精神世界の旅

精神世界のいくつかの領域を探求します。

掲示板より:生体エネルギーの活性化と霊的覚醒11

2007年04月01日 | 掲示板より
◆MH氏   2000/08/18
生体エネルギーの位置づけですか?

<つまり波動一元論でこの世界を説明しようとしたとき、「エネルギーの凝固した自我の想念を溶かしていけば、光明波動はおのずとそこにあるのです」から、生体エネルギーという別種の波動を想定しなくても、光明波動への道は通じているし、説明もできるのではないでしょうか。>

私の考えでは、生体エネルギーは「別種の波動」ではないです。根源は光明波動です。 「生体エネルギーを想定しなくても光明波動への道は通じている」のは確かですから、だから「生体エネルギーを媒介としない行法」が存在しうるわけでしょ。

霊的エネルギーは、チャクラや経絡系を通して、微細次元から物質次元に変換されています。これはおわかりですよね。問題の要点は、「物質次元に固着した意識の状態」を破るということにあります。

この時、まず「気」(物質次元に近いエネルギー)を活性化させると、物質次元からの固着から離れる第一歩となります。そして、徐々に、「肉体の限界を超えて拡がる自己の意識」に気づいていきます。

その第一歩を踏み出すことができれば、あとはそのエネルギーに集中し、これを光明波動への意識と接続させて、エネルギーを純化していけば、「気」よりももっと微細な「拡大した自己」の意識が覚醒してきます。(ここの説明は、わかりにくいかと思いますが、瞑想を実践していれば、感覚的にわかるはずです)

どうしてそうなのか? という疑問には私は答えられません。これは、長い人類の経験から、そのようにすれば覚醒への道が開かれる、という経験知であるのだと思います。

「気を媒介にすると、肉体への固着を超えて行きやすい、という経験的智慧」によって、そういう方法が存在している、というのが私の答えということでしょうか。多くの人にとって、気の感覚は、初めて出会う「肉体よりも大きな自分」の経験ではないかと思います。

それから、エネルギーが霊的次元で動くと、電気系統に異常が出ることはよくあります。これも、理論的には説明できませんが、霊的エネルギーと電気エネルギーには何らかの親和性があります。霊的存在が人間に何らかのシグナルを送るときにも、良く電気的なものが使われます。

各次元のエネルギーは連続的なスペクトル状の存在になっているようです。霊的次元でのエネルギーの動きは、それより下位の、気や物質の次元でのエネルギー現象を付随的に発生させることは、私は不思議なことだとは思いません。

修行の過程でも、直ちに霊的次元のエネルギーに直接アクセスすることはできず、多くの場合、はじめは気の次元、そして気の次元とともに霊的次元が動き始める、という具合に進むようです。

要点は、

エネルギーは、霊的次元から、アストラル次元、気の次元、物質次元と「スペクトル状」に存在しており、各次元には連動関係があること、だからこそ、気の次元を出発として、「エネルギー変換」の方法によって霊的次元に到達できる、という道がある

ということになります。

気功を修練していれば、「すべて物質と見えるものも、エネルギーの一形態に過ぎない」ということが、理屈ではなく、感覚として了解できてくると思うのですが・・・

そこに至れば、自分の内部の感情や想念をエネルギーの状態として理解することもできるはずです。そうすると、それよりも純粋な状態のエネルギーを思い出すことができるようになるので、その中に想念を投げ入れて融解させるようにしていくわけです。それが瞑想の過程ということだ・・・というのが、今の私の理解レベルです。

掲示板より:生体エネルギーの活性化と霊的覚醒10

2007年04月01日 | 掲示板より
◆ishiinbr 2000/08/17
MHさん、
<光明波動というのは自己の本体だと思います。自分の外側にあるものではありません。自我的なさまざまな想念が、その光明波動を覆い隠しているのではないでしょうか。光明波動のレベルでは、宇宙=自己であって、宇宙のあらゆるものはこの光明波動によって創造されているわけです。>

これは、とてもよくわかる気がします。臨死体験者が出会う光も、

      自己の本源の光=宇宙の根源の光明波動

と捉えるのが、一番なっとく出来る気がしています。どのくらいの深さで、それに出会うかは人それぞれなのでしょうが。

ところで、臨死体験者は、体験後に生体エネルギーが活性化するのか、腕時計が壊れてしまったり、パソコンを故障させたり、電気機器に様々なトラブルを巻き起こすことが多い。気功家にもこういう例は、非常に多いのです。かつてこの(旧)掲示板に投稿くださっていた人達も、この話題になったら、実は私も私もと、何にかの人が同じ体験をなさっていたのです。これはなんなのでしょうか。

<高次の波動を「取り入れる」のではなく、自己そのものが光明波動であり、それは初めからそこにあるのですから、光を覆っているものを取り除くだけです。>

これも非常によくわかるのですが、 <自我的な想念も、光明波動の周波数の落ちたもの>だとして、瞑想の過程で活性化されていく、物質レベルに近い生体エネルギーとは何でしょう。

つまり波動一元論でこの世界を説明しようとしたとき、「エネルギーの凝固した自我の想念を溶かしていけば、光明波動はおのずとそこにあるのです」から、生体エネルギーという別種の波動を想定しなくても、光明波動への道は通じているし、説明もできるのではないでしょうか。

そうすると「生体エネルギーの感覚を媒介として使う方法」とは何ですか。そして、臨死体験者が自覚したり、瞑想の過程で自然発生的に出現したりする生体エネルギーの位置付けは?

また、電気製品を壊してしまうような生体エネルギーとは? どうも、この辺がまだ、わたしの中ではうまく整理ができません。

掲示板より:生体エネルギーの活性化と霊的覚醒09

2007年04月01日 | 掲示板より
◆MH氏  2000/08/17
光明波動というのは自己の本体だと思います。自分の外側にあるものではありません。 自我的なさまざまな想念が、その光明波動を覆い隠しているのではないでしょうか。

光明波動のレベルでは、宇宙=自己であって、宇宙のあらゆるものはこの光明波動によって創造されているわけです。自我的な想念も、光明波動の周波数の落ちたものです。想念も結局はエネルギーの形態ですね。

チベット密教では、すべての想念や感情を、純粋なエネルギーとしての存在状態に還元して自覚する、という修行を行うようです。つまりは、自我というもの自体が、エネルギーの凝固したものだという自覚を持つことです。凝固したものを溶かしていけば、光明波動はおのずとそこにあるのです。

高次の波動を「取り入れる」のではなく、自己そのものが光明波動であり、それは初めからそこにあるのですから、光を覆っているものを取り除くだけです。

・・以上の説明は、密教の教えにほぼ沿ったものだと思っているのですが・・

掲示板より:生体エネルギーの活性化と霊的覚醒08

2007年04月01日 | 掲示板より
◆ishiinbr 2000/08/17
かなり話は深まってきていますね。

自分を小さく有限なものにしてしまう窮屈なエゴ(「自己」)から解放されていく、そのいくつく先に覚醒があるという見方はおそらく間違ってはいないと思います。 霊的な覚醒を、いわば心理学的なプロセスとして理解する仕方ですね。トランスパーソナル心理学は、この立場です。

それに対し生体エネルギーの活性化との関係で理解していく仕方もある。生体エネルギーの活性化が覚醒を誘導するような事実があることを知ったとき、心理的な過程とはまったく異質な要素が入り込んで来たようで、とても興味をもちました。
まったく別の要因なのでしょうか。とすると心理的な面とエネルギーの面との関係はどうなるのか。

気が物質的な面から霊的な面まで幅をもつというのは、そのように言えると思います。気の世界を旅するでも、その辺を考察しましたので、ご参照ください。

それにしても「光明波動」というのは面白い表現ですね。