【 人生には確かに目的がある 】
生きているというのは何と良いことでしょう。自分が何事かを成し遂げており,自分の生活に本当に意義があるのを知るのは何とうれしいことでしょう。
『「何とむなしいことか!」と招集者は言う。「何とむなしいことか! 全てはむなしい!」太陽の下で人が一生懸命働いたとして,どんな良いものを得ることができるだろう。世代は去り,次の世代となる。
しかし地球は永遠に存続する』。
(伝道の書・コヘレトの言葉 1:2~4)
『何かについて「これは新しい」と言えるだろうか。それはずっと昔からあった。私たちの時代よりも前からあった。誰も昔の人を覚えていない。これから生まれる人も,誰の記憶にも残らず,
その後に生まれる人の記憶にも残らない』。
(伝道の書・コヘレトの言葉 1:10.11)
漫然とした生活,目的のない生活はだれにとっても楽しいものではありません。
全地の幾億もの人々は骨折って働き,生きることに幸福を見いだそうとしています。それでも人はやがて立ち止まって考え,自分は一体どこに向かっているのだろうか,と問うようになります。
人生とは,わずかな期間生きて家名を継ぐ子供たちを育て,次いで,その子供たちが同じ事柄を繰り返すことにすぎないと思えるかもしれません。人生にはそれよりも優れた目的はないのでしょうか。
「私たちの寿命は70年,丈夫な人でも80年です。人生は悩みと悲しみであふれています。瞬く間に過ぎ,私たちはいなくなってしまいます」。
(詩編 90:10)
さらに人々は,経済的混乱や戦争その他の災難によって,生がいの努力が無に帰してしまう場合が多いことを知っています。
さらに痛ましいのは,病気や事故や犯罪で自分の深く愛する者を失い,突如当てのないむなしい生活を余儀なくされることです。すべてが順調に進んでいる人の場合でも,人の命は余りに短く思われます。
わたしたちを取り巻く無窮の宇宙と比べると,人の生がいは時計の一刻みにすぎません。
人類にはもっと良いもの,人生に真の意味を付与できる何かが備えられているに違いありません。とすれば,それは何でしょうか。
この問題に答えるには,まず,もっと根本的な問題,すなわち,宇宙とその中のあらゆる生命は“優れた建築家”つまり神の所産か,という問題の答えを得なければなりません。
目的を持つ優れた建築家がいるか へ続く>>>