飛行時間9831時間。エンジニア部門教官。他にDC6、B 727、DC8の運行資格も保有するベテラン。

日航運航乗務員の中でもこの三人は精鋭チームでもあったのです。

この他にチーフパーサー波多野純(39)飛行時間10225時間。
そして11人のCAが搭乗員でした。

墜落現場が特定出来ず、救出が遅れたり、ご遺体の身元がなかなか判明しなかったりと、とにかく全てにおいて日本中に悲しみが溢れた事故でした。

当初から様々な憶測も飛び交い、事故原因等わからない事も多数ありながらも、事故調査委員会から事故に関する調査報告書が発表されました。

あの事故から36年。

令和3年3月
事故遺族から生のボイスレコーダーとフライトレコーダーの開示を請求する訴訟が東京地裁に提訴されました。

何故なのか?

それは、未だ謎だらけで事故原因は判然とせず、また事故調の報告書には明らかに矛盾があるからです。
そして、事故調査報告書には何一つ断定できるものがなく、全てが推定である。

コレが遺族が提訴に踏み切った理由でしょう。

私自身、この事故機には小学校の恩師が乗っており、犠牲になっています。
その事もあり、常に夏になれば思い出すのです。

そしてやはり、あの事故原因はなんだったのか?

そもそも、あの事故はなんだったのか?
何故乗客は犠牲になったのか?

それを知りたいと、今回取り上げてみようと考えました。

事故調査報告書に記載された矛盾を自分なりに調べてみたら、もうこれはおかしな事だらけです。

今回、ご遺族が提訴に踏み切った事を微力ながら応援する意味も含めてやってみたいと思います。

昨今、ネットに流れるこの事故にまつわる陰謀説を払拭し、事実はなんであるか?
これを考えてみたいと思います。

そもそも、同機は1978年6月2日伊丹空港にて尻もち事故を起こした機体です。
この時の改修修理にミスがあり、機体後部の圧力隔壁が破壊され機内圧力が一気に機体尾部と垂直尾翼に流れ、それが原因で尾部と垂直尾翼が吹き飛び、油圧系全喪失、操縦不能、墜落と事故調査は結論付けていますが、実は全て「推測」なのです。

余談ではありますが、油圧系全喪失で飛行する事が出来るのか?
答えはNOです。
当時の飛行機で油圧系全喪失で30分近くも飛行出来るなどあり得ません。

事故後、世界中のパイロットが同じ条件でフライトシュミレーターをやったところ大方5分〜10分で墜落してしまいました。

つまり、この事故機のパイロット達が如何に精鋭であったかと言う事です。

殆どが推測を元に結論付けられた事故調査報告書、急減圧による低酸素でパイロットはマトモに操縦出来ずに墜落したのではないかと、在らぬ誹謗中傷がクルー遺族を苦しめもした。

またボイスレコーダーは事故後15年も経ってから、内部リークという形で世に出る始末。
当然、国際民間航空条約では原則非公開です。しかしリークされたボイスレコーダーには故意に編集されたのではないかと思われる点、明らかに判読を間違えいる点などがあります。

当然、現在の技術ならば判明しても当時としては限界はあります。
しかし余りにお粗末と思える点があるのです。

目撃情報との食い違い。

それら疑問点を詳らかにしてみます。

続く...