大正から昭和10年代の初めにかけては
盛夏の前に経絽の着物をよく皆さん着ていたみたい
そして立秋が終わり白露あたりまでも
母のきものも経絽が多かったらしく
というのは
きものにまったく興味の無い青春時代を送っていた私は
母や姉たちのきものをそんなに気を入れてみていない
しかし
耳学問で
「今日はオヂヤにしよう」
「アカシはどうもばさつくわ」
など聞いていて
「オヂヤにしよう」という言葉は
食べるオヂヤかと思い
「えーーいやだそんなの!」
と強く反抗しワケがわかって家族に失笑されたことがあります
そういう中で
チョット改まったところへ出かけるときは経絽の訪問着を着ていたようです
もっとも姉達は
「嫁入り前の娘は平絽」だったとか
母の色留めが経絽で夏の初めのものが撫子とか波もの
秋に近い夏は虫の巣つくりの柄で
蟷螂などが虫かごに秋草をいっぱい詰め込んで運んでいます
こんな柄を色留めにするのかと
昔の人のユーモアセンスに脱帽です
今日は経絽の着物を着ようと思ったのですが
花火の帯を締めたくて経絽に見える絹縮みにあわせました
きょうは恒例の「比佐子つれづれ」
皆さんのきものすがたが楽しみーーー
盛夏の前に経絽の着物をよく皆さん着ていたみたい
そして立秋が終わり白露あたりまでも
母のきものも経絽が多かったらしく
というのは
きものにまったく興味の無い青春時代を送っていた私は
母や姉たちのきものをそんなに気を入れてみていない
しかし
耳学問で
「今日はオヂヤにしよう」
「アカシはどうもばさつくわ」
など聞いていて
「オヂヤにしよう」という言葉は
食べるオヂヤかと思い
「えーーいやだそんなの!」
と強く反抗しワケがわかって家族に失笑されたことがあります
そういう中で
チョット改まったところへ出かけるときは経絽の訪問着を着ていたようです
もっとも姉達は
「嫁入り前の娘は平絽」だったとか
母の色留めが経絽で夏の初めのものが撫子とか波もの
秋に近い夏は虫の巣つくりの柄で
蟷螂などが虫かごに秋草をいっぱい詰め込んで運んでいます
こんな柄を色留めにするのかと
昔の人のユーモアセンスに脱帽です
今日は経絽の着物を着ようと思ったのですが
花火の帯を締めたくて経絽に見える絹縮みにあわせました
きょうは恒例の「比佐子つれづれ」
皆さんのきものすがたが楽しみーーー