タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

慈尊院・・・

2022-01-30 17:37:45 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

78社寺目です。

慈尊院。弘法大師の「御母公 (玉依御前) 」をお祀りする高野山真言宗の古刹です。

平成8年3月2日御朱印いただいております。和歌山県伊都郡九度山町。

弘法大師の母・玉依御前は、息子の空海 (弘法大師) が開いた高野山を一目見ようと、香川県からこの地・高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)に滞在していました。(高野山が女人禁制だったため)

空海は、ひと月に9度 (実際に9度ではなく、それだけ頻繁に訪れていたと言う例え) 、20数キロの山道を下りてきて母に会いに来たので、「九度山」と言う地名になりました。

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

Jisonin hondo.jpg多宝塔の左方石段を登ると丹生官省符神社境内。途中の鳥居辺り右側方に百八十町石がある。鬼子母神堂弘法大師堂弘法大師と案内犬ゴンの像

「空海の母は承和2年(835年)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒仏の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒仏像と母公の霊を祀ったという。弥勒仏の別名を「慈尊」とも呼ぶことから、この政所は慈尊院と呼ばれるようになった。空海の母がこの弥勒仏を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここ、ということで「女人高野」とも呼ばれている。」「本堂の弥勒堂は、ユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録されている。」

えー・・・「ほんわり」した優しい雰囲気が漂うお寺です。

なんとも言えない懐かしい空気が流れています。

高野山の宿坊から菩提寺を選ぼうと思っていた頃、ここ (慈尊院) にしようかなと思ったくらいです。(慈尊院は、高野山ではなく麓の九度山町)

本堂 (弥勒堂) の、国宝「弥勒仏=21年に一度開扉 」は、御母公の化身と言われます。御母公・玉依御前の御尊像は、「ほんわり」とした優しい表情の御尊像です。

御母公・玉依御前は阿刀氏出身。ニギハヤヒノミコトと妃神の子孫です。

2018年5月、真言宗寺院で拝謁した、ウカノミタマ (女神) と、ニギハヤヒノミコトの「生の御神霊」のうち、御母公は、ウカノミタマ (女神) と、どことなく面影が似ています。もっとも、御尊像である「御母公像」は、弘法大師の「母」としてイメージされ作られた像なので、それなりの年齢の尊像 (40歳くらいの優しい表情の尊像) 。私が拝謁した、「ウカノミタマ (女神) 」は、20歳くらいに見えました。

でも、「ほんわり」とした優しい表情と、周囲を優しく包み込む明るい「神気」は、よく似ています。弁才天さま、稲荷大明神さまも境内にお祀りされているからか、上に「丹生官省符神社」があるからか・・・

ウカノミタマ女神=三炊屋媛=丹生都姫明神=ミツハノメノカミ=三穂津姫=豊受大神=瀬織津姫=弁財天 (弁才天)=吉祥天。同じ女神です。「玉依姫」も同じだと思います。絶世の美貌ですが、私が何度も「ほんわり」とした優しい雰囲気と記述した、「ほんわり」だけを体感したかったら、慈尊院の御母公像を現地で拝めばイメージは掴めるかと思います。

最近、ご無沙汰しているので「御母公像」が随時拝めるかは直接寺院に聞いてください。御尊像というものは、たまに修復に出ていることもあるので。

ではまた。

・・・・・

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