Absolute ZERO

オールウェイズ低空飛行(墜落寸前)な精神状態で綴る雑多オタク(主に舞台。あとラノベとアニメと漫画とゲーム)な雑記ブログ。

事実の一つ。

2010-08-01 09:08:45 | 雑記
地位や名のある人には、できるだけ気に入られておくべきである。
これは私が齢二十五のときに改めて悟った事実だ。


密やかに、だが動かし難い真実として語られる内容を、
それまでの私は理解してはいたが受け入れようとは思わなかった。
必要とする状況に追い込まれたことはなかったし、
そんなものに頼るのは他力本願であり、
己の力の身で認められ築き上げたものこそが、誇るべきものだと思っていた。
今も、根本的な考えは変わっていないのだが。

二十五の私に、その事実を一角の重みを持って感じ入らせたのは、大叔父だった。

祖母の弟に当たり、祖母の実家近くに住む一人住むその人を訪なったとき、
部屋の鴨居の上に飾られた、古い写真を見た。
モノクロームの、軍服を着用した大叔父の写真だった。馬に騎乗していた。

大叔父は、私に昔話を語った。
前橋連隊区の歩兵部隊、それも、胸があまり良くないということで予備役であったのを、
終戦近くに徴兵されたのだ。
地元ではそれなりに裕福な家柄であり、実家で育てていた馬を連れて入隊した大叔父は、
隊内では上役に目をかけてもらっていたのだと言う。
実家から連れた馬は、そのころ既に数が多くなかったせいもあるのか、
すぐに士官の騎馬となり、大叔父はその世話を命じられたのだ。
軍服騎乗の写真は、本来士官でなければ許されない騎乗を、
実家から馬を連れ出す際に特別に許され、撮影したのだと言う。
そして入隊せざるをえなかった状況にあっても、祖父は上役に愛想を振りまき、
賄所を担う先輩とは特に懇意にし、終戦間際にあって甘味を口にする機会さえあったそうだ。
大叔父を心配して面会に行った祖母が差し入れた飯は、
大叔父と見て見ぬふりをした目付役の先輩の腹に無事収まった。
大叔父は、運にも恵まれたのかもしれないが、ちゃっかりした人だったのだろう。今もその片鱗は伺える。
大叔父は実は胸など患っていなかった。
裕福な土地持ちの家の末男子を、家族は揃って庇い、医師が家にいい顔をしたかっただけだ。
大叔父は笑った。
家族にとっては幸いにも、と言うべきか。恥と思い自責の念にかられる、という意識は、大叔父には薄かったようだ。
今声に出して語るまでには、あるいは相応の葛藤を経て生きて来たのかもしれないが。

昭和二十年八月十五日、玉音放送が響き、日本は終戦を迎えた。
大叔父は一度も戦地を踏むことなく、実家に帰った。

語られない胸の内に、語られた言葉と言葉の狭間に、笑っては話せない辛酸もあったのかもしれない。
だが、大叔父は繰り返す。
自分はうまくやれたのだ。だから、それほど辛い目にも合わなかったのだと。
そして私は思う。
太平洋戦争という非常時の極みにあって、命を繋ぐには、
地位や名のある人との縁や情けに縋るくらいしかできないのではないかと。
己の力だけではどうしようもない極限下にあれば、他力こそが己を生かす。
これは、ひとつの事実だ。

そのとき、私の中で拒み続けてきた一つの真実が、
確かさを持って身の内に入り込んだのだった。



…まぁ、何が言いたいのかって、
ボスから言われたことに即決で拒否示すのとかなるべくやめようねって最近思いました。
課長と係長が本気で驚いてたし。
一応根拠と確信があって拒否したんだけど、2人の驚愕の眼差しで気付きましたよ。
色々まずいよねってことに。
許される空気かと思ったんだけど、読み切れてなかったらしいんだ空気。
あとあれだ。営業飲み頑張ろう。


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