閑雲孤鶴の日々  - Fire生活者の呟き -

Fire生活経験談のほか、世相世情 💹📆、知的生産技術💻📱、書評📒について、書き綴ります。⏳

読書感想文作成術について

2012年02月07日 | 知的生産技術

読んだ本に関する見解を紹介する技術であるが、教師から言われたことを何の疑いなく、言われたとおり実行できる人のみが実行可能な文章作成技術の一形態である。。

読書感想文作成を支援するサイトがあるのだが、
http://www2.ocn.ne.jp/~kansobun/
なぜ、読書感想文でなければならないのか、私は理解に苦しむ。

そして、読書感想文コンクールも私は嫌いである。
http://www.dokusyokansoubun.jp/
このために、私は、国語を学習する意欲を失ったのだ。

自発的に発想し、表現力ある人を育てるのが目的であるならば、
読書感想文という形態に限定すべきではないと考えるからだ。

そして、原稿用紙数枚というノルマにも私は賛成いたしかねるのだ。
なぜなら、書評は100字くらいの文章で十分であり、それ以上はダラダラと字数を稼ぐための文章作成作業としか思えない。

そして、最大の問題は、読書感想文を作成する、目的がはっきりしないことなのだ。
読書感想文コンクールのサイトでは、
http://www.dokusyokansoubun.jp/q_and_a.html
「書くことによって考えを深められるからです。読書感想文を書くことを通して思考の世界へ導かれ、著者が言いたかったことに思いをめぐらせたり、わからなかったことを解決したりできるのです。ですから読書感想文は「考える読書」ともいわれます。」と感想文を書く目的について説明しているが、読んだ本を盲目的に肯定し批判しない前提での作文に何の思考的意義があるのか、私はいまだに理解できない。

なお、私は、私なりのやり方で書評は作成している。
ただし、基本的に書評を書くに値すると本に限定している。
内容は、本の評価に関するものが大部分である。本の存在意義を肯定する前提での感想文では決してない。
読む価値のない本はダメな本だと書くべきだし、そう書く表現の自由はあっていいはずだ。
そして、様式にとらわれず、肯定的あるいは批判的視点から短くコメントすることにしている。何の束縛も設定していないし、それでいいのだと思っている。

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