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聖書・文語訳 ~ 聖書

2022年05月19日 | 日記

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聖書・文語訳 ~ 聖書

 

文語訳聖書

明治時代、キリスト教諸派の働きにより、様々な日本語訳聖書が文語体で編まれ、宣教に用いられた。

口語文を唱導する言文一致運動が起こるなど、日本語の書き言葉が大きく揺れ動いていた時代ではあったが、第二次世界大戦の後まで、外国語の和訳には文語文を用いるのが常であった。

『舊新約聖書』あるいは『文語訳聖書』として知られる。日本語で単に文語訳聖書と言えば、あるいは聖書に関して文語訳と言えば、ほとんどの場合、主に日本聖書協会が今日、
目録番号の冒頭にJLを付して出版するこの文語訳『舊新約聖書』を指すのである。

書名はほかにも、奥付などには、その類にしたがって『大形文語聖書』『小形印照つき文語聖書』などのようにあるほか、同協会のウェブ上では同様に『文語訳 大型聖書』『文語訳 小型聖書』などとあり、表紙や背表紙、外函などでは同じく『舊新約聖書 文語訳』『舊新約聖書 印照附』などとある。抜粋のものには『文語訳 小型新約聖書詩篇附』などがある。

なお、「舊」は「旧」の異体字である。「訳」の異体字に「譯」があるが、『舊新約聖書 文語譯』などとはしないようである。

元来、この翻訳は大英国聖書会社、米国聖書会社、北英国聖書会社の日本支社の共同事業であった。

1874年、ヘボン、ブラウンらからなる翻訳委員社中によって新約聖書の翻訳がはじまり、約5年半の歳月をへて完成。1878年に聖書常置委員会が組織され、これによる旧約聖書が1887年完成。
今日、これらをあわせて『明治元訳聖書』という。この旧約部分と、1917年に新約聖書のみ完成した『大正改訳聖書』が本書に収録されている。

これらをあわせて考えると、明治期より昭和中期ごろまでに、日本でもっとも普及した聖書であると言える。広く日本の思想・文学に影響を与えた、愛読者が絶えない名訳である。

神の名エホバ(旧字体、ヱホバ)が使われていた。

~wikipedia~

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*添付写真は私の所有の文語訳聖書です。
3枚目のイザヤ書の四二章をご覧ください。


文語訳1917 神の名エホバ(旧字体、ヱホバ)が使われていた。

口語訳1955

新改訳1970

新世界訳1985 神の名エホバ使用

新共同訳1987

フランシスコ会訳2013

聖書協会共同訳2018

新世界訳聖書 (スタディー版)2019 神の名エホバ 使用

(風間 哲也 調べ)

 

「われはヱホバなり是(これ)わが名(な)なり 我(われ)はわが榮光(えいこう)をほかの者(もの)にあたへ(え)ず わがほまれを偶像(ぐうぞう)にあたへ(え)ざるなり」
(イザヤ書 42:8)文語訳1917


「私は主、これが私の名。私の栄光を他の者に私の誉れを偶像に与えることはない」。
(イザヤ書 42:8)聖書協会共同訳2018

「たしは主、これがわたしの 名、わたしの栄光を他のものに、わたしの栄誉を偶像に与えはしない」。
(イザヤ書 42:8)フランシスコ会訳2013


「わたしは主、これがわたしの名。わたしは栄光をほかの神に渡さずわたしの栄誉を偶像に与えることはしない」。
(イザヤ書 42:8)新共同訳1987


「わたしはエホバである。それがわたしの名である。わたしはわたしの栄光をほかのだれにも与えず、わたしの賛美を彫像に与えることもしない」。
(イザヤ書 42:8)新世界訳1985

「わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない」。
(イザヤ書 42:8)新改訳1970


「わたしは主である、これがわたしの名である。わたしはわが栄光をほかの者に与えない。また、わが誉を刻んだ像に与えない」。
(イザヤ書 42:8)口語訳1955


「私はエホバ。それが私の名。私は自分の栄光をほかの誰にも与えず、自分の栄誉をどんな彫像にも与えない」。
(イザヤ書 42:8)新世界訳聖書 (スタディー版)2019