石野真琴のなんでもあり?

多趣味な石野真琴が、普段感じている事、将棋、祭り、甲冑等々、趣味の内容を描きます

ノーベル平和賞

2014-12-12 23:59:59 | 趣味
 今年のノーベル平和賞はパキスタンの教育活動家マララ・ユスフザイさんと子供の労働の撲滅を目指すインドの児童人権活動家カイラシュ・サティヤルティさんに決まった。
 日本国内でももっとも若くしてノーベル賞を受賞したマララ・ユスフザイさんに関しては、日本の3人の受賞者と同様に連日報道されています。
 人間は男女の差無く平等であるとするならば、イスラム圏内の女性差別は大きな問題であり、パキスタンやインドでも同様です。
 日本でも江戸時代、と言うか明治時代、いやこの平成時代でも完全平等ではないと言う意見や声があるかも知れませんが、形式的には平等であるとして、江戸時代以前は完全に不平等な状況でした。
 と言っても、江戸時代は身分差別の時代なので、男性でも武士と武士以外、女性も武士階級とそれ以外には、厳然とした差別がありました。
 教育と言う点で見て、それも同じ町人で見てみれば、その両親等の職業に関係なく、8割近い子供が手習いの師匠の元に通って勉強してました。良く寺子屋と言われますが、この「寺子屋」と呼ぶのは主に上方、関西方面で、関東では「手習い師匠」と呼ぶのが普通です。
 ではこの手習い師匠の元で何を学ぶかと言えば文字が中心です。その為、江戸時代の日本人の識字率は非常に高かったとされます。
 ここで面白いのは、、子供が勉強する時に使用する教科書です。
 江戸時代の子供が学ぶ教科書は、その進路、つまり親の職業によって決まりました。男の子で親が農家であれば「百姓往来」、商家なら「商売往来」、大工なら「番匠往来」となります。
 しかし、女性の場合は「女今川」か、後期になれば非常に有名な「女大学」あたりです。
 つまり、男性の場合は将来進むであろう職業の知識を含めて専用の教科書を用いて勉強し、女性の場合は簡単言えばどこへ嫁に行っても良いように女今川」「女大学」と言う事になるのです。
 この江戸時代の教育もある意味では合理的な要素もありますが、現代のように学びたい人が学ぶ進路を決める事が出来る方が良いわけですし、自分の希望を持つまでに最低限必要な教育が受けられる事も必要であると言えます。 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿