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神は至る所に存在しますか~聖書

2021年11月13日 | 日記

神は至る所に存在しますか


聖書の答え
神はすべてのものを見ることができ,望むならどこででも行動することができます。
「主(神)の目はどこにでもあって,悪人と善人とを見張っている」。
(箴言 15:3)

「そして,神の目を逃れられる創造物は一つもなく,全てのものは神から見て裸で,さらけ出されており,私たちはこの方に責任を問われることになります」。
(ヘブライ 4:13)


しかし,聖書は,神があらゆる場所やあらゆる物の中にいると教えているわけではありません。むしろ聖書は,神が人格を持ち,住まいも持っておられることを示しています。

神の形: 神は霊者です。
「神は目に見えない方であり,神を崇拝する人は聖なる力と真理に導かれて崇拝しなければなりません」。
(ヨハネ 4:24)

人間の目には見えません。
「これまで神を見た人はいない。しかし,天の父のそばにいる,神のような独り子が,神について説明した」。
(ヨハネ 1:18)


聖書中に出てくる神に関する幻は一貫して,神を特定の場所にいる方として描いています。決してどこにでも存在する方として描写してはいません。
「ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは,高く天にある御座(みざ)に主(神)が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。
上の方にはセラフィム(セラフ)がいて,それぞれ六つの翼を持ち,二つをもって顔を覆い,二つをもって足を覆い,二つをもって飛び交っていた」。
(イザヤ 6:1,2)

「それから,すぐに聖なる力が私に働いた。見ると,天に王座があり,その王座に座っている方がいた。座っている方は,碧玉,また赤めのうのようで,王座の周りにはエメラルドのような虹があった」。
(黙示録・啓示 4:2,3)

『4つの生き物にはそれぞれ6つの翼があり,翼の表にも裏にも目がたくさんあった。そして,それらの生き物は昼も夜も絶えずこう言う。「聖なる方,聖なる方,聖なる方,全能の神(エホバ,ヤハウェ)かつておられ,今おられ,これから来られる方」』。
(黙示録・啓示 4:8)

 

神の住んでいる場所: 神は霊の領域に住んでおられ,そこは物質の領域とは違います。霊の領域に,神の「住んでおられる場所,すなわち天」があります。
「恵みを求める私の願いと,あなたの民イスラエルがこの場所に向かって祈る願いをお聞きください。あなたが天の住まいから聞いてくださいますように。どうか,聞いてお許しくださいますように」
(列王第一 8:30)

聖書は,天使たちが「入って来て神の前に立った」 時のことについて述べています。この表現はいわば,神が特定の場所に住んでいることを示しています。
「ある日,主(神)の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た」。
(ヨブ 1:6)

 

神が至る所におられないとしたら,わたし個人を本当に気遣うことができるのですか
はい。神は一人一人を深く気遣っておられます。霊の領域に住んでおられるとはいえ,神はご自分を喜ばせたいと心から願っている地上の人々に目を留め,その人たちのために行動されます。
「あなたが,住まいである天からお聞きになり,許し,行動を起こし,それぞれの歩みに応じた報いをお与えになりますように。あなたは一人一人の心をご存じだからです。あなただけが全ての人の心を知っておられます」。
(列王第一 8:39)

「主(神)の目はあまねく全地を行きめぐり,自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる。今度の事では,あなたは愚かな事をした。ゆえにこの後,あなたに戦争が臨むであろう」。
(歴代第二 16:9)

神(エホバ,ヤハウェ)がどのように誠実な崇拝者たちに関心を向けてくださるかを考えてみましょう。

祈る時: 神はあなたが祈り出した瞬間から,あなたの祈りを聞くことがおできになります。
『戦車隊長たちはヨシャファト(エホシャファト)を見つけ,「イスラエルの王だ」と言うや,彼を攻めようと方向を変えた。しかし,ヨシャファト(エホシャファト)が叫ぶと,主(神)は彼を助けられた。神は彼らをエホシャファトから引き離された」。
(歴代第二 18:31)

憂うつな時: 「神(エホバ,ヤハウェ)は心の打ち砕かれた者たちの近くにおられ,霊の打ちひしがれた者たちを救ってくださる」。
「 主(神)は助けを求める人の叫びを聞き,苦難から常に彼らを助け出される」。
(詩編 34:18)

導きが必要な時: 神は,神の言葉 聖書によって「あなたに洞察力を持たせ……教え諭」してくださいます。
「私はあなたに洞察力を与え,進むべき道を教える。あなたに目を留めて助言を与える」
(詩編 32:8)

 


神がおられる場所についての誤解
誤解: 神は創造物のあらゆる場所に存在する。

事実: 神は,地球にも物質宇宙のどこにも住んではおられません。
「神は果たして地上にお住みになるのでしょうか。天も,天の天も,あなたには狭く,十分ではありません。私が建てたこの家など,なおさらです!」。
(列王第一 8:27)

星や他の創造物が「神の栄光を告げ知らせ」ているのは確かです。
「天は神の栄光を知らせ,大空は神の偉業を伝えている」。
(詩編 19:1)

しかし,神は創造物の中に住まわれるわけではありません。画家が描いた絵の中に,画家本人が住むわけではないのと同じです。それでも絵を見るなら,それを制作した画家について知ることができます。同様に,目に見える世界を通して,わたしたちは創造者の持つ力,知恵,愛といった「見えない特質」について知ることができます。
「神の見えない性質は,世界の創造以来明らかです。造られた物を見れば,神が永遠に力を持っていて,確かに神であるということが分かります。ですから,彼らは言い訳ができません」。
(ローマ 1:20)


誤解: すべてを知り全能であるために,神はあらゆる場所に存在しているに違いない。

事実: 神の聖霊とは,神の活動している力のことです。直接そこにいなくても,どんな場所や時間であっても,神は聖霊を通して,何でも気づいて行動することができます。
「あなたの聖なる力から離れてどこへ逃げることができるでしょうか。あなたから隠れてどこへ走り去ることができるでしょうか」。
(詩編 139:7)


誤解: 詩編 139編8節の「たとえわたしが天に上ろうとも,あなたはそこにおられます。たとえわたしがシェオル(墓)に寝いすを設けようとも,ご覧ください,あなたはそこにおられるのです」という表現は,神があらゆる場所に存在することを教えている。

事実: この聖句は神の居場所について述べているのではありません。これは詩的な表現で,わたしたちのために行動できないほど遠すぎる場所など神にはない,ということを教えています。