2011年の夏の終わり。つい数カ月前に女子ワールドカップ(W杯)のMVPに輝いていた澤穂希は、こんなことをつぶやいた。
「わたしは、何も一番じゃないんです」
なでしこジャパン(女子日本代表)の合宿では、時折、選手の運動能力テストを行っている。持久力やダッシュ力、ジャンプ力などを測定するのだが、澤はどの種目でもトップになったことがないという。なでしこジャパンの中で、飛び抜けて得意な種目もなければ、飛び抜けて苦手な種目もない。
「だから、澤穂希という選手は、言ってみれば平均点のサッカー選手なんですよ」
この言葉に象徴される謙虚さこそが、澤を世界の頂点にまで引き上げた原動力なのだろう。
2012年1月9日(日本時間10日)、澤穂希がFIFA(国際サッカー連盟)による年間最優秀女子選手に選ばれた。01年に同賞が創設されて以来、過去10年間の受賞者はわずかに3名のみ。01年と02年は、米国の国民的スター、ミア・ハム。03年から05年は、ドイツの“女帝”ビルギット・プリンツが3年連続。そして06年から10年までは“スカートをはいたペレ”と呼ばれるブラジルのマルタが5年連続と、女子W杯や五輪の舞台で名をとどろかせた選手たちが連続受賞していた。
■断トツだった澤への支持率
今回の澤も、昨年のW杯・ドイツ大会での功績が最大限に評価された。メキシコ戦では、釜本邦茂氏(男子)を超えて日本代表通算最多得点となる75ゴール目を記録。W杯、五輪を通じて自身初のハットトリックも達成した。ドイツ戦では丸山桂里奈の決勝ゴールをアシストすると、続く準決勝で勝ち越しゴール、決勝では延長後半終了間際に、“あの”同点ゴールを決めた。大会得点王と最優秀選手を獲得し、優勝と合わせて「すべて」を手に入れたのだ。
そして、今回の年間最優秀選手賞である。FIFA加盟208の国と地域の女子代表監督およびキャプテン、そして国際ジャーナリストによる1次候補者10選手への投票の内訳を見ると、有効投票総数の28.51%が澤に集まった。以下、2位のマルタが17.28%、3位ワンバック(米国)は13.26%にとどまった。澤への支持率は断トツだったのだ。
振り袖姿でステージに上がった澤は、受賞の喜びを淡々と述べた。そのスピーチの中に、やはり彼女らしいフレーズがあった。
「このような素晴らしい賞をいただけたのは、会長、監督、コーチ、チームメート、家族、友だち、今まで女子サッカーに携わってくれた、すべての方々のおかげだと思っています」
受賞したのは自分だけれど、自分1人で賞にたどり着いたのではない。「一番じゃない」澤は、舞い上がることなく、自分を客観視しているのだ。
澤は事あるごとに「サッカーは1人でやるものではない」と言い、「仲間との団結力」を勝利の糧とする。全員が献身的にプレーするからこそ、総合力で相手を退けられると胸を張る。
誰もが舌を巻くような、圧倒的なパワーやスピードは持っていない。その代わり澤は、自他ともに認める「研ぎすまされた感覚」を持った選手だ。「ここでボールを奪える」「ここにパスを通せる」「ここにボールが来る」。そのような感性豊かなプレーで、長年チームをけん引してきた。しかし、04年のアテネ五輪や07年のW杯・中国大会では、チームも澤自身も特別な活躍を果たせなかった。中国でのW杯が終わると「澤のキャリアのピークは過ぎてしまったのか」といった声もささやかれた。
しかし、08年に佐々木則夫監督が就任すると、なでしこジャパンは北京五輪で史上最高の4位に躍進。澤自身も「わたしはまだ、うまくなれる」と、周囲の限界説を吹き飛ばし、現役続行を決意した。そして迎えたW杯・ドイツ大会。さすがに走力は20代当時と同等というわけにはいかない。それでも彼女は、想像を超えて輝いた。なぜか。うまくなっていたのは、澤だけではなかったからだ。
つまり、アテネ五輪当時は、ほぼ澤1人が世界水準だったものだが、昨年のW杯を戦ったチームには、世界的なプレーヤーにまで成長した選手が要所にそろっていた。阪口夢穂の展開力、安藤梢のキープ力、岩清水梓のクレバーな守備、宮間あやの正確なキック。それらが、澤自身に本来備わっていた、たぐいまれな感覚を大いに引き出したのだ。だからこそ、澤は仲間を信頼し、仲間を励まし、仲間を助ける。
「苦しい時も、仲間がいるから頑張れる」
「みんなでやるから、サッカーは楽しい」
世界に伍する仲間を手に入れたからこそ、澤はチームでも個人でも、世界の頂点にたどり着くことができたのだ。
■浮き沈みなく、淡々と努力を重ねていく
澤となでしこが次に目指すのは、ロンドン五輪でのメダル獲得だ。W杯と五輪を連覇した女子チームは、過去に1つもない。それだけ、世界一であり続けることは簡単ではない。澤は言う。
「W杯王者だから、という重圧は自分の中にはない。プレッシャーとは常に、他人から掛けられるものだと思う。だから自分で気にすることはないんです」
五輪の舞台では「あくまでも挑戦者」という立場を見失ってはいない。
「有頂天になったら、そこまでの選手ですよ。わたしはこれまでも、どんなにいい試合でも、何かしらミスをしている。だからまるっきり満足したことは一度もないし、自分は絶好調だと思ったこともないんです。これからも現役でいる間は、満足する日は来ないと思うんです」
自分を特別な選手だとは、決して思わない。浮き沈みなく、淡々と、毎日それが当たり前だと言わんばかりに努力を重ねていく。ひょっとしたら、わたしたち日本国民にとって特別な日となった、FIFA年間表彰式のことも、澤はすでに過去の出来事と割り切って、振り返ることすらしないかもしれない。
勝利も敗北もない「いま」を生きる。そんな日々の積み重ねが、澤をどこまでも高い場所へと連れていく。
足が速いなら陸上選手、キック力ならキックボクサー、ジャンプ力ならバレー選手、バスケット選手と言った感じで、1つの能力であれば優れた能力を持つ選手は、その世界にいます。
しかし、澤選手のような足の速さ、ドリブルの甘さ、キック力、走る時の体のバランス・・・等々、人並み優れた選手が澤選手と言う事で、受賞に繋がったのではないでしょうか。
才能に恵まれた子供でも、1000人に1人、10000人に一人がプロ選手となるわけで、そのプロ選手の中で各国から選ばれ、その中で1位となるわけですから、子供の頃からある程度恵まれた環境にあって、しかも向上心が強く・・・。
だからこそ世界一となれば、誰もが拍手するわけです。
「わたしは、何も一番じゃないんです」
なでしこジャパン(女子日本代表)の合宿では、時折、選手の運動能力テストを行っている。持久力やダッシュ力、ジャンプ力などを測定するのだが、澤はどの種目でもトップになったことがないという。なでしこジャパンの中で、飛び抜けて得意な種目もなければ、飛び抜けて苦手な種目もない。
「だから、澤穂希という選手は、言ってみれば平均点のサッカー選手なんですよ」
この言葉に象徴される謙虚さこそが、澤を世界の頂点にまで引き上げた原動力なのだろう。
2012年1月9日(日本時間10日)、澤穂希がFIFA(国際サッカー連盟)による年間最優秀女子選手に選ばれた。01年に同賞が創設されて以来、過去10年間の受賞者はわずかに3名のみ。01年と02年は、米国の国民的スター、ミア・ハム。03年から05年は、ドイツの“女帝”ビルギット・プリンツが3年連続。そして06年から10年までは“スカートをはいたペレ”と呼ばれるブラジルのマルタが5年連続と、女子W杯や五輪の舞台で名をとどろかせた選手たちが連続受賞していた。
■断トツだった澤への支持率
今回の澤も、昨年のW杯・ドイツ大会での功績が最大限に評価された。メキシコ戦では、釜本邦茂氏(男子)を超えて日本代表通算最多得点となる75ゴール目を記録。W杯、五輪を通じて自身初のハットトリックも達成した。ドイツ戦では丸山桂里奈の決勝ゴールをアシストすると、続く準決勝で勝ち越しゴール、決勝では延長後半終了間際に、“あの”同点ゴールを決めた。大会得点王と最優秀選手を獲得し、優勝と合わせて「すべて」を手に入れたのだ。
そして、今回の年間最優秀選手賞である。FIFA加盟208の国と地域の女子代表監督およびキャプテン、そして国際ジャーナリストによる1次候補者10選手への投票の内訳を見ると、有効投票総数の28.51%が澤に集まった。以下、2位のマルタが17.28%、3位ワンバック(米国)は13.26%にとどまった。澤への支持率は断トツだったのだ。
振り袖姿でステージに上がった澤は、受賞の喜びを淡々と述べた。そのスピーチの中に、やはり彼女らしいフレーズがあった。
「このような素晴らしい賞をいただけたのは、会長、監督、コーチ、チームメート、家族、友だち、今まで女子サッカーに携わってくれた、すべての方々のおかげだと思っています」
受賞したのは自分だけれど、自分1人で賞にたどり着いたのではない。「一番じゃない」澤は、舞い上がることなく、自分を客観視しているのだ。
澤は事あるごとに「サッカーは1人でやるものではない」と言い、「仲間との団結力」を勝利の糧とする。全員が献身的にプレーするからこそ、総合力で相手を退けられると胸を張る。
誰もが舌を巻くような、圧倒的なパワーやスピードは持っていない。その代わり澤は、自他ともに認める「研ぎすまされた感覚」を持った選手だ。「ここでボールを奪える」「ここにパスを通せる」「ここにボールが来る」。そのような感性豊かなプレーで、長年チームをけん引してきた。しかし、04年のアテネ五輪や07年のW杯・中国大会では、チームも澤自身も特別な活躍を果たせなかった。中国でのW杯が終わると「澤のキャリアのピークは過ぎてしまったのか」といった声もささやかれた。
しかし、08年に佐々木則夫監督が就任すると、なでしこジャパンは北京五輪で史上最高の4位に躍進。澤自身も「わたしはまだ、うまくなれる」と、周囲の限界説を吹き飛ばし、現役続行を決意した。そして迎えたW杯・ドイツ大会。さすがに走力は20代当時と同等というわけにはいかない。それでも彼女は、想像を超えて輝いた。なぜか。うまくなっていたのは、澤だけではなかったからだ。
つまり、アテネ五輪当時は、ほぼ澤1人が世界水準だったものだが、昨年のW杯を戦ったチームには、世界的なプレーヤーにまで成長した選手が要所にそろっていた。阪口夢穂の展開力、安藤梢のキープ力、岩清水梓のクレバーな守備、宮間あやの正確なキック。それらが、澤自身に本来備わっていた、たぐいまれな感覚を大いに引き出したのだ。だからこそ、澤は仲間を信頼し、仲間を励まし、仲間を助ける。
「苦しい時も、仲間がいるから頑張れる」
「みんなでやるから、サッカーは楽しい」
世界に伍する仲間を手に入れたからこそ、澤はチームでも個人でも、世界の頂点にたどり着くことができたのだ。
■浮き沈みなく、淡々と努力を重ねていく
澤となでしこが次に目指すのは、ロンドン五輪でのメダル獲得だ。W杯と五輪を連覇した女子チームは、過去に1つもない。それだけ、世界一であり続けることは簡単ではない。澤は言う。
「W杯王者だから、という重圧は自分の中にはない。プレッシャーとは常に、他人から掛けられるものだと思う。だから自分で気にすることはないんです」
五輪の舞台では「あくまでも挑戦者」という立場を見失ってはいない。
「有頂天になったら、そこまでの選手ですよ。わたしはこれまでも、どんなにいい試合でも、何かしらミスをしている。だからまるっきり満足したことは一度もないし、自分は絶好調だと思ったこともないんです。これからも現役でいる間は、満足する日は来ないと思うんです」
自分を特別な選手だとは、決して思わない。浮き沈みなく、淡々と、毎日それが当たり前だと言わんばかりに努力を重ねていく。ひょっとしたら、わたしたち日本国民にとって特別な日となった、FIFA年間表彰式のことも、澤はすでに過去の出来事と割り切って、振り返ることすらしないかもしれない。
勝利も敗北もない「いま」を生きる。そんな日々の積み重ねが、澤をどこまでも高い場所へと連れていく。
足が速いなら陸上選手、キック力ならキックボクサー、ジャンプ力ならバレー選手、バスケット選手と言った感じで、1つの能力であれば優れた能力を持つ選手は、その世界にいます。
しかし、澤選手のような足の速さ、ドリブルの甘さ、キック力、走る時の体のバランス・・・等々、人並み優れた選手が澤選手と言う事で、受賞に繋がったのではないでしょうか。
才能に恵まれた子供でも、1000人に1人、10000人に一人がプロ選手となるわけで、そのプロ選手の中で各国から選ばれ、その中で1位となるわけですから、子供の頃からある程度恵まれた環境にあって、しかも向上心が強く・・・。
だからこそ世界一となれば、誰もが拍手するわけです。
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