今日は我が三浦隊の隊長である三浦介殿の案内で、三浦半島の先端近くにある衣笠城を見物してきました。2003年か2004年に、やはり三浦介殿の案内で見物に行った記憶があります。
前の前のパソコンのデータが無くなったので、もはや写真が残っていません。写真が残っていれば、いつだったかはっきりするのですが・・。ブログも始めたのが2005年7月なので、こちらにも残っていないのです。
衣笠城は三浦半島の中心部、先端に近い位置にあった山城です。戦国時代に使われた城ではなく、鎌倉時代前後に三浦氏の本拠として使用された城です。
三浦氏の先祖は前九年の役で活躍して、源頼義から相模国三浦を与えられた三浦平大夫為通がこの山城を作り、三浦氏の勢力が拡大する毎にその規模を拡大したとされます。むろん、衣笠城の周辺には支城とされる城が多数残されています。
今回の城廻り参加したのは、五人余、10時半に衣笠駅に集合でしたが、一人が途中で腹痛で電車を降りて、トイレに入ったと言うので11時頃に全員集合となりました。
詳細は省きますが・・・何しろ、余り三浦氏に興味がないので・・。
とにかく山城なので、かなり急斜面を登ったり、危ないと思うような尾根を歩いたり。
衣笠城は小さな公園に整備されているので、城址まで行けば楽なんですが。
結局、10時半に集合して12時半まで歩き続け、ファミリーレストランで遅い昼食を摂り、その後、金沢文庫にある神奈川県立金沢文庫の特別展「運慶」を見てきました。
鎌倉時代の仏師、運慶作とされる仏像は数多いようですが、実際に運慶作であるとされる仏像は少ないようです。
本当に運慶が作ったとされる仏像は、やはり見事としか言いようがありません。一種の天才であることは間違いないようです。
そんなこんなで、今日は5時間~6時間近く歩いていたようです。
前の前のパソコンのデータが無くなったので、もはや写真が残っていません。写真が残っていれば、いつだったかはっきりするのですが・・。ブログも始めたのが2005年7月なので、こちらにも残っていないのです。
衣笠城は三浦半島の中心部、先端に近い位置にあった山城です。戦国時代に使われた城ではなく、鎌倉時代前後に三浦氏の本拠として使用された城です。
三浦氏の先祖は前九年の役で活躍して、源頼義から相模国三浦を与えられた三浦平大夫為通がこの山城を作り、三浦氏の勢力が拡大する毎にその規模を拡大したとされます。むろん、衣笠城の周辺には支城とされる城が多数残されています。
今回の城廻り参加したのは、五人余、10時半に衣笠駅に集合でしたが、一人が途中で腹痛で電車を降りて、トイレに入ったと言うので11時頃に全員集合となりました。
詳細は省きますが・・・何しろ、余り三浦氏に興味がないので・・。
とにかく山城なので、かなり急斜面を登ったり、危ないと思うような尾根を歩いたり。
衣笠城は小さな公園に整備されているので、城址まで行けば楽なんですが。
結局、10時半に集合して12時半まで歩き続け、ファミリーレストランで遅い昼食を摂り、その後、金沢文庫にある神奈川県立金沢文庫の特別展「運慶」を見てきました。
鎌倉時代の仏師、運慶作とされる仏像は数多いようですが、実際に運慶作であるとされる仏像は少ないようです。
本当に運慶が作ったとされる仏像は、やはり見事としか言いようがありません。一種の天才であることは間違いないようです。
そんなこんなで、今日は5時間~6時間近く歩いていたようです。
平地を歩くより楽しいですよね、坂あり、山ありで(笑)
この時期はクモの巣も無いし蛇も出ないし、山城巡りにはうってつけですよね。
シテ、石和の前日には「要害城」を登ろうかと、「串カツ甲子園」で語られました。
検討下さい(笑)
衣笠城よりも遥かに辛いっすよ(汗)
要害城ですか、あそこは・・大変ですよね。車で行けるところまで行ったとしても・・・。
自分としては良いですけど、しかし、それほど人数が集まりますかね。
合戦の前日に・・・。
宿へ戻る時間、酒やつまみを購入する時間等を考えると、以外と忙しいですよね。