おはようございます (◎_◎;)
今まで二度ほど禅寺の坐禅会に参加したことがあります。
某県の、臨済宗 (りんざいしゅう) 寺院。
夜の座禅会でしたが、
「透明な世界」でした。
「目は開け放しておくように」「耳も開け放しておくように」「頭に想念が浮かんだら、浮かんだままにしておくように」
薄暗い堂内、灯明の明かりの中での坐禅は、
とても神秘的でした。
隣の人が、ヒザを「ボリボリ」かく音も、斜め向かいの人が、つばを飲み込む音も、
遠くでカエルたちが鳴く声も、
「あるがままに、見え、聞こえます」
老師が、警策 (けいさく きょうさく) を持って、「すっ」と立ち上がり、
参禅者の間を、「すっ」「すっ」「すっ」と音もなく歩いていく姿も見えます。
そして、姿勢が悪い人や、集中できていない人の前に立ち、
「ぱーんぱーん」と叩く音も聞こえます。
すべてが「あるがまま」です。
そして、老師について、参禅者全員で、境内を
「経行 (きんひん・・・歩く禅) 」します。
その時も、すべてが「あるがまま」です。
「無色透明な世界」。
それが、私が参禅した時に感じた、
「禅の世界」です。
臨済宗は、「公案禅」と言われ、出された「公案」を坐禅しながら考える禅と言われますが、
私が参禅した時は、曹洞宗の禅と同じく、何も考えない坐禅でした。
そのことを、曹洞宗の方丈 (ほうじょう=住職) に言うと、
「おかしいなあ・・・臨済は公案しかやらないハズだけどなあ」と、訝しんでいました。
ただ、曹洞宗と違い、「壁を背に座りました」。
曹洞宗は、「壁に向かって座ります」。
ではまた。
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