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「皇室問題INDEX」設立準備室

マスメディアによる皇室の偏向報道、ネットに流れる東宮家への誹謗中傷を検証しています。

■検証:雅子妃の出自をめぐるデマ(四代前は遡れない、朝鮮人)等について

2015-07-27 03:37:41 | 日記
 雅子さまのご出自について、解放同盟の抗議により「身元調査が中断された」というデマ、「四代前は遡れない」というデマが事実であるかのように流布されています。あげく「朝鮮人である」「被差別出身である」と真顔で言う人たちまで現れています。

 今はまだネット限定ではありますが、ネットの嘘を信じやすい若年層は執拗に流されるこれらのデマを信じてしまう恐れがあります。デマを流布している悪意の人たちの目的は、そこ(皇室に関する常識に疎い若年層の洗脳)にあるのかもしれません。

 「四代前は遡れない」は意図的に捏造されたデマであり、雅子さまのご出自は、日本国民が「わが国の皇太子妃、次代の皇后さま」として心から誇りに思えるものです。それは決して武士という「身分」が素晴らしいというのではなく、誠実で真面目で努力家で、これぞ日本人の鏡としてお手本にしたい立派な方々が、雅子さまのご先祖さまなのです。次代の天皇の妻(皇后)として、次々代の天皇候補(愛子さま)のご母堂として、これほどふさわしい女性が日本に二人といらっしゃるとは思えません。雅子さまはまさに無二の方です。

 悪意のデマについて、多彩な資料をもって検証してくださっている皆さま、ほんとうに有難うございます。

●「解放同盟の抗議」は「素晴らしい家系」という「調査結果」に対して行われた
(by にゃーこ)2015-07

 「宮内庁が雅子妃の祖先を調査している際、4代前を調べようとした時、解放同盟の抗議により調査が中断した」ということが事実であるかのようにネットに流布されていますが、嘘の最たるものです。実際に抗議はありましたが、それは宮内庁が「調査した結果、四代前まで素晴らしい家系だった」と発表したことに対してのものです。つまり、解放同盟は、「(宮内庁が)結婚に際して身元調査をした」「(宮内庁が)家系に善し悪しがあると言及した」ことに抗議したのです。「差別助長につながる」という理由で。

 そもそも雅子さまは、妃殿下候補リストに掲載されていた方です。身元調査が終わって問題なしとされた方しか、リストには掲載されません。ご本人だけではなく近親者まで、経済的な問題や思想の問題、病歴まで調べたうえで何年もかけて作成されるものです。それを考えただけで、ネットのデマの馬鹿馬鹿しさがわかります。

 当時、次のような報道がありました。

▼[ドキュメント・皇太子妃内定](2)専門興信所が4代前まで徹底調査(連載)東京読売新聞 朝刊(1993/01/09,)

「確かに五年前、小和田さんの調査をしました」。皇室関係一筋の老調査員が都内の事務所で重い口を開いた。宮内庁から直接、調査依頼を受けたのは東京・丸の内に事務所を構える大手興信所。(略)小和田雅子さん(29)に関する分厚い調査報告書は、作成にまる一か月かかった。直系は四代前までさかのぼり、大祖父、祖父の兄弟姉妹まで徹底的に調べた。両親については交友関係、勤務先、近所の評判も。肝心の本人は、さらに詳細をきわめた。経歴、性格、趣味、素行、健康状態……。結論は、「優秀な家系に驚いたのを覚えています。もちろんご本人も申し分ありませんでした」。このベテラン調査員が手掛けたお妃候補は、実は雅子さんだけではない。この五年間で十人以上にのぼる。雅子さんの調査書はその中でひときわ鮮明に記憶に残っているという。

 抗議については、アンチブログの本元にも画像があり、それを読むことができます。

▼解放同盟中央本部機関誌『解放』(1993年6月号)

 「皇太子妃決定にかかわる身元調査等の差別助長行為にたいする抗議と申し入れ」
…本年一月六日の「皇太子妃内定」の報道いらい、こうした差別撤廃、人権確立をすすめる立場から看過できない内容の報道がなされています。とくに、小和田雅子さんの「家系図」の掲載や「家柄」賛美などの過剰ともいえる報道内容、そして、「皇太子妃を選ぶにあたっては、皇室専門の興信所員が四代前まで徹底調査」などと、宮内庁自らが公然と身元調査を指示していたことが報道されています。(中略)

 私たち解放同盟は、今回の皇太子妃決定の経過を含めて、皇室報道はもとより、政府・宮内庁の身元調査や奉祝強要キャンペーン、過剰警備などについて、差別撤廃と人権確立の立場から深い憂慮の念を持っており、今後とも、天皇の政治的利用反対とともに、平和と民主主義の確立、差別なき社会の実現にむけて、取組みを進めていく所存です。(後略)


 この文章を読んで、雅子さまの出自に問題有りだと受け取ることは不可能だと思います。しかし、身元調査について抗議した、という事実だけを語ることによって「事実誤認を誘導している」わけです。明らかに意図的で悪意にもとづく行為です。

 普通の人は、皇族それも皇太子妃の出自に問題があるはずない、という常識をもっていますから、当時はほとんど気にする人は居なかったと思います。むしろ「何かっていうとアピールして目立ちたがる団体による、いつもの行為」という受け取り方でした。ご成婚の時点で、地方によっては結婚時の身元調査を条例で禁止しているところもあったようなので、抗議そのものはおかしなことではないのかもしれません。

▼東京読売新聞 朝刊 (1993/3/20)

 解放同盟(上杉佐一郎委員長)は十九日までに、「皇太子妃決定に際し、身元調査が行われたことは結婚差別を助長する」として、皇室会議のメンバーである宮沢首相や衆参両院の議長、最高裁長官の三権の長と宮内庁長官あてに抗議文書を送った。

 この上杉という人が、小和田家の家系について欺瞞性を指摘したという記事もあるようですが、ここで指摘されているのは、公表されている家系図から女性が排除されている、また、肩書きのない男性も排除されている、だからこれは家系図とは言えない、という内容のようです。歴史上の人物でも、直系ではない兄弟は書かないで系図を見せることは珍しくないですから、これは、言いがかりレベルですよね。ましてや、一般人のかかわるもの、詳細な家系図が公表されることで迷惑が及ぶ方もいらっしゃることを考えると、当然のことだと思います。時系列は次のようです。

 1993年1月06日 皇太子妃決定報道 
 1993年3月16日 皇太子妃決定にかかわる身元調査等の差別助長行為に関する陳情書
 1993年6月10日 第126回国会 内閣委員会 第7号 において同上文書記載

 内閣委員会については、詳しい議事録(下記)が読めます。

内閣委員会議事録(1993年4月21日)(←クリックすると当該ページに飛びます)

 このなかで、「皇室典範の第十条によりましで「皇室会議の議を経ることを要する。」というふうに規定されておりますところから、これらに必要な限度において調査をさしていただいたところでございます。」という答弁があります。つまり、雅子さまの身元調査は「皇室会議の前に終わっていた」ということです。
 一般社団法人解放・人権研究所のサイト「講座講演録」(2005.12.27)には、次の記載があります。

▼「第267回国際人権規約連続学習会 世界人権宣言大阪連絡会議ニュース280号より」

 Q.皇太子の結婚に際して行われた身元調査に対して解放同盟はどのような抗議や取り組みを行っているのですか。それは今回結婚した黒田慶樹さんの件にどう結びついていますか。また同企連の取り組みは今後もっと具体的な広がりが求められていると私は思うのですが、その点について動きはどうなっているのでしょうか。

 A.小和田雅子さんの身元調査については起こってからかなり後で事実が分かったので、一応抗議はしましたが、それほど強力なものではありませんでした。


 「起こってからかなり後で事実が分かったので」と、関係者が語っています。雅子さまの身元関連については他にもブログなどで発表されていますが、興味深かったのは問題点として指摘されていた部分です。

▼あるブログの記載

 一つは八七(昭和六十二)年暮れから八八(昭和六十三)年初めに発売された一部週刊誌が指摘していたように、小和田雅子の母方の祖父・江頭豊が、日本興業銀行の銀行マンから転じたとはいえ、代表的な公害企業・チッソの社長や会長を務めていたこと。「お妃とともに全国を回らなければならぬ立場にある浩宮さまの訪問先で、水俣病の患者のムシロ旗が立つようなことがあっては」と宮内庁幹部は懸念したのである。

 二つめは、三代さかのぼった中に軍人がいること。三つめは、身長が浩宮より小和田雅子のほうが高くなることへの危惧。四つめは、まったく取るに足りないことだが、彼女の妹が双子であり、もし彼女が双子を生んだ場合、皇位継承の問題が残ること。五つめは、皇室に入った女性で、仕事をした経験のある人はいない-というものだった。
(小田桐誠 『消えたお妃候補たち』)


 これも、アンチが「問題があった」ということだけを流布させていますよね。富田宮内庁長官(当時)は週刊誌にこう語っているようです。

▼富田宮内庁長官(当時)のコメント

「私が(小和田さんに)反対したことはありません。ただ、当時は、いわゆる『チッソ問題』の被害者の方がまだ大勢おられました。加えて、批判勢力というか、社会運動派の人たちが(チッソの)東京本社に、押し掛けたりもしていた。そういう状況でしたから、もう少し様子を眺めたほうがいいのではないかと、そう殿下に申し上げた。殿下はそれを『わかった』といわれたのです。『おやめなさい』といったのではなく『見つめましょう』といったのです」

▼毎日グラフ(1993年1月31日号)

 小和田家と同じ村上藩士の子孫で、郷土史研究家の村上城跡保存育英会の竹沢盛夫理事長(77)も、小和田家のルーツ探しに追われる日々だ。竹沢さん自身、雅子さんの父方の曽祖父、金吉さん以前の祖先がつかめていない。「ご婚約は同じ士族の子孫として大変喜ばしいこと。下級武士であったために小和田家のルーツは記録が少ないが、これで系譜を解きあかす興味が増えた」といきいきとした表情で語った。

 ここで、曽祖父より前がわからないこと、「下級武士であったために」とその理由が語られています。しかし士族であることは間違いがないわけです。藩士に与えられた漁業権名簿に名前が残っています。そもそも明治維新の時に名字がある、それも、小和田という三文字の名字があるのは士族に間違いないわけです。村上藩は戊辰戦争の時にお城が延焼しているので、多くの資料が失われています。明治7年の洪水でも家財が流されて、家系図が残っていない家も多いようです。公的な資料が残っていない場合は、正式な家系図としては出せないようですから、そういう関係もあるのではないでしょうか。

 身元調査といえば、銀行などは今でも行っているはずです。そして外務省も。戦前の海軍も身元の怪しい人が将軍になれるはずもないのですから、職歴を見ただけで家系的に問題などないことは一目瞭然なのですが、そういう知識がない人には、ネットの怪しい情報の方が信憑性が高いと感じられるのでしょうね。

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<INDEXより>この記事は別トピック「ネットのデマ検証:雅子さまに対する誹謗中傷(悪意の捏造)について」のコメント欄から抜粋しています。まだ編集途上であり、続きがあります。記事編集の進行とは別に、このトピックのコメント欄で、さらなる検証を進めていただければ幸いです。

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14 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-06-11 15:34:14
嘘が独り歩きしている今、悪意の関係者、朝鮮人関係者は雅子さまや日本人を大いに傷つけたとして喜んでいるでしょうね。
お血筋が最悪なのは紀子さまの方ですよ。
そちらの方は会津藩士(嘘っぱち、ですよ)、大阪市長が曾祖父(元巡査で西成の最悪のスラムの暴力での鎮圧に功あり)本当は背乗りではないのか。そうではないとしても、育ちのいい人間とは思えないし。
返信する
Unknown (キーマー)
2017-06-02 22:20:10
私は東宮一家が大好きです。雅子妃があれだけたたかれ 紀ーこさんがあれだけ出しゃばれば雅子妃でなくともなんらかの病気になります。国会で女性天皇と議論している時に 子供を作ってこの人(紀ーこさん)は人の気持ちが何も分からないんだと思いました。恐ろしいと、、、自宅をラブホテルがわりにして中絶してしゃあしゃあと皇室に入って 雅子妃に嫉妬して。伏見顕正というインチキ占い師を雇って。いくらの大金(血税) 払ってるんですか。
返信する
あいどくしゃ さん、私の勘違いだったようですね。ごめんなさいね。 (貴子)
2015-08-07 00:04:34
>二回の堕胎(スイスでと聞きました)を脅迫の種にして


私は都内でと聞きました。
同じ病院か違う病院かまでは知りませんけれども。

「付き添ったのは2回とも母親ではなかった。」というのは聞きました。
返信する
ありがとうございます (あいどくしゃ)
2015-08-06 22:54:56
にやーこさま、ご多忙の中をお教え下さいましてありがとうございます。御礼申し上げます。貴子さま、あいどくしゃとしましたのは、このブログに「愛読者様」がいらしたようですので、区別するため考えてひらがなに致しました。
ノルウェーの皇太子妃は高卒(以下だったかもしれません)の学歴で、私生児を連れて結婚しましたが、国民も王室もそれを受け入れました。ですから結局は、結婚に当たっては王室が相手とはいえ、家柄、血統よりもご本人の人柄が最も優先されるのかもしれません。でも旧姓川嶋紀子氏については「ご本人の人柄がよい」「何かすぐれた美点をおもちである」とは、どう判断が狂ってもいえないことは皆様が一番ご存知でしょう。また結婚に至る経過も、国民の皆が祝福できるような公明正大なものではなかったようです。
とにかく雅子様よりも旧姓川嶋紀子氏の方が家柄、血統がすぐれ、川嶋家に娘を皇室に嫁がせるだけの財力があったということが当然のように言われていることに驚きましたので、質問を致しました。
最後に申しますと、二回の堕胎(スイスでと聞きました)を脅迫の種にして嫁入りし、恥じることもなくあちこちにしゃしゃり出ている人間を、私は化け物だと思っています。
返信する
なぜでしょう (あぶらちゃん)
2015-08-06 20:44:12
>雅子さまについては、戦後の日本は「反軍国」が建前ですので、
>ご先祖に海軍の超エリートがいるということを余り表に出せないのでご損をしていらっしゃいますね。

皇族、華族は軍人が多かったのですが。
「皇室の藩屏」ですしね。
半軍国だと先祖に軍人がいると言えないのですか。
それはそれは。
返信する
あいどくしゃ → 愛読者 と変換し忘れたのですよね? (貴子)
2015-08-06 16:13:38

まず、知恵袋に正解を求めるのは、おやめなさい。
wiki でもウソが書かれている時があります。

できたら大きな図書館へ行って(国立国会図書館とか。無理なら大学の図書館とか。大学によっては学生でなくても利用できる図書館あります。)自分で調べてみると勉強になりますよ。



>皇室に入るのだって、一億はかかったに相違ありません。
>要は一億位、すぐに用意できるご家庭で す。


川嶋家は全く出していませんよ。
「嫁入り支度は宮内庁が用意した。」旨の新聞記事が出ていたと記憶しています。
紀子さんの嫁入り支度のみならず、「母親の和代さんが手袋を購入したのだが、その請求書が宮内庁だか美智子皇后だかに行って、美智子皇后が呆れた。」という記事も出ていたと記憶しています。


それと、その家系は紀子さんの父方になるのかな?
どうせなら紀子さんの母方家系も知りたいですよね。
紀子さんの母方祖父が、按摩さんと報道された新聞ありましたし、朝鮮人労働者を束ねるボスとして記載されている本もありますし。

そういえば川嶋辰彦さんの祖先は大庄屋とか書かれているものがあるけれど、途中で養子が入り込んでいるので直系ではない、血は繋がっていないでしょうね。


あいどくしゃ さん、もし違っていたら、ごめんなさいね。
どうしても、あなたがアンチに思えて仕方ないの。

そこまで紀子さんの出自をググっているのなら、非アンチのサイトもググりなさい。


返信する
一部分ですが (にゃーこ)
2015-08-06 16:00:05
普通、名家の出身といえば、本人の実家のこと、つまり、ご両親のことを言うと思います。
そういう意味では川島紀子さん名家の出身ではありませんし、一般人そのものだと思います。
祖父母のことを考えても、どちらも名家ではないと思います。

川島家については、「和歌山市本町の旧家」という表記を見かけます。
(秋篠宮殿下とのご成婚にあたって、何故か、名字を川嶋に変更されましたが、その前のことなので川島でいいかと思います)。

『小和田家の歴史』(川口素生・著)に、コラムとして記載されていますが、あいどくしゃさまのコメントにある祖先の方は、基本的に間違ってはいないと思います。

父方の祖母・紀子さんの父親が池上四郎氏で、明治になって巡査になり、出世して大阪府警部長、その後大阪市長になり、退任後に朝鮮総督府政務総監をつとめたとあります。朝鮮総督府政務総監は親任官ですから、公務員として最上位です。
この経歴から推測すると、池上四郎氏はすぐれた官吏だったのだろうと思われます。
兄の三郎氏は函館控訴院検事長だったそうですが、こちらも官吏として優秀だったのでしょう。

父親の池上武助氏は会津藩の中堅藩士だったようです。
明治維新後、新潟の越後塩沢一帯が、陸奥会津藩の預かり地となっていたのですが、その三国峠に駐屯していた会津藩が政府軍と戦った記録に、池上武助氏の名前があるようです。
その後のことは、ここには記載されていません。

西南戦争の時に抜刀隊という白兵部隊が居たことが知られていますが、その中に多くの旧会津藩士が居たといわれています。
新撰組の斎藤一も、明治維新後に警察官となり、西南戦争では西郷方として参加しています。
推測にすぎませんが、戊辰戦争で賊軍とされた藩士から、警察官になった人は少なくなかったのかもしれません。池上四郎氏が警察官になったのは、こういうことが関係しているのかもしれないと、想像します。

池上武助氏より前については記載がありません。

曾祖父・川島庄一郎氏は、川島家に養子に入ったのですが、実の父は松浦平吉というそうです。この松浦家の家系については記載がありません。
川島庄一郎氏は東京師範学校を出たのちに、師範学校で教鞭をとったようです。
その息子、祖父にあたる川島孝彦氏は、東京大学法学部を卒業して内務官僚となり、内閣統計局長、国立国会図書館専門委員などを務めたそうです。

雅子さまの祖父の毅夫氏は、元村上藩士の奨学金で師範学校へ行かれたわけですが、川島庄一郎氏は平民の出身でそういうルートがなかったので、川島家がそれなりに裕福だったのではないかと思います。
ただ、大地主というのは、違うのではないでしょうか。公的に、そう書かれているものは見たことがありません。
ただ小作ではなく地主ではあったでしょう。そうでなくては養子をとって家の存続を考えることもないでしょうし、その養子を東京の大学へやることはできないでしょう。

母方については、まったく記載がありません。
そもそもが、新潟との関連ということで取り上げられたコラムですから。

個人的には、川島家も池上家も、官吏や教育という堅実な職業を選択してきた、ごく普通の家という感じです。

中流というものの定義はいろいろだと思いますが、サラリーを貰って暮らす層というのが、一般的なイメージではないでしょうか。
だとするなら、官吏にしろ教師にしろ大学教授にしろ、サラリーを貰って暮らしている層ですから、中流に他ならないと思います。
そして意味では雅子さまのご実家も、中流家庭です。

>紀子様のご実家が中流だというのなら、日本に中流がほとんどいなくなってしまいますよね。

これ、意味が理解できないのですが。
官僚や役職のある人なんて、いっぱい存在しています。銅像のある人だって、稀少ではありません。

上流というのは、一般的には元華族や元皇族、元大大名をあらわすのではないでしょうか。

あるいは、大手企業の創業者一族とか。
イメージとしては日本国内だけではなく海外にも別荘があって、毎年そこでバカンスを過ごすとか、自家用ヨットや自家用飛行機があるとか。
芦屋のお屋敷などは、お手伝いさんが居るというレベルではなく、お手伝いさん用の別棟があるとか、そういう人にもお会いしたことがあります。

ご紹介のブログ主の方は、何かコンプレックスがおありなんでしょうね。
中流といわれることが、屈辱なのだと感じるのでしょう。

そもそも上等な家系なんてものはないのではないでしょうか。
それに、出自を自分で選ぶことは不可能です。そんなものを比べることに、何の意味もありません。
雅子さまの場合は、御自身が成績優秀でキャリアを積まれ、高いスキルを身につけた方であることが、なによりも世界各国から注目されたところです。

一億円については、小和田氏が親族の助けを借りてご用意されたというエピソードを、勘違いしているのではないでしょうか。
川島氏については、母親の手袋代まで宮内庁に請求書が届いたといわれています。
そもそも結婚の儀の時に、川島氏は借り物のモーニングではなかったでしょうか。娘の一世一代の儀式に、一切の費用をかけたくないという態度のように思えます。
(このあたりについては、詳しい方がいらっしゃると思いますので、正確なことをコメントしてくださると思います)。

これは個人的なことですが、川島氏がどれだけいい家のご出身だったとしても、関係ないと思います。ご本人が、「平等だから」という思想にのっとって、(当時の)東宮ご夫妻と面会するのにネクタイもしないような方ですから。
元が藩士だろうが平民だろうが、そんなことは個人には関係ないという考え方は、おそらく、娘である紀子さまにも伝わっているでしょう。
だから、当人だけを見て判断して欲しいと、紀子さまも思っていらっしゃるのではないでしょうか。

家系については、傍流であることや、関係者が一度に亡くなっていることなど、様々な事情から公文書で確認できないことも、珍しくありません。
そもそもの目的は家督をつぐ=財産を相続するために、条件をクリアにすることにあります。
いわゆる上流の家の家系がはっきりしているのは、問題となる財産が大きいからで、庶民の家系がはっきりしないことが多いのは、必要がないからです。

また、エリートであることと家系は関係がないことですし、上流階級であることも関係がないと思います。

たとえば京都の杉本家は、元は呉服商、つまり商家であって士族ではありませんが、江戸時代の大店の構えが残っていて、国の重要文化財となっています。
そのお庭には、現在は絶滅危惧種に指定されているフジバカマが育てられ、伝統の継承ということをなさっています。
士族が素晴らしいとか、身分が上位が素晴らしいという考えでは、杉本家はまったく当て嵌まりませんが、たいていの人は立派なお家であると思うでしょう。

価値観は多様ですから、何をもって素晴らしいと思うのかは、個人の判断です。
そもそもの価値観が異なるものを比べることは、あまり意味がないように思います。

まったく、あいどくしゃさまのご返答には足りないコメントになりました。
返信する
質問です (あいどくしゃ)
2015-08-06 04:57:10
管理人様。今上の次男一家はもとも大嫌いだったのですが、こちらのブログを拝見するようになってから、マスコミの嘘に加え、東宮ご一家を陥れるためにデマが意図的に流されてることがよくわかるようになりました。
ところで好奇心からネットで「紀子、在日」で検索をかけたら(すみません良い趣味ではないですね)、驚いたことに雅子様が韓国人だというオハナシが続々ひっかかるのですが、次男の妻が名家の出身であるというのも結構ありまして、例えば
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1124748671
「秋篠宮紀子様のご実家の川嶋家を、国民の皆さんは、「中流家庭」だと思っているんですか?もしそうだと思っていたのだとしたら、とんだ大間違いですよね?
3LDKのプリンセスといったって、そこは学習院共同住宅。皇室に入るのだって、一億はかかったに相違ありません。要は一億位、すぐに用意できるご家庭で す。紀子様が本屋でバイトといったって、それは社会勉強のひとつ。お手伝いさんがいなかったのは、お母様が専業主婦だから。ちなみに紀子様は、アメリカ→ いろいろあるが学習院初等科→オーストリア→学習院高等科→大学→大学院、弟さんだって、高校まで学習院で、大学は六年制の私立大学です。家系の流れとし ては大学教授。ちなみに職業別威信スコアの100は大学教授、99が医師と弁護士です。で、下、紀子様のご実家の先祖
高祖父 池上武輔(旧会津藩士)
高祖父 小菅智淵(旧幕臣、陸地測量部初代部長、池上四郎の岳父)
曾祖父 川嶋庄一郎(教育者・学習院教授兼初等科長、佐賀師範学校校長、奈良師範学校校長)
曾祖父 池上四郎(大阪市市長、朝鮮総督府政務総監)
祖父 孝彦(官僚・内閣統計局長)
父 辰彦(経済学者、学習院大学経済学部教授)
叔父 川嶋行彦 (経営学者、東京国際大学商学部教授)

銅像まで建ってる方もいます。これで紀子様のご実家が中流だというのなら、日本に中流がほとんどいなくなってしまいますよね。そう思いませんか?元華族っ たって、没落貴族で、下流も下流だっているのですから。あと、いくらお金持ちだといったって、お金があるだけで、高祖父までたどりつけない家系だって多い と思いますが」

この家系は本当ですか?
ここのブログの皆さんは家系その他についてお詳しいので、お忙しい中をお邪魔して申訳ありませんが、どなたか嘘であると断言できるのではないかと、お訊きする次第です。
実は大昔ですが、ウィキで雅子様と次男の妻についてななめ読みにしたときも、次男の妻の方が上等な?家系出身という印象でプレゼンテーションされていました。
雅子さまについては、戦後の日本は「反軍国」が建前ですので、ご先祖に海軍の超エリートがいるということを余り表に出せないのでご損をしていらっしゃいますね。

返信する
海軍兵学校について (にゃーこ)
2015-08-04 17:19:51
どのような資料にも「厳格な身元調査」が行われたと記されていますが、海軍そのものがきわめて厳格だったようです。
海軍兵学校は女人禁制で、「女性と交わりを深くし本務を忘れ道を誤った者は生徒を免ずる」(生出寿著「海軍兵学校よもやま物語」)もので、少尉になるまで女人禁制は解かれなかったそうです。

結婚にあたっては「海軍大臣に届け出をして、相手の身元が確かなことを最寄りの憲兵分隊に調査させた上でないとできない」きまりだったようです。
(瀬間喬著「海軍用語おもしろ辞典」)

海軍将校はエリートで身元が確か、ということが、これらからもわかります。
返信する
いまさらのまとめ (にゃーこ)
2015-08-02 17:28:09
いまさらですが、少し整理してみたいと思います。
参考資料は『小和田家の歴史---雅子妃殿下のご実家』(川口素生・著 新人物往来社 2001年12月10日)になります。

■ご両親
父:小和田恒
母:(江頭)優美子

■ご家族
妹:礼子(池田祐久)
妹:節子(渋谷健司)

■小和田恒氏ご両親
祖父:小和田毅夫
祖母:(田村)静

■小和田優美子さんご両親
祖父:江頭豊
祖母:(山屋)寿々子

■小和田毅夫氏ご両親
父:小和田金吉
母:(熊倉)竹野

■小和田静さんご両親
父:田村又四郎(旧姓:嵩岡)
母:田村タカ

■江頭豊氏ご両親
父:江頭安太郎
母:(古賀)米子

■江頭寿々子さんご両親
父:山屋他人
母:(丹羽)貞子


父方の祖母・静さん
旧姓長岡女子師範学校を出て、結婚するまで塩沢小学校の教員として勤務。
生家・田村家は、越後南魚沼塩沢で代々、商家を営んできた名家。静さんの祖父である寛一郎氏はのちに県議会議員となり、また初代の塩沢町長に就任。
静さんの父である田村又四郎氏は、中学校の教員を務め、村上藩の中堅の藩士である嵩岡家からの養子。

父方の祖父・小和田毅夫氏
父である金吉が病気により若死したことで、母親の実家である八千浦村で育ち、地元中学から旧制高田中学校卒業後、成績優秀だったため、当時の教員養成学校最高学府のひとつである広島高等師範学校に進学。卒業後は国語・漢文の教師となり、福島や富山、糸魚川市、石川などに赴任。新発田中学校では教頭を、小千谷高等女学校で校長となり、柏崎中学校校長で終戦をむかえる。母校である高田高等学校の校長になり、ここで退職。高田市教育委員会教育委員長などをつとめた。

母方の祖母・江頭寿々子さん
山屋他人海軍大将の娘。山屋他人市は、慶應二年に陸奥南部藩に生まれた。
山屋家は江戸時代を通じて南部藩士。歴代の山屋家の当主には、盛岡蔵奉行、野田通代官、雫石筏奉行、南部丹波守家の家老、在京中用人などの要職に就いていた。山屋他人氏の家は分家にあたり、代々南部藩士ではありますが、知行地はなく、直接に俸禄を受け取っていたと考えられる。

寿々子の父・山屋他人氏は、海軍大学校の学長も務め、日本海海戦では軍艦「笠置」艦長として出撃、明治41年10月10日から明治44年12月4日までは、東宮御用掛を拝命している。参謀長や司令官を歴任し、軍司令部次長、司令長官、大正9年には連合艦隊司令長官になります。
昭和15年9月10日に逝去した際には、青山斎場で海軍葬が行われた。葬儀委員長は米内政海軍大将。

配偶者の丹羽貞子さんは、尾張藩士である丹羽与三郎房忠の娘で、少女時代から外国人教師に英会話を習い、攻玉社女子部に進学、結婚後は四男五女に恵まれま、長女は海軍少将、次女から四女は会社役員、五女の寿々子さんは江頭氏に嫁ぐ。

丹羽与三郎房忠は、尾張藩士であったことが公文書に記載されており、井伊直政ゆかりの地の井伊谷宮で宮司、浜松圏内での神職取り締まりなどを任命した後、明治11年には鎌倉宮権宮司となり、同宮宮司、鎌倉の鶴岡八幡宮宮司、石川県の気多大社宮司、寒川人社宮司などを歴任した。

家督を継いだ長男(寿々子の兄)の太郎も海軍に入り、終戦時は海軍大佐。昭和天皇の弟である高松宮親王殿下の日記『高松宮日記』(昭和4年 中央公論社)の昭和4年2月8日にある「山屋大尉」と話したというのは、この山屋太郎のこと。

母方の祖父・江頭豊氏
東京帝国大学法科を卒業、家族ぐるみのつきあいだった竹内重利海軍中将夫妻の紹介によって、当時の日本興業銀行総裁と面談し、入行。取締役資金部長、取締役業務部長を経て、昭和36年に常務取締役大阪支店長。翌年に退行して、新日本窒素肥料専務取締役に就任、昭和39年に同社社長、昭和46年に同社会長。

江頭豊氏の祖父・嘉助氏は佐賀藩鍋島家の家臣だったといわれており、明治維新後は旧制県立佐賀中学の小使として勤務、長男の範貞氏は裁判所に、次男の安太郎氏は海軍中将。
豊氏の父である安太郎氏は佐賀中学校英文科在学中に嘉助氏が逝去したが、成績優秀のため飛び級で通常は4年かかる中学を2年で終え、旧藩主・鍋島家による特待生制度である貢進生に選抜される。そのため上京して攻玉社に入校、その後海軍兵学校へ進学する。
海軍兵学校では山屋他人氏と同時で、明治天皇のご臨席による卒業式では同期19名のうち江頭安太郎氏が首席、山屋他人氏は3番の成績だったといわれ、安太郎氏は卒業式後に卒業生を代表して、遠洋航行の内容などについて御前講義を行った。
主に海軍省軍務局に勤務し、海軍教育本部第一部長を経て、海軍司令部参謀権副官として日露戦争をむかえる(階級は海軍大佐)。第一回大本営会議にも列席、『大本営』(みすず書房)では海軍側の5番目に記されている。日本海海戦後の明治天皇ご臨席による宮中で開催された大本営会議にも列席し、戦況・戦果を報告した。
その後、軍艦「生駒」艦長、旅順鎮守府参謀長、佐世保鎮守府参謀長を歴任、海軍省人事局長を経て、海軍省軍務局長に就任。大正2に病に倒れて職を解かれ治療に専念するものの、翌年に没した。

江頭豊氏の母・米子さんは、古賀喜三郎海軍少佐の娘。古賀喜三郎海軍少佐は明治維新後に佐賀藩から海軍に入り、安太郎氏が入校した当時の海軍兵学校監事。また麹町の海軍予備校の校長でもあった。


ごく大雑把に書きだしをしてみました。
勘違いなどありましたらご指摘ください。また、足りないものについては、補完いただければと思います。

海軍兵学校は中学卒業後の進路として、エリートコースでした。各学年、中学校では首席卒業だった人が半数以上を占めていたと言われています。
余談ですが、この当時の中学校は現在の高校にあたります。つまり義務教育ではありません。
まず体力測定が行われ、それをクリアしたあとに学科テストが行われたようですが、毎日試験があり、その結果が張り出され、合格者のみ次の学科テストを受けるというシステムだったようです。
また、海軍がもっとも身元調査が厳しいことでも知られていました。

江頭安太郎氏は語学に堪能で、きわめて優秀な人だったようです。ただ病気がちだったため、艦長などにはつかなかったこと、急死したことで中将とまりだったようです。
海軍省軍務局、海軍教育本、司令部参謀という経歴から考えて、将来を嘱望された人材であることは明らかです。
こういう人の身元が疑わしいはずがありません。選別されたエリート中のエリートです。でなければ明治天皇ご臨席の大本営会議に参加できるはずがないのです。

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水俣病に関する記事 (Unknown)
2015-07-30 09:01:03
皇太子さまと小和田雅子さんの正式ご婚約で県内各地から祝福の声
=福島知事ほか3人 皇室・皇太子妃

「熊本日日新聞」朝刊  1993年1月20日

皇太子さまと小和田雅子さんご結婚の“障害”の一つとされたという水俣病問題。 宮内庁に説明に出向いたこともある福島譲二知事は、「誤解が解けて結ばれ、 心からお喜び申し上げます」と話している。
同知事によると、労相当時の平成元年秋、故寺本広作元知事が訪ねてきて、 「宮中では雅子さんの祖父=江頭豊さん(84)=がチッソの社長だったことが支 障になっているとうかがっている。誤解を解いてほしい」と相談を持ち掛けられた。
そこで、福島知事が宮内庁に「小和田さんの祖父は水俣病発生とは無関係です」 と説明に行ったという。 知事は「今ごろ、寺本さんもきっと喜んでおられることと思う」と感慨深げに振り返っ ている。
一方、江頭元社長は昭和四十三年九月の水俣病公害認定直後、社長としては 初めて認定患者や遺族宅を訪問。おわびの言葉を述べた。
自らも認定患者で、両親も死後認定された浜元二徳さん(56)=水俣市袋=は、 「『長い間、大変ご迷惑をかけました』と江頭社長が頭を下げたことを思い出す」 と当時のもようを話した。 江頭社長は、浜元さんの両親の仏壇に線香を上げた後、強くなった雨脚が弱ま るのを浜元さん宅で待ったという。「非常に低姿勢で丁寧なあいさつだったとの 印象が残っている」という浜元さん。「雅子さんは孫の代なので水俣病と直接結び付ける気持ちはない」とも話した。
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限嗣相続 (にゃーこ)
2015-07-29 22:42:54
イギリスは、限嗣相続(entail)だったので、厳密な家系図が必要でした。

ドラマ「ダウントン・アビー」でもとりあげられていますし、『嵐が丘』など、イギリスの小説ではお馴染みです。
この限嗣相続があることで、存在も知らなかった遠縁からの遺産相続ということが起きます。またクリスティなどで、会ったこともない人物が相続人として登場して来ます。

日本は家督制度と男子相続だったため、限嗣相続のような順番付けは必要がないため、家督にかかわりのない人についての詳細はわからないことが珍しくありません。
日本では直系男子のない場合、女子に婿養子をとることは珍しくありません。
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連投ですが、こういう事例も (ウィルヘルミナ)
2015-07-29 22:23:51
5年以上も前に、英国の女優、キーラ・ナイトレイ主演「公爵夫人」という映画が公開されました。
その時、その映画の主人公のデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナの直接の子孫がアンドリュー王子妃だったセーラ・ファーガソンさんだ、という事が英国で大きな話題となりました。その英国では、新聞がわざわざ系図を掲載して載せる程、大騒ぎだったんです。こういう事、英国では平気で、読む英国民は何の疑問も抱かないのですよ。
以下がその新聞の記事ですよ。
http://www.dailymail.co.uk/femail/article-1058777/How-Fergie-Duchess-hit-movie-directly-related-illegitimate-child.html
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英国では新しく王室の仲間入りする人の系図調査は盛んですよ (ウィルヘルミナ)
2015-07-29 21:50:34
以下は、Wikiにあるダイアナ妃とキャサリン妃の系図です。500年以上も遡って調査がなされています。その中で、お二人は共通の祖先がある事がわかってきました。
こういう系図は日本では絶対に出てきませんね。参考資料として貼らせて頂きます。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ancestry_charts_of_Diana_Spencer_and_Catherine_Middleton
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