母恋

2005.3.5にすい臓がんにより天国へ旅立った母の手記や看病の記録、その後の生活などを書いてます。

2月5日(金)

2005-02-05 00:57:09 | 母の居る生活
2、3週間前から病院の近くの喫茶店で作っている活性水素水という水を飲んでいる。
それが効いているのか分からないが、その水を飲み始めた次の日位から食欲が出てきて、歩くリハビリが出来る程動ける様になったのは事実だ。
初めの2、3回は試しにという事で、2㍑のペットボトル2本分を無料でわけてくれるという。
何回か試して良かったら、1本200円で売ってくれるというので暫く続けてみるつもりだ。
あまりに父が熱心なので不思議がられたらしく、マスターに母の事を話すと、フコイダンを薦められた様だ。
この水を飲んでフコイダンを飲むと吸収率が良くなるらしい。
フコイダンは以前から興味があったのだが、高価なのでなかなか踏ん切りがつかなかった。でも、父も乗り気だし、後悔はしたくないので、この際、騙されたつもりで思い切って購入した。
そして、昨日からこの飲み物を飲んでいる。
飲んだ直後、早速便が出て、食欲が更に出てきた。
今日の夕食に至っては入院して以来初めての完食。p(^-^)q
リハビリの先生も「歩くのが速い。」と言う程、100㍍をスタスタとまではいかないが、スッタッスッタッ位で歩いていたらしい。
母曰く、「100㍍だけだよ。」
この様子を見て、父が主治医の先生と話し合い、暫く血液のデータをとり、様子をみてモルヒネの量などを検討してみようという事になった。
先生や看護師さんも興味が沸いたらしく、フコイダンの説明書を借りていった。
今のところ良いとも悪いともいえないが、奇跡が起きてくれる事を祈るばかりだ。
凡に、喫茶店のマスターは父の兄の同級生で、中学の先輩であることが判明した。
お互いに『どっかで見た事があるような…。』と思っていたらしい。(笑)


2月2日(水)

2005-02-02 23:01:00 | 母の居る生活
朝5時頃、トイレに行こうとして、転倒。
その場で我慢できずに…。
「1人で立たないで。」と言っても、どうしても1人でしようとする。
昨日反省したばかりなのに、また怒り口調になってしまった。

母「○○ちゃんは?」
私「ここにいるしょ。」
母「いないしょ。」
私「じゃ、私、誰?」
母「○○ちゃん。」
私「じゃ、いるしょ。」
母「いないしょ。」
私「ここにいるって。」
母「いないしょ。見えないしょ。○○ちゃんは?○○ちゃ~ん。」(私に抱きつく)

こんな会話、ちょっと悲しいけれど、仕方ない。全てはモルヒネのせいなのだ。
この会話、初めてじゃない。土日に外泊許可がおりて、家に帰ってきた時も一度あった。
せめてもの救いは、私を忘れたわけではないという事。
脳と体がバラバラで、見えないのだ。思考と感覚と現実、何から何までごちゃ混ぜの世界に入ってしまうようだ。

朝は忙しい。会社を休みたいところだけれど、これからの為にも、病院代を稼がねば…。
そうは休んでいられないのだ。
母が「今日は何時に来るの?」と、何度も私に聞く。
後ろ髪をひかれる思いで、病室を後にする。

今日は、父が泊まり。
会社帰りに病室に寄ると、父が眠そうな顔で座っていた。
私が病室に入ると、母は笑顔で「お帰り。」と、言ってくれた。
その顔の可愛いこと。

手を前に出すので、私も手を握ると、「せっせっせーの…♪」歌い始めた。懐かしい。
ベットから起き上がる時、立ち上がる時、母を抱くと、懐かしさが込み上げて、涙が出てしまう。
母は前よりも随分痩せてしまったし、私もすっかり成長して体が大きくなったというのに、その時ばかりは母がとても温かく大きく感じられる。
小さい頃に頼りにしていた、強くて逞しい母がそこにはいる。

「家に帰りたい。」
土日に家に帰ってから、よく言うようになった。

私「でも、5階の階段は辛いね。どっか1階で空いてるとこないかな?」
母「買うか?」
私「買えるわけないじゃん。」
母「一軒家。」
私「何処がいい?」
母「わかんない。…田舎。」
私「黒板五郎みたいな生活?」
母「ちーがーうー。」(顔をしかめる)

冗談で言ってみたのに…

私が帰ろうとすると、私の名前を呼んだり、「帰るの?」と、泣きそうな顔をしたりしてとても帰り辛かった。
父が、早く行けと合図を送る。今晩、大変だろうなぁ。
「じゃまたね。風邪ひかないでね。」と、言いながらやっとのことで帰ってきた。

母は今、不安でたまらないのだろう。

2月1日(火)

2005-02-01 23:46:57 | 母の居る生活
日記がメールで送れる様になったので、暫くは不便ですがこちらから更新する事にします。
朝、仕事に行く直前に、私の手を貸さなければならない様な事をするので、つい怒り口調になってしまった。
そんな私に「いってらっしゃい。」と手を振る母。すまない気持ちと情けない思いがこみ上げてきた。
たまらずその手を握って「行ってくるからね。」と言って病室を後にした。あ~自己嫌悪(-"-;)
私が会社に行っている間、叔母(母の兄嫁)が来てくれた。
お腹を痛がったり、モルヒネのせいか理解困難な事を言ったりで大変だった様だ。
しかし、そんな事は気にしない様に、明るく楽しげに母とのやり取りを話してくれる叔母に心が救われる。
昨日辺りから、母が何度もトイレに行きたがる。さっき行ったと思ったらまた…。勿論そんなに次から次へと出る筈もなく、私が思うに『きちんとトイレをしなければ…』という強迫観念からの行動だと思う。
朦朧とする意識の中でもなお『人に迷惑をかけてはいけない』という思いが伝わってきて、涙が出そうになる。
お母さん、もっとだらしなくしていいんだよ。

1月21日(金)

2005-01-21 23:01:00 | 母の居る生活
今日も会社はお休み
用事をたして母のもとへ。

いきなり、座ってる。
トイレに起きたらしいが、ベットの下を見ると、なんと尿をとる為の管が落ちているではないですか。
慌ててナースコール。
入ってきた看護士さんも、びっくりして「痛くなかった?自分で抜いたの?」等と聞いていたが、本人は「わかんない。」の一言。
とりあえず、私は病室から出されて、その間に何とかしてくれたようだ。あ~びっくり

今日はとっても心細いらしく、「姉ちゃん、悪いけどさ今日会社休んでくれる?」
もう休んでるんですけど…、曜日や時間の感覚が無くなってきているので、そこら辺の細かい所は分からないらしい。
「分かった、分かった。」
「夜も寂しいから泊まってくれる?」
「分かった、分かった。じゃあ看護士さんに言ってくるね。」
看護士さんの了解をとったので、
「今日泊まっていいって。」
「本当?ごめんね。」
その顔がまたなんとも可愛いこと…

父にその旨電話をすると、手作りお弁当持参で来てくれた。
鮭の上に玉ねぎとキノコととろけるチーズをのせてホイルで蒸したものだった。
なかなか美味しい。

いよいよ、初のお泊り。

私「お父さんのお弁当も美味しかったけど、お母さんのがやっぱり美味しい。また食べさせてね。」(←30代のセリフか?)
母「食べさせてあげたいけどねぇ…。」
私「食べさせてねっ!」
母「…。」

母「お姉ちゃん、○○ちゃん。」
私「なーに?」
母「あのさぁ、お葬式の時はさ、白いお茶碗にご飯のせて…白いズボンはいて…ちゃんとしないとダメだよ。分かった?」
私「分かんない。」(自分のお葬式の時にちゃんとしなきゃダメだよという事を言いたいらしいのだけど、意識が朦朧としているので、意味不明の箇所が…)
母「いやぁ、分かったの?」
私「…、分かった。」(無理矢理言わされた

んー、完全に弱気になっている。 

1月20日(木)

2005-01-20 23:01:00 | 母の居る生活
今日はあまりのショックの為、会社は休むことにした。
と、いうか、目が腫れて凄いことになってしまった。
午後には治っていたが、目が真っ赤。…どうしよう。
あまり早く行って、母に不安を与えてもマズイので昼過ぎに行こうと思っていたら、丁度父から連絡があった。
「お母さん、かなり悪いわ。」
父が行って話しかけても、目を開けて周りをみて直ぐに目を閉じてしまう。
起き上がるのも困難なので、管を入れて尿をとっている。
等など、悪い事ばかり言われたので、折角落ち着いた気持ちが、また動揺。
「おかあさん、おかあさん…。」
と、人がいないのをいい事に泣き喚く始末。…情けない。
そんな事をしてても埒が明かないのは分かっているが、どうしようもない思いでジタバタしてしまう。

さんざん喚いて落ち着いてから母に会いに行った。
やはり、寝ている。
昼食が台の上に置きっぱなしだったので、目が開いた瞬間に
娘「ごはん食べないの?」
母「今、何時?」
娘「2時だよ。」
…また眠ってしまった。
寝ている間に用事をたしに外出。

4時頃、2度目の訪問。
今度は目を開けている。
顔を覗き込むと、
母「何してた?」
娘「銀行行ってた。」
母「…。」
その後は、目を閉じたり、開けたり、天井を見たり…。
ちょっと心配になって、「お母さん。」と、呼びかけると、暫くして「なーに。」と答える。

夕食の時間。
聞くと、「食べる。」と、いうので、起こす。
起こしたものの、足が自由に動かないらしく、方向転換がうまくいかない。
ベットの手すりにしがみついているので、ベットの上部を起こし、よし掛からせる。
その後、動こうとしないので、ご飯を食べさせようと、スプーンを口にもっていく
と、「いらない。」
その後、ベットを下げようとすると、「下がってる。」と、ちょっと嫌な顔をするので、ベットを起こすと、今度は「上げないで。」と、また嫌な顔。どうすればいいんだ。
とりあえずこの体勢では疲れると思ったので、有無を言わさず下げた。
すると、「あーあー下がっちゃった。」と眉間にシワを寄せていたので「ごめんね、わかってあげられなくて。」と、私。本と、どうすればいいのか分からない。

帰り際トイレに行きたいというので起こすものの、動かせないので看護士さんを呼んだ。
すると、慣れたもので、トイレをベットの横に移し、実に巧みに母を立たせた。すごい。
母のお尻を見て、傷がついているのと、便が出そうになっているのを確認すると、「ちょっと私が来るまで座って待っててくれる?」と言って、一時看護士さん退席。
その間、便座に座る母は「もう、帰んなさい。」と、私に言う。
20時を過ぎている事は分かっているのだ。
それでも私がいると、「いいから、帰んなさい。」と、言う。
看護士さんが戻ってきて、「お母さんが心配するから、帰ってもいいですよ。」と、言ったので、ここは、素直に母を任せて、「じゃ明日また来るからね。」と、言って、母の手を握ってから病室を出た。

帰り道、私はまた、泣いてしまった。
なんで私ってこんなに弱っちーのだろう。

1月19日(水)

2005-01-19 23:01:00 | 母の居る生活
会社から直行で病室に行くと、母がベットの上に起き上がっている。
父も来ていた。
起きてはいるものの、今日もやっぱり意識が朦朧として、あまり会話ができない。

寝かせて、早速、手のマッサージと足の運動をした。
父に言わせると、足の運動をしたら浮腫みがひいてきたらしい。
運動をするまではパンパンだったそうな…。そんなに直ぐ効くのかな?

暫くすると先生が来た。
ナースステーションで話を聞く。

…どんどん状態は悪くなっているらしい。
腹水をぬいたせいで、すっかり低蛋白血しょうになってしまったらしく、健康体の半分しか蛋白質がないらしい。
なのに何故点滴を減らしたのかというと、浮腫みを減らす為で、あちらがたてばこちらがたたず状態のようだ。
白血球も減っているため、抗がん剤も休んだ方がいいとの事。
先生が言うには、後は治療というより、いかに苦痛をなくすか…、という状態のようで、早く言ってしまえば、安らかに死を待つのみという事のようだ。
意識が朦朧としているのも、苦痛を和らげる為に、意識がはっきりしているより、本人の為にはいい事だという。

先生と話した後、婦長さんとこれからの事を話した。
これからは、なるべく苦痛を和らげる為の薬を使うので、今以上に意識がはっきりしなく、家族ともきちんと会話ができない状態になるらしい。
私にとってそれはとても悲しい事だ。母と会話ができなくなるなんて…。思わず泣いてしまった。
婦長さんもつられて泣いてしまった。
私の膝に手を置き、「私も母を癌でなくしたの。だから気持ちは良く分かる。辛いよね。」
またまた、涙が溢れてきた。

勝手だけれど、私は母に闘って欲しい。このまま死を待つだけなんて…。
母の性格からしても、きちんとした意識なら闘えるのではないかと思う。
私って、残酷なのかな…。

今日は涙が止まらない。

1月18日(火)

2005-01-18 23:01:00 | 母の居る生活
今日は会社から母の元へ直行

だるそうにベットで寝ていた。目は開いていたので、夕食が台の上に載っている事を教えると、「今食べる。」
起き上がろうとするけれど、最近、手を貸さなければ起きられなくなってきた。
私の首に手をまわしてもらって、せいので起き上がる。
「あんた、力あるねぇ。」…いつも褒められる
今日もやっぱりいい食べっぷり。おかゆもほとんど食べた。

今日は特に意識が朦朧としていて、会話がなかなかできない。
10質問しても返って来るのは1、2問ほど…。
見ると、点滴が変わっている。
今まで1800mlのアミノトリパ2号だったのが、500mlのアミノブリードになっている。
これはいい傾向なのだろうか…。だったらいいな。

1月17日(月)

2005-01-17 23:01:00 | 母の居る生活
今日も夕食を作ってから病院へ行ったので、着いたのは19時半頃。

「遅かったね。」…また、言われてしまった。

ご飯を食べたか聞くと、記憶が定かではないらしい。「食べたような、食べてないような…。」
…どっちだろう?

昨日、緩めの靴下を頼まれていたので、会社の近くのお店でいい感じのモノを購入。
母に見せると、「いい…かもね。」
履いてみると、履き心地は○らしかったので、あと2、3足購入決定。

30分しか時間がないので、早速マッサージを始める。
昨日のTVで、足の浮腫みはふくらはぎの筋肉を使うととれるというのでやってみる事にした。
母の場合は筋肉とかなんとかそういう問題ではないような気がするが、足を曲げたり、伸ばしたりを片足ずつ10回ほど繰り返してみた。

いい方法…ないのかな。

1月16日(日)

2005-01-16 23:01:00 | 母の居る生活
今日は、午前中に買い物等を済ませてから病院に行こうと思っていたのだけれど、起きたのが既に10時。…寝坊してしまった。
結局、12時頃に買い物等の用事を済ませ、家に帰って晩御飯を作ってから病院へ。
既に16時半になっていた。

「遅かったね。」と、言われてしまった。

暫くして、夕食。
今日もやっぱりいい食べっぷり。

ところで、昨日とれた浮腫み…また戻ってしまった。
しかも、顔も浮腫んでいる。どうすりゃいいのだ。

今日の母娘会話
私「最近チョコレートが食べたくて食べたくて、毎日食べてる。今日も買ってきちゃった。」
母「嫌だねぇ、食べたくなっちゃったしょ。…頂戴。」
私「今は持ってない。」
母「嘘?」
私「持ってないって。」
母「嘘?どれ、見せてみな。」(私のバックを要求)
私「ほんとに無いって。」(バックを渡す)
母(バックの中味を検査)「本とだ。…食べたい。」
私「甘いモノはやめな。」
母「ちょっとくらいいいしょやね。」
私「分かった。ご飯食べてる間に買ってきてあげる。ねっ?」
母(うなずく)

悪い事を言ってしまった。
ちなみに、ブラックチョコを購入。1列食べて「おいしっ。でも甘い。」

最近、特に思うのだけれど、お母さん…可愛い。

1月15日(土)

2005-01-15 23:01:00 | 母の居る生活
今日は天気が良い

仕事が休みなので、午前中に母のもとへ…。

今日は起き上がり、看護士さんと話をしていた。どうやら体調が良いらしい。

私「今日は天気がいいよ。」
母「そうみたいだね。」
私「こんな天気いいから、外に出たいしょ。」
母「そうだね。散歩したいね。」

暫くすると、昼食がだされた。母はいつになく良い食べっぷり。

私「いい食べっぷりだねぇ。」
母「食べてるしょ。」(ちょっと得意気…)

残しはしたものの、半分位は食べれた。この調子、この調子。

お腹も落ち着いたところで、いつものマッサージを始める。
と、足をみると、びっくりする程浮腫みがとれている。
自己流マッサージの効果か…。これからも続けてみよう。

仕事最中の父がお見舞いに来た。父も母の足を見てびっくり。喜んでいた。

14時半頃、いったん家に帰る。

17時半、家事を済ませ、母のもとへ…。
夕食もいい食べっぷりだ。
看護士さんも「最近食べれるようになったね。前より凄く食べれるようになった。」と、言っていた。

食べた後、お腹がきついらしい。普通に考えると当たり前の事だけど、母の場合、腹水が原因とも考えられる。そろそろまた取らなければならないのだろうか…。

食べた後はトイレ。今日は問題なくできた。

今日二回目、効果抜群(?)の自己流マッサージを開始。
まずつま先から足の甲と裏を揉み解していく。そして、足首、ふくらはぎ、もも…と、下から上へ順番に揉み解すのが私のやり方。これを何回か繰り返す。
良いのか悪いのか未だに謎ではあるけれど、今日の母の足を見る限り、効いているのではないだろうか。

いつも通り握手をし、丁度やってきた看護士さんに母の事を頼み、「おやすみ~。」と、言って病室を出る。

このまま回復に向かってくれますように…