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仏様のお話   

2023年10月16日 08時28分52秒 | 西法寺
      西法寺さんからのお話 

  「こんなに やってあげてるのに」
      それ 相手も 思ってる

  かけた情けは水に流せ。 受けた恩は石に刻め  
 という有名な言葉がありますが、「かけた情けをしっかり石
に刻んでしまう」のが私たちです。
 他人のために何かしてあげることを、仏教では一般的に「布施」と
お布施を言葉で説明するは簡単ですが、純粋なお布施を実践する事は
とてもなく困難です。
 
   それは、なぜか?
 お布施と呼ばれる行為は基本的「三輪清浄」でなければならない
  からです。 

 「三輪」とは、本来 身業(体の動作や所作)口業(言葉)・
           意業(意識や心の動き)の三業の事であり
 
 「三輪清浄とは、三業の全てが清らかに働いてい事を意味
          します。
  これが、お布施の場合は、すも者」施しを受ける者」  
              「施す物を指し、これらの三つが
      清浄であることを、「三輪清浄とよびます。
  「す者」は「してあげた」という執着心をもってはいけません。
  施しを受ける者」も「たったこれだけ?」という欲望にとら
     われてはいけません。
  施す物が盗品などの不純なものの場合も認められないことに
    になっています。
  これらの三つがきっちり成立することによって、始めて「お布施」を
   実践したことになるのです。とはいえ、施す者はついつい
  「こんこなにしてあけたのに」という思いが心に湧いてしまいます。
  この「のに」という見返りを求める気持ちが他者とのトラブルの原因
  になります。
   五~六世紀の頃に数おおくの寺院や仏塔を建て、中国仏教界の
  ために莫大な貢献した簫衍(しょうえん)という梁(りょう)の初代皇帝
  がいました。彼が「これによって自分にはどんな功徳がもたされる
  だろうか?」と達磨大使に質問したところ、達磨大使はたった一言
  「無功徳」と答えたそうです。この無功徳」とは文字どおりなんの
   功徳もないということであり、これは見返りを求めることを買い戒
   めたエピソードとして知られています。
             簫衍(しょうえん)の心の中に「仏教界に対して非常に貢献したのに」
  という気持ちがあったようです。達磨大使の言葉が冷たく響きますが
  仏教ではこれが正解なのです。  
                                         


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