犬神スケキヨ~さざれ石

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何も変わっていないのです!

2015-02-10 21:49:47 | 草莽崛起
本質を考えて

先般のテロリストにより邦人誘拐惨殺事件。
国論を二分する異常な事態に改めてこの国の根が腐っている!と感じると同時に、安倍晋三をもってしても未だ変わらない、いや変えられていない日本の実態が見え恐ろしさを感じます。

実はこの国はテロリストに弱い。
テロ行為に何ら打つ手がない!と露呈しています。
しかし、これは今に始まった事ではありませんね。オウム真理教サリン事件。北朝鮮拉致事件。しかしこれらは全て国内治安です。
そして何回も申しています、ダッカ事件。
日本がテロに屈してしまい、世界に日本はテロに弱いと宣伝してしまいました。

ダッカ後の海外テロ

ダッカの後も、日本がテロ行為を受けました。
それは在ペルー大使公邸占拠事件です。
これも実にテロに弱い現実を如実に現した事件でありました。
この事件を通して現在の日本を見てみます。

在ペルー大使公邸占拠事件

1996年12月17日夜、ペルー首都リマの日本大使公邸にて青木盛久特命全権大使をホストに、恒例の天皇誕生日祝賀レセプションが行われていました。
午後8時過ぎに、当時空き家になっていた大使公邸隣家の塀が爆破され覆面をした一団が乱入し直ぐさまこの大使公邸を制圧占拠しました。

ネストル・セルパをリーダーとするトゥパク・アマル革命運動(MRTA)構成員14人。
その場に居た青木大使をはじめ、レセプションに参加していた各国大使やペルー駐在の日本企業民間人等を人質に取りました。

その後セルパは、「逮捕拘留されている仲間全員の釈放」や「国外退避するまでの人質の同行」、「アルベルトフジモリ政権による経済政策の転換」や「身代金の支払い」を要求。
更に公邸敷地に対人地雷を設置するなどし武力による解放作戦に備えました。

当初の予定ではペルー政府要人や日本大使館員など少数の人質確保を目的としていました。
しかし実際はレセプションもあり人質は600人以上と予想以上の人数になりました。
その後人質の中にいたミシェル・ミニグ赤十字国際委員会代表の求めに応じて女性や老人子供など200人以上を解放、その後も継続的に人質を解放しました。
それでも多くのペルー要人や日本大使館員、日本企業ペルー駐在員らが人質として公邸に残されました。
以上が概略です。

見えるもの

この際に解放された人質には老人子供、女性の様な弱者でない人も早期解放されていました。
アメリカ人などがそれにあたります。
これはアメリカ等は自国民救出の為に直ぐさま特殊部隊を送り込んで来るからです。
たかがテロリスト、泣く子も黙るアメリカ特殊部隊が相手ではひとたまりもありません。
テロリスト程、世界を知る集団はありません。

テロリストが日本人を人質に残したのは、日本が決して自国民救出に軍隊を出さない、出せないと知っているからです。
外征出来る特殊部隊を持つアメリカ相手には太刀打ち出来ないことも知っているのです。
実に賢いやり方です。

決着

発生から事件解決まで実に127日と言う長期に渡りました。
直接の解決に至ったのはペルー海軍特殊部隊の突入によりテロリスト全員死亡、人質72を救出内一人死亡で決着しました。
日本人人質は24人全員生存で救出。
当時のペルー大統領アルベルトフジモリ氏は一躍ヒーローとなりました。

その真実

邦人人質全員救出と言う結果に日本ではペルー大統領を一躍時の人、稀代のヒーローにしてしまいました。
しかし、真実は違うのでした。
当時アルベルトフジモリ大統領は人質全員救出は不可能だと考えていました。
いや、むしろ人質救出よりもテロリスト制圧が目的で犠牲者が出ると考えていました。
言い換えるならば人質が死のうともテロリストを全員制圧する事を主眼に置いていました。
いわば邦人人質が全員無事救出されたのは偶然であります。
アルベルトフジモリ大統領は日系二世と言う事で日本からの援助も引き出していました。
しかし、人質に死人が出れば援助打ち切り下手をすれば国交すらなくなる覚悟で特殊部隊による武力行使の道を選びました。

それは一度テロに屈すれば後雨後の筍の様に次から次へと同じことが繰り返されることへの懸念と自身の保身からでした。

アルベルトフジモリ大統領はインフレ率2000%と言う最悪のペルー経済を独自のショック療法で立ち直らせ南米の軌跡と言われました。
しかしその良い面には裏の顔もあり、己の利権利益を貪り独裁政権を目論む面もありました。
その為に三選出来ない憲法を無理矢理改正し、さらに逆らう者は粛清していました。
だから最後は糾弾され海外に逃亡、帰国後は禁固25年の実刑を受け今も収監中です。

日本

事件当時の日本は第二次橋本内閣でした。
橋本内閣は既に事件発生直後から武力行使を検討していたペルー政府に対して、当時の外相池田行彦に命じ「平和的解決」を要請していました。
当時の報道ではこの要請にペルー政府が応じたとされていましたが実際にはペルー政府から物凄い反発を受けました。
しかし翌日にはペルー政府が要請に応じました。これには正面突入では作戦が成功しないと踏んだペルー政府が日本の要請を逆手に取りトンネルを作って突入する作戦を立て、そのトンネルを掘る時間稼ぎに利用したのです。

そして当時、対策本部が設置された外務省に橋本首相自ら購入した木村屋のアンパンを差し入れ後に「アンパン総理」と揶揄されていました。しかし、実際はペルーとのホットラインが外務省にしかなくその為に外務省にわざわざ赴かねばならない事をごまかす為にアンパン差し入れをしたのです。

また池田行彦外務大臣がペルーに赴いた際にテロリスト側から日本の外務大臣が人質になるなら他の人質を解放してやる!と交換条件を提示されました。しかしこの提示に池田行彦外務大臣は信じられないことにびびって直ぐさま日本にとんぼ返りしたのです。

制圧

遂に発生から127日後の4月22日ペルー特殊部隊の突入が始まりました。
結果はテロリスト全員殺害。
その内容はリーダーセルパは射殺後に喉を十字に切り裂かれました。
ナンバー2のロハスは首を切断。
他のテロリストは射殺。
少女テロリストは生きたまま四肢を切断された上で強姦され殺されました。

犯人制圧に此れ程の残虐性が必要でしょうか?
必要ありません。では何故か?
これは見せしめなのです。
独裁政権のアルベルトフジモリに逆らう者はこうなる!と言う見せしめだからです。
喉を十字に切り裂くのは古代インカの慣わしの様な殺し方で逆らう者は喋れなくしてやる!と言うアピールなのです。
少女テロリストは一度逮捕されました。後手に拘束されました。
しかし、一度外へ連れ出しカメラに見せた後にまた建物に連れ込み四肢を切断し強姦されました。

日本人は何故助かったのか

結果から言うと日本人だったから!と、言う事になります。
リーダーのセルパなどはプロのテロリストです。しかし、テロリストの中には先に述べた少女の様にまだ年端もいかぬ少女少年が居ました。この少年少女はジャングルで僅か50ドル程度の金で親に売られた少年少女です。
この少年少女をテロリストは買い取り自分達の思想を植え付けた上でテロリストに育てあげるのです。わずか7~8歳程度で親に売られ、テロリストには人間扱いなどされずに過ごします。

日本人と言うの誠に不思議な民族です。
この人質と言う不自由な立場でも規則正しい生活を送るのです。
朝は決まった時間に起床しラジオ体操等をしていました。
また上下の立場に関係なく皆で掃除をしたり食事の支度をしたりします。
これは海外では実は不思議な事なのです。
立場が上、例えば会社の社長は平の社員と食事を共にしたり掃除などはしない。
しかし日本人には"上の者が率先してこそ下が付いてくる"という考えがありますから上の者ほど汗を流します。
また、同じ釜の飯を食うという考え方もペルー人には不思議に見えるのでしょう。
しかも長い人質生活の中でも不自由さを幾らか緩和する手段を編み出し自分のベッドスペースを喧嘩することもなく、特に話し合いもなく平等に分け自分が使いやすい様に小さな棚を付けたりと快適にしてしまう。
地球の裏側にいる日本人等見た事もなくその知識もない少年少女テロリストには衝撃的だったでしょう。

その内に長い共同生活の中日本人と少年少女テロリスト達は打ち解けラジオ体操を毎朝一緒にやったり、時には日本語やスペイン語を教えてやったり将棋を差したり。
更に差し入れされる和食を少年少女テロリストに振る舞ったりしていました。
特に日本のインスタント食品には感動していたそうです。
少年少女テロリストは恐らく始めて人間扱いされたのでしょう、親に売られテロリスト達には人間的な扱い等受けずに育ちました。
しかし初めて会った地球の裏側の人間達は少年少女をテロリストとは見ずに人間として扱い実直に接していました。

その為に「ペルー政府が武力で制圧する時には人質を全員殺せ!」と命じられていた少年少女テロリストは一度日本人を含めた人質を殺害しようと銃口を向けたのですが殺せませんでした。
むしろ日本人人質がいる部屋を守り殺されてしまいました。
日本人人質が全員無事だったのは別け隔てなく人に接し相手を思いやる日本人の心が自らを守ったのです。

今も何も出来ない

今回の自称イスラム国の事件
ペルー大使公邸事件
どちらも日本政府は「平和的解決」というワケのわからない手段しか取れませんでした。
当時の日本政府の要請にペルー政府は「テロリストの言いなりになれば次から次へと同じことが起きる。要請には応えられない」と突っぱねています。
当然の回答です。一度でもテロに屈伏すれば政府や国が瓦解しかねません。
テロを助長する事になります。
その後のペルー政府内では日本のこの要請に対して「日本人は自国民の命を見殺しにする」とか「拉致事件もだから同胞を救えないんだな」と言われていました。

大使公邸は治外法権です。ペルーにあってもペルーではなく日本なのです。
それでも日本からは自衛隊は愚か警察の特殊部隊すら送れませんでした。
この治外法権すら逆手にとって同胞を救えなく現地当局に任せなければなりません。
偏に現憲法、現行法があるからです。
治外法権の大使公邸ですらこれですから、全くの国外であるシリアではミリタリオプションによる救出は不可能です。
更に身代金を払えばテロに屈伏する事になり後には雨後の筍状態です。

また現政権の様にある程度強い政権でなければ思い切った行動をすることもありません。

自国民の生命や幸福を守ることは憲法上も国家の義務です。
しかし義務が果たせずにいます。
更に義務を果たさねば生存権の侵害にもなります。
国家自ら憲法違反をする事になります。

どうにか日本国民の民族性と規律や相手を思いやる気持ちだけで在外邦人は暮らしているのです。
しかし国内に於いてもオウムサリン事件も北朝鮮拉致事件も未然に防ぐことが出来ず、更には拉致被害者を取り返せずにいる現状を皆で考えていかねばなりません。

一つの問題提起として皆さんの頭でしっかりと考えていただきたい。