発災から9年
発災後は青年会議所として物資支援に片付けなどで現地入り
そのあとは米穀部会での年1回の炊き出し
会社としては、発災年に米やストーブなどの物資支援
5年を一区切りとして
被災地への支援も終わり
現在は研修なんかで
宮城や福島、岩手、茨城辺りに行っても
被災地という感覚もなくなり
自分の中でも風化しつつあります
まだ廃炉過程の原発
津波対策で建設途中の護岸工事
町ごとの移転
当事者にとっては
まだ復興途中という感じなんだろうし
なにより
震災で亡くなった方々は戻って来ない
キモチの中での復興は
もしかしたら
ないのかも知れません
あらためて
後悔なく
生きて行こう!
朝から
そんなことを考えてしまいました
死ぬこと以外かすり傷
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