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犬神スケキヨ~さざれ石

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旧、新憲法 統治と主権(9)

2020-11-17 20:30:00 | 連続
我が国における、憲法成立の法理的議論となりますと、これは天皇の統治権の本質であると考えて良いでしょう。

天皇統治権の本質を考えるならば、帝国憲法下での天皇と言う存在を知らねばなりません。

その作業の為には、そもそも我が国の不文法、不文憲法と言うものを知らねばなりません。

八月革命説宮澤俊義自身が『現在の日本国憲法は、もちろん自由主義ないし民主主義に立脚する憲法であり、日本に於ける自由主義的政治理念の支配は、明治維新以降の事であるから、今日の日本国憲法の生い立ちを知るには明治維新まで遡る事が必要』
と、このように述べています。
それは正にその通りです。

日本に議会なるものが設置されたのは明治の時代であります。
慶應4年(1868)
明治天皇が示された五箇条の御誓文。

広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ

上下心ヲ一ニシテ盛ニ経論ヲ行フヘシ

この様に書かれたなは民主主義の理念を表示されたと言う以外にありません。

しかし宮澤俊義は『自由主義的政治理念』は明治期に外国から導入されたと言う考えを示しています。

しかし日本書紀にはこう書かれています。

神武天皇が大和橿原に都を定め詔勅を発せられ『六合を兼ねて都を開き、八紘を掩ひて宇と為さむこと、亦可からずや』
ろくがふをかねてみやこをひらき、はちくわうをおおひていへとならむこと、またよからずや

四方の国々を統合して都を開き、天下を覆て我が家とすることは、甚だ良いことではないか

これこそが八紘為宇(はっこういう)と言う我が国『建国理念』にほかならず。
天地四方八方、果てに至る国々、この世界に生存する全ての民族、全ての人々がまるで一軒の家に住む様に、仲良く暮らすとは素晴らしいではないか。
その様に書かれています。

今で言うなら世界平和の理念です。

もちろん当時は外国と言うものを観念してはいませんから『日本列島に生存する人々が、一つの屋根の下に仲良く暮らす』と理解して良いでしょう。

八紘為宇と言うのは日本と言う国の建国理念、その柱となるものならば『日本人が仲良く暮らす』ことが重要で、これを実現するには自由主義でなくてはなりません。
その芽生えが書かれているのではないでしょうか。

また仁徳天皇に於いては
天が君を立てるのは、人民の為である。
従って、君は人民を大切に考えなくてはならない
と、仁徳天皇の言葉も記されています。

ならば、自由主義や民主主義といった考えは、明治維新以前から日本と言う国民はあったのだと考えるのが自然です。

では、成文憲法以前の不文憲法、明治憲法以前の建国の理念に立ち考えれば、天皇主権から国民主権へと移行したと言うのは矛盾しかありません。