探訪・日本の心と精神世界

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英・印・中の三角貿易とは

2007-04-01 21:54:24 | 世界史:19世紀の世界
◆イギリス・インド・中国の三角貿易とは?
ギリシアの独立戦争(1773~1783)で財政が苦しくなったイギリスは、自国の保有する銀が不足しはじめた。またそのころから始まった産業革命で資本の蓄積が叫ばれ、銀の国外流出への非難が高まった。
そのころ中国貿易をほとんど独占していたイギリス東インド会社は、中国から茶・絹・陶磁器を輸入して多くの銀を支払っていた。そこで東インド会社は、中国貿易での輸入超過を打開するため、植民地インドの農民にケシを強制的に栽培させてアヘンをつくらせ、これを1781年から中国に輸出しはじめた。ここに三角貿易が成立するが、この貿易で次の項目のうち間違っているのはどれか。

 ア)イギリスの毛織物などをインドへ。
 イ)インドのアヘンを清へ。
 ウ)清の銀などをイギリスへ。

《背景》
プラッシーの戦い(1757年)でイギリスは、インドの搾取を確立し、イギリス東インド会社は、ベンガル地方の支配権を握り、イギリスのインド支配を確実なものにした。ベンガル地方の綿織物に従事していた織工たちは、強制的に東インド会社の商館に登録され、自分の製品を市場価格より50パーセントも低い価格で引き渡すことを義務づけられた。そのため織工たちは奴隷に等しい状況におかれ、多くの織工たちが機織りに不可欠な自分の指を切断することによって、この苦しみから逃れようとしたほどであった。このようなイギリスの搾取はベンガル地方に大飢饉をもたらし、1769年~1770年にはベンガル地方の住民の約三分の一が死亡した。こうした状況を経てケシの栽培も強制されたのである。

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