岩井ジョンの旅行記

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仏様のお話   

2022年09月24日 07時12分24秒 | 西法寺
    ほとけさま の おはなし 
     「地獄の食堂  極楽の食堂 」
      こんなお話があります。
  地獄と極楽(お浄土)には、それぞれの食堂があり
 どちらの食堂にも同じように、まんなかには、大きな
 テーブルがあって、ご飯の時間にはごちそうが並びます。
  ただ、どちらの食堂でも同じように、自分の背丈よりも
 長い長いお箸で、それらの御馳走を食べることになっている
 のです。さて、ご飯の時間になれました。
  地獄の食堂では、
  みんながみんな、自分が一番最初めにごちそうを食べようとします。
 ところが、長いはしで御馳走を食べよとします。ところが長い箸で
 御馳走を取ろうとすると、ほかの人にぶつかってしまい、あちこちで
 ケンカがはじまります。何とかつかんでも自分の口のに御馳走を入れらず  
 にこぼれてしまいます。お箸が自分の口に届くように先の方を持ってみる
 と、重くて重くて思うように使えません。ご飯の時間が終わると、御馳走 
 はテーブルの上から消えなくなりました。そして皆のお腹がペコペコこの  
 まま、食堂を出ました。
 
   極楽の食堂では、
   みんながみんな、お互いに順番にご馳走をつかみます。そして、お箸  
  が丁度届くところにいる人の前に「おいしいそうです。どうぞ」と運び
  ます。みんなで御馳走を分け合って食べました。ご飯の時間が終わると
  御馳走はみんなのおなかをいっぱいにします。そして、みんなニコニコ
  して「ごちそうさま」と言って、おいしかった御馳走の話をしながら
  食堂を出ていきました。
     さて、あなたが座るは、
        地獄の食堂でしょうか

     それとも
        極楽の食堂でしょうか
         

   

仏様のお話   

2022年09月02日 08時36分33秒 | 西法寺
        「ボーッと 生きても いいんだよ」
  NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」のきめせりふ
 「ボーツと生きているんじゃねーよ!!」の正反対の意味です。
        以前、報恩講の法話にきてくださっていた松井憲一先生が
 「この場では聞いて忘れて、眠っていてもいいのてすよ」と
  おっしゃっていました。「仏様のいる本堂で眠るなんて!!」と
  思われる方もいるかもしれませんが、どうしてこのようなことを
  おしゃたのでしょうか?

              「阿弥陀様を信じるいうことは
     阿弥陀様のまえで 1人の赤ん坊になる事」
  だとおっしゃいます。母親に一切の責任をまかせている
 赤ん坊は寝たいときに寝ます。赤ん坊の様子を見ると
 あれこれと考えるのではなく、「ボーツと生きていても
 いいんだよ」という言葉の意味する体現しているように
 思えます。
  赤ん坊は、親「阿弥陀仏」の前でかしこまることはありません。
  取り繕うこともありません。
  ボーツしていてもそのまま救ってくださる温かくて有難い仏様が
  いることを忘れないで頂けたらと思います。
                     南無阿弥陀仏