世の終わりはいつか
イエスは,「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も知らず,ただ父だけが知っておられます」と述べました。
「その日と時刻については誰も知りません。天使たちも子も知らず,父だけが知っています」。
(マタイ 24:36)
「それで,ずっと見張っていなさい。主がどの日に来るかを知らないからです」。
(マタイ 24:42)
さらにイエスは,終わりが来るのは予想のつかないとき,つまり「あなた方の思わぬ時刻」である,とも語りました。
「ですから,あなたたちも,用意ができていることを示しなさい。人の子は予期しない時刻に来るからです」。
(マタイ 24:44)
わたしたちは正確な日時を知ることはできません。しかしイエスは,複合的な「しるし」,つまり世の終わりが迫っている期間を識別できる一連の出来事については教えてくださいました。
『イエスがオリーブ山の上で座っていると,弟子たちが自分たちだけで近づいてきて,言った。「教えてください。そのようなことはいつあるのでしょうか。あなたの臨在と体制の終結のしるしは何ですか」』。
(マタイ 24:3)
「国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,あちらこちらで食糧不足や地震があります。これら全ては苦しみの激痛の始まりです。その時,あなたたちは苦難を味わい,殺されます。
私の名のために全ての国の人々から憎まれます。またその時,多くの人が信仰を捨て,互いに裏切り,憎み合います。多くの偽預言者が現れ,多くの人を惑わします。不法なことが増えるために,大半の人の愛が冷えます。しかし,終わりまで耐え忍んだ人が救われます。そして,王国の良い知らせは,全ての国の人々が聞けるように世界中で伝えられます。それから終わりが来ます」。
(マタイ 24:7~14)
聖書はその期間を,「終わりの時」や「終わりの日」と表わしています。
「ダニエル,終わりの時までこれらの言葉を秘密にしておき,この書を封印しておきなさい。多くの人が巡り歩き,真の知識が満ちあふれます」。
(ダニエル 12:4)
「このことを知っておきなさい。終わりの時代は困難で危機的な時になります。人々は自分を愛し,お金を愛し,自慢ばかりし,傲慢で,神や人を冒瀆し,親に従わず,感謝せず,不忠実になります。 自然な愛情を持たず,全く人に同意しようとせず,中傷し,自制心がなく,乱暴で,善いことを愛しません。 人を裏切り,強情で,思い上がり,神ではなく快楽を愛し,信心深く見えても実際には神を敬っていません。こういう人たちから離れなさい」。
(テモテ第二 3:1~5)
世の終わりのあとに残るものがありますか
はい。地球は存続します。「それ[地球]は定めのない時に至るまで,まさに永久によろめかされることがありません」と聖書に述べられているからです。
「神は大地を土台の上に据えた。大地はいつまでも永遠に取り去られない」。
(詩編 104:5)
そして聖書が,「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう」と約束しているとおり,地球には大勢の人が住むことになります。
「正しい人は地上に住み続け,そこで永遠に暮らす」。
(詩編 37:29)
神は地上を当初の目的どおりにしてくださいます。
楽園。
「荒野と乾き切った土地は歓喜し,砂漠平原は喜びに満ちてサフランのように花を咲かせる」。
(イザヤ 35:1)
『イエスは言った。「今日あなたに言います。あなたは私と共にパラダイスにいることになります」』。
(ルカ 23:43)
安全と繁栄。
「彼らはそれぞれ自分のブドウの木やイチジクの木の下に座り,誰にも脅かされない。大軍を率いる神(エホバ,ヤハウェ)の口が語ったのである」。
(ミカ 4:4)
有意義で満足のゆく仕事。
「彼らは家を建てて住み,ぶどうを植えてその実を食べる。彼らが建てたものに他国人が住むことはなく,彼らが植えたものを他国人が食べることもない。わたしの民の一生は木の一生のようになり,わたしに選ばれた者らは彼らの手の業にまさって長らえる。彼らは無駄に労することなく,生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。彼らは,その子孫も共に,主(神)に祝福された者の一族となる。彼らが呼びかけるより先に,わたしは答えまだ語りかけている間に,聞き届ける。狼と小羊は共に草をはみ,獅子(ライオン)は牛のようにわらを食べ,蛇は塵を食べ物とし,わたしの聖なる山のどこにおいても害することも滅ぼすこともない,と主(神)は言われる」。
(イザヤ 65:21~23)
病気や老化のない状態。
『彼の肉体を若い頃よりも元気にし,彼を活力にあふれた若い日々に戻そう』。
(ヨブ 33:25)
『「私は病気だ」と言う住民はいなくなる。その土地に住む人々は過ちを許される』。
(イザヤ 33:24)