日本バプテスト連盟 壱岐キリスト教会

玄界灘に浮かぶ壱岐の丘の上にある小さな教会です

小春日和の思い出 大島散策

2012-03-20 19:08:55 | 教会紹介
今日、春分の日に、息子と二人で、大島散策に出かけました。

一度はゆっくりと訪れてみたいと思っていたのです。

おむすびと飲み物をリュックに入れてですね、
お出かけしました。

市営船に乗ること50分、大島に到着します。

菜の花と、もう一種の綺麗な花が、道や畑のそこかしこに満開で、綺麗でした。
うぐいすやトビの鳴き声が、のどかで素敵でした。

大島と、お隣の長島は橋でつながっていますので、
長島のほうにも足を伸ばしました。

三島小学校長島分校の校庭は、海に面していて、これまた綺麗でした。

大島の海水浴場にも行ってみました。
海が、実に綺麗でした。

ひたすら歩いて、自然を満喫しました。

道すがら、お年寄りの方とすれ違いました。
「こんにちは」と挨拶するわけですが、
なんだか人の家の庭に入り込んでいるような気がしまして、
「おじゃましてます」とついつい付け加えてしまうのですね(笑)。

息子が、「ゆっくりお話しするの、久しぶりだね」と言いました。
そういえば、生活を同じくしてはいても、
「早くしなさい」などの決まった言葉以外の、
会話らしい会話をしていないような気もしました。
息子は息子で、DSやWiiなどにお忙しいですし…

小学校3年生の男の子ですから、黙って歩きません。
道中、ふざけます。
私も負けずにふざけましてね、楽しく歩きました。

歩いて歩いて歩いただけのことはあって、やはり疲れたのだと思います。
帰りの船中は二人とも撃沈でした(笑)。

「空の鳥を見なさい、野の花を見なさい」とはイエス・キリストの言葉ですが、
今日一日、たっぷりと実践しました!

御言葉の趣旨は、神に愛されていることを理解しなさいということだと
私は理解しているのですが、

今日は、目一杯愛されてきたわけです。

小春日和の良い思い出になりました。
感謝!

愛、赦し、御言葉、教会、霊の糧、成長

2012-03-18 15:50:29 | 教会紹介
今日も無事に礼拝をささげることができました。
感謝です。

今日の説教のテーマは、愛と赦しでした。

クリスチャンには、人を赦すというテーマが与えられています。

赦すというテーマに向かうとき、
同時に、自分自身も、赦され、愛され、受け入れられていることを、知らされます。

そして、他人を赦す以上に、すでに自分自身が、神様から、
実にその幾万倍もの愛で愛されていることに、思いが巡らせられます。

加害者の謝罪よりも先に、被害者の赦しが必要であることを、
ルワンダで働いておられる佐々木先生の報告から学びました。

赦すことによって、愛されている実感があることを、
アーミッシュに関する本から学びました。

他人を赦すことと、神様から愛されることは、
実に同時に起こるのです。

神様からの無限の愛を理解できたら、
赦しの実践は、
自ずと導かれるということでしょうか。

けれども、
言葉にすることはいくらかできても、
実践するのは簡単なことではありません。
誰にとっても難しい課題です。
クリスチャンも同様です。

しかしそれでも、
毎週の日曜日の礼拝をはじめ、
聖書の言葉を通して、
愛されていること、赦すこと、これら御言葉を、
週に一度でも、礼拝という場で、背筋をピンと伸ばして、心静かにし、
自分自身の霊の糧として受けることが、
私たちの人格を少しずつ良い方向に導くことであることは、
真に感謝なことだと思います。

御言葉と共に歩んでいたら、
それが一日一日と積み重ねられるならば、
長い年月を経たら、
自分みたいな人間でも多少は違ってくると思うのです。

未信者の方の来会を歓迎いたします。
礼拝の時間はほとんどの教会が日曜日の午前です。
壱岐教会の場合は、午前10:30~11:30です。
初めての方は手ぶらで来られたら十分です。
安心してご来会ください。
聖書や讃美歌は教会に備え付けのものがあります。
聖書のお話しを聞く気持ちで来てくださったら、
その心を、教会は喜びますし、
主イエス・キリストもまた、受けとめてくださると思います。

良い言葉を心に蓄えることは、
本当に充実した人生へと、
あなたを導くと思います。

どうぞご近所の教会にお出かけください。

あなたに主の祝福が豊かにありますよう、
心よりお祈りいたします。

実は、初めての投稿…

2012-03-17 09:59:42 | 教会紹介
はじめまして。
長尾です。
当教会にて、牧師をさせていただいております。

私、パソコン音痴でして…、
ブログの編集を、今回初めてしております。

やってみれば意外と簡単なようで、
挑戦してみてよかったなあと、感じ入っております。

これから、時々、思うところを書きたいと思います。

早速、一つ。

吉本隆明さんの訃報から

今回、初めてこの方の名を知りました。
吉本ばななさんの名は、聞いたことがありましたが、
ばななさんのお父様なのですね。

評論家であり詩人、カリスマとまで言われる思想家。
こんな方がおられたのだと、
訃報ではあっても、名をお聞きできたことに、感謝しています。

先生の思想に大きな影響を受けた世代の方々だと思うのですが、
インターネット上で、先生に贈る言葉が多数寄せられる中に、
先生の原発に関するコメントがありました。


先生は原発容認の主旨をされたことがあるそうです。

けれども、それは、人間の愚かさを、もはや認める以外にないではないかという、
深い諦めに基づくところの「容認」とのことだったと思います。

先生は、
原発を容認されたのではなく、
人間の愚かさを、諦めて、容認せざるを得ないと思われたのでしょうか。

心痛みつつ共感いたしますが、

できれば、原発反対と、いろいろあっても、とりあえずこの看板はやはり掲げるべきではなかろうかと、
私は考えます。

核廃棄物のことなど、
事故が起こる以前からの未解決の問題があるではありませんか。
原発に未来はないのです。
原発の未来など、少なくとも現段階では考えてはならないのです。

放射能というものは、危険過ぎます。

今、被災地では、放射能汚染された瓦礫の処理が喫緊の課題であると聞きます。
しかし、せめて、原発は止めますとはっきりと宣言してもらわないと、
他の自治体も、おそろしくて協力できないと思うのです。
一つの譲歩がそれだけで終わる保証はありません。
今も放射性物質は東京電力福島第一原発からもれ続けているのでしょう?
瓦礫を受け入れてくれそうな自治体に、
より多くの瓦礫がやってくることになりはしないでしょうか?

原発は止めますという宣言が、
復興に向けて第一になすべきことです。
続く話は、それからです。

今、皆で悔い改めて、
天地を創られた神様の御心に立ち返ることができなかったら、
一体、私たちが悔い改めて新生されることは
決してできないのではなかろうかと、
今、本当に、微妙で、大切な「時」を
私たちは生きているのだと思います。

日本国内の54基の原発は、来月、一応のところ、稼動停止することが決まっていると聞きます。
再稼動しませんように。
心から祈る思いです。

地球上の皆が、平和に豊かに暮らせる世界に向かって、
皆で知恵を絞る時代にすでに入っていると思います。
皆で、せめて祈るところから、足並みを揃えたいと願っています。


今日はこのくらいで終わります。
またお会いいたしましょう。

3月11日を覚えて祈ります

2012-03-11 07:57:10 | 教会紹介
3月11日を覚えて祈ります。


昨年の3月11日から、1年がすぎました。


東日本大震災で被災された方、
地震、津波、原発事故のため被害にあわれ、
今も悲しみがいえず、不安の中にある方々と共に
神さまの守りと慰めがありますように、
心からお祈りいたします。



私たち親子も、昨年の3月11日は、東京におりましたので、
あの日のことは、忘れません。
まだ、昨日のことのように覚えています。


傷ついた人の心が、いやされますように。
特に、子どもたちが希望をもって生きていくことができますように。



私たちも自分たちにできることを
精一杯やっていきます。
少額ながら献金できたことは感謝です。
これからも覚えていきます。