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聖書は,一般の自己啓発書とはどのように違うでしょうか。

2017年12月01日 | 日記

 

聖書は,一般の自己啓発書とはどのように違うでしょうか。


専門家の意見であっても,

慎重に集めた証拠に基づいているとは限りません。
一番売れそうなアドバイスをする人もいます。読者の好みに合ったことを書けば大もうけできる,と知っているからです。
自己啓発ビジネスは,ある一つの国だけで年間7,600億円以上も売り上げています。



自己啓発書はどれほど役に立つか

自己啓発書を読む人は,役に立つアドバイスを期待します。
しかし,薄っぺらなアドバイスや漠然としたアドバイスしか得られないかもしれません。
典型的なのはこのようなアドバイスです。
『ポジティブ思考でいきさえすれば,うまくいく。お金,健康,恋愛など,何であれ,ポジティブ思考でいけば手に入る』。
こうしたアドバイスは役に立つでしょうか。
人生の現実や失意に対処する助けになりますか。

例えば,特に人気のある,人間関係や結婚に関する本はどうですか。
幸福で安定した家庭を築く助けになっているでしょうか。
そうとは限りません。
ある書評家によれば,中南米で人気を呼んだ愛に関する自己啓発書の著者は,「健全な人間関係を築いて自尊心を強める方法を指南して」います。
そして,うまくいかない関係を続けるのは自分に対する一種の裏切り行為である,と断言しています。
根底にあるのは,問題を見極めて解決を図るよりも自分にとって心地よいことを行なうほうが大切,というメッセージです。

自己啓発書のアドバイスには,良いものもあるかもしれませんが,有害なものもあります。
ある点について有用な提案をしている専門家でも,別の点については事態を悪化させるようなアドバイスをしているかもしれません。
自己啓発書に載っている数多くの(しばしば互いに矛盾している)意見すべてを比較検討することなど不可能です。信頼できるのはどんな人のアドバイスでしょうか。
こう考えてみましょう。
『このアドバイスは慎重な調査に基づいているだろうか。それとも,著者の独断的な意見だろうか。著者のモラルは,富や名声を求める気持ちに曇らされていないだろうか』。


ずっと昔から試され,有用性を実証してきたガイドブックがあります。
聖書です。聖書は,自己啓発書が扱う分野の多くで,また他の分野でも,役に立つアドバイスを提供しています。
そして,次の勧めを実行する意欲を無数の人に与えてきました。
『あなた方の思いを活動させる力において新たにされ,新しい人格を着けなさい』。
(エペソ・エフェソス 4:23,24)

聖書は,問題の原因を見抜く鋭い洞察力を与え,問題に取り組む方法を教えます。

さらに重要なこととして,正しいことを行なうための強力かつ現実的なモチベーションを与えます。



その点を次の記事で考えます。


聖書が現代でも役に立つのはなぜか

「聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です」。
(テモテ第二 3:16)
「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」。
(テモテ第二 3:16)

何世紀にもわたり,聖書は様々な文化圏の人々に,より良い生き方をする意欲を与えてきました。
 
聖書にそのような力があるのはなぜでしょうか。上の聖句が述べるとおり,神の知恵が収められているからです。
 
聖書は,筆記したのは人間ですが,神の考えを伝えています。「人が聖霊に導かれつつ,神によって語った」のです。
(ペテロ第二 1:21)

 
聖書は,少なくとも二つの点で実際的なガイドブックです。

第一に,より良い生き方とは何かについての現実的な見方を教えています。
 
第二に,より良い生き方をするのに必要な変化を遂げる意欲を与えます。
 
では,これら二つの点を考えてみましょう。

実際的な目標を見分ける洞察力

聖書の中で,神はこう約束しておられます。
「わたしはあなたに洞察力を持たせ,その行くべき道を教え諭す。わたしはあなたに目を留めて忠告を与えよう」。

(詩編 32:8)
神は,忠告だけでなく洞察力も与えると述べておられます。洞察力とは,物事の奥深くを見通す力のことです。
本当に有益な目標を見分ける洞察力があれば,無価値な物事に人生を浪費せずに済みます。

例えば,名声や富を人生の目標とする人は少なくありません。
人の裏をかいて地位やお金を得る方法を指南する自己啓発書は沢山あります。
しかし,聖書はこう述べています。
『互いに対する対抗心はむなしく,風を追うようなものである』。『銀を愛する者は銀に満ち足りることがない』。
(伝道の書・コヘレトの言葉 4:4; 5:10)

このアドバイスは,今の時代でも実際的でしょうか。

聖書の忠告の有用性がよく分かる例として,日本の昭則という男性のケースを考えてみましょう。
昭則は,厳しい競争を乗り越えて目標を達成しました。名門大学を卒業し,一流企業に就職したのです。
万事順調と思えました。ところが,成功を手にしたはずなのに,望んでいたような幸福が得られません。
むしろ,ストレスと過労で体をこわしてしまいました。同僚は少しも力になってくれません。落ち込んだ昭則は酒に溺れ,自殺さえ考えました。
そんな時,聖書研究者(真のクリスチャン)と一緒に聖書を勉強するようになります。
学ぶにつれ,人生で重視するものが変わりました。やがて,ストレスによる症状は消えてゆきます。
誇りや野心に突き動かされることはなくなり,「平和な心は体に命を与える」という聖書の言葉の正しさを実感できました。
(箴言 14:30)
あなたは,人生における最も意義ある目標は何だと思われますか。
本当の幸福を得るかぎは何でしょうか。夫婦円満であることですか。我が子に人生の良いスタートを切らせることでしょうか。
たくさんの友を持つことですか。生活を楽しむことでしょうか。どれも価値ある目標です。聖書もそうした目標を奨励しています。
とはいえ聖書は,それらが人生の主要な目的だとは述べていません。物事の本質をとらえ,満足のゆく生き方の基本条件をこう提示しています。
「まことの神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めのすべてだからである」。
(伝道の書・コヘレトの言葉 12:13)

この務めを無視するなら,達成感のない,あてどない人生を送ることになり,結局は失望に至ります。

一方主(神)に依り頼むことが彼の幸い」,と聖書は断言しています。
(箴言 16:20)
「神(ヤハウェ,エホバ)に依り頼んでいる者は幸いである」。
(箴言 16:20)