石野真琴のなんでもあり?

多趣味な石野真琴が、普段感じている事、将棋、祭り、甲冑等々、趣味の内容を描きます

江戸時代の旅(その3)

2006-03-14 21:25:58 | 趣味
 江戸時代の旅、例えば熱海への湯治を考えてみる。熱海まではおおよそ百キロ、二十五里程度の距離である。旅慣れた男の足なら三日も歩けば充分に到着できる。女性が混じってゆっくり歩いても四日で到着する。しかし、一生に一度か二度の旅だとすれば、この百キロあまりの往復を、ただ歩いたのでは勿体ない。
 その途中で鎌倉へ寄って幾つかの寺社仏閣に詣でたり、小田原城を眺めたり、観光名所を訪ねたり、途中で寄り道を重ねると、片道で五日近く必要となる。
 そして湯治に二回りの十四日掛けると、往復十日と十四日で二十四日、おおよそ1ヶ月となるのである。熱海までの湯治旅でこの程度なのだから、東海道で京まで行くとなれば慣れた男性で13日、女性の足では20日余りも掛かるだろうか、帰りは中山道を歩いてやはり20日とすると、往復するだけで実に1ヶ月と10日も掛かるのである。
 江戸時代は、今の我々から見て非常にのんびりした時代だとは言え、京へ遊覧で2ヶ月以上も掛かるとなると、生活が心配になってくる。
 伊勢参りへ行くとすれば、やはり京へ行くのと同じぐらいの距離がある。そして伊勢から京へ回って、京の都で観光するとすれば、やはりそれだけで1ヶ月ぐらいは欲しい。伊勢参りと言っても、伊勢参りだけして帰る者は稀で、このチャンスにあちらこちらを見物して見聞を広げようとするのが普通だという。実際、伊勢参りが流行した時期に、伊勢神宮へお参りしてそのまま京や大坂を巡ってから、江戸へ戻った者が大半だったと言う。
 江戸時代の人で、鹿児島から日本国内を旅してあるいて、足かけ5年以上の放浪の記録を残した人がいるという。
 伊勢参りでは無銭で江戸から伊勢まで往復した人もいたらしい。伊勢参りに向かう人に何かを与えるのは功徳なのだ。それにしても江戸時代は、人々の生活にかなりの余裕が生まれた時代だと言えるだろう。戦乱の戦国時代では旅に出る余裕など生まれるはずもない。

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