奥社を後にして中社(ちゅうしゃ)に向かう。奥社と中社は非常に近く、車ではほんの数分で到着する。どうやら1キロ半ぐらいしかないようだ。中社のすぐ上に新しい駐車場が出来ており、新しい鳥居が立てられていた。
この戸隠の山中では駐車場となる地は少ない、平らな土地は人が住む家や店となっていて、駐車場となる平地は限られているのだ。
中社は天八意思兼命(あまのやごころおもいかねのみこと)を祭っている。前に信濃の伝説で書いたが、この神は知恵の神である。3人寄れば文殊の知恵と言うが、この神は8人分の思考能力を有すると言う。
戦国時代、甲斐の地で生まれ甲斐で育った、稀な信濃の武将「真田幸村」、真田幸村は知将と呼ばれるだけに、この「天八意思兼命」を信仰していたのではないかと密かに想像している。
武神と呼ばれる神ならいる、諏訪大社の「建御名方命」は偉大な武神として信仰を集めているし、「天手力男命」もある意味武神であると言って良い。しかし、「知神」と呼べる神は、この中社に祭られている「天八意思兼命」しか知らない。
しかし、「真田幸村」が本当に知神を信じ、知神を信仰したのであろうか。「真田幸村」はむしろ武神を信仰し、武神たりたいと考えていたように思う。
それがこの希有な武将の最後の戦いに、現れていると言って良いと思う。
中社の門前には有名な戸隠蕎麦を食べさせる店が並び、宿坊と呼ばれる宿屋が何件か並んでいる。宿坊は善光寺の門前にも何件か並んでいるが、信仰の為に訪れる信者、修行の為にやってくる僧侶や修験者に宿を提供する。それが宿坊の役割である。
この中社にはちびっ子忍者村なる施設があるが、さすがにこのちびっ子忍者村には寄る気になれず、奥社で蕎麦を食べてきた石野真琴にとって、中社の前の蕎麦屋で蕎麦を食べる必要もなく、次の目的地である宝光社へ向かった。宝光社は中社から1キロ半ぐらいの距離にある。
この宝光社は、戸隠に向かう国道から真っ正面に見える社で、長い階段が見える。前に来たときはこれを見て、宝光社へのお参りを諦めた記憶があった。もっともそれほどの階段ではないのだが・・・。
宝光社では6人程の集団がいて地図を眺めていた。国道から奥社へ距離があるので、お参りを諦めるとか・・・。
思わず、「戸隠は奥社ですよ」と声をかけてしまった。そして国道から約2キロ、片道30分の距離だと説明した。実際に往復で1時間は必要である。もう四時近い時刻だけにこれから奥社の社へ向かうのは大変である。
石野真琴は宝光社へのお参りを済ますと、長野駅を目指して車を走らせたのである。
この戸隠の山中では駐車場となる地は少ない、平らな土地は人が住む家や店となっていて、駐車場となる平地は限られているのだ。
中社は天八意思兼命(あまのやごころおもいかねのみこと)を祭っている。前に信濃の伝説で書いたが、この神は知恵の神である。3人寄れば文殊の知恵と言うが、この神は8人分の思考能力を有すると言う。
戦国時代、甲斐の地で生まれ甲斐で育った、稀な信濃の武将「真田幸村」、真田幸村は知将と呼ばれるだけに、この「天八意思兼命」を信仰していたのではないかと密かに想像している。
武神と呼ばれる神ならいる、諏訪大社の「建御名方命」は偉大な武神として信仰を集めているし、「天手力男命」もある意味武神であると言って良い。しかし、「知神」と呼べる神は、この中社に祭られている「天八意思兼命」しか知らない。
しかし、「真田幸村」が本当に知神を信じ、知神を信仰したのであろうか。「真田幸村」はむしろ武神を信仰し、武神たりたいと考えていたように思う。
それがこの希有な武将の最後の戦いに、現れていると言って良いと思う。
中社の門前には有名な戸隠蕎麦を食べさせる店が並び、宿坊と呼ばれる宿屋が何件か並んでいる。宿坊は善光寺の門前にも何件か並んでいるが、信仰の為に訪れる信者、修行の為にやってくる僧侶や修験者に宿を提供する。それが宿坊の役割である。
この中社にはちびっ子忍者村なる施設があるが、さすがにこのちびっ子忍者村には寄る気になれず、奥社で蕎麦を食べてきた石野真琴にとって、中社の前の蕎麦屋で蕎麦を食べる必要もなく、次の目的地である宝光社へ向かった。宝光社は中社から1キロ半ぐらいの距離にある。
この宝光社は、戸隠に向かう国道から真っ正面に見える社で、長い階段が見える。前に来たときはこれを見て、宝光社へのお参りを諦めた記憶があった。もっともそれほどの階段ではないのだが・・・。
宝光社では6人程の集団がいて地図を眺めていた。国道から奥社へ距離があるので、お参りを諦めるとか・・・。
思わず、「戸隠は奥社ですよ」と声をかけてしまった。そして国道から約2キロ、片道30分の距離だと説明した。実際に往復で1時間は必要である。もう四時近い時刻だけにこれから奥社の社へ向かうのは大変である。
石野真琴は宝光社へのお参りを済ますと、長野駅を目指して車を走らせたのである。
こういう所が、
石野さんなんですよね。にこ。
思わずそう言ってしまいました。
誰がなんと言おうと、戸隠に行ったら奥社です。あの神韻渺々とした参道を2キロほど進み、奥社から戸隠の山頂部を眺めて、初めて戸隠に来た。
そう実感出来るのだと本気で思っています。
初めて戸隠を訪れたとき、宝光社も中社も訪れずに、奥社だけを訪れて、充分に満足出来た記憶があります