日本バプテスト連盟 壱岐キリスト教会

玄界灘に浮かぶ壱岐の丘の上にある小さな教会です

交換講壇 佐賀教会 浦 肇 牧師をお迎えして

2011-07-30 19:51:56 | 教会紹介
2011年7月31日(日)主日礼拝は、佐賀基督教会の浦 肇 牧師をお迎えして行います。

交換講壇なので、長尾知明牧師は佐賀教会で宣教奉仕をいたします。


<主日礼拝ご案内>
 2011年7月31日 午前10時30分~11時30分

 説教 浦 肇 牧師(日本バプテスト連盟 佐賀基督教会)
   「神の言(ことば)」
  イザヤ書 55章1-11節

 証し 浦 功矢(イザヤ)兄(佐賀教会員)



☆礼拝は、はじめての方もご参加できます。お気軽にお出かけください。
 聖書や讃美歌は教会にございます。
 礼拝の中で、自由献金があります。(ご用意のない方は結構です)

 小さなお子様連れの方も歓迎いたします。ベビーベットも礼拝堂内にあります。
 礼拝と同じ時間に、教会学校としてのクラスの準備があります。
(対象:基本的に小学生以下)

 みなさまのお越しを心よりお待ちしております。

日曜日は教会へ 2011年6月19日(日)説教要約

2011-07-02 20:56:25 | 教会紹介
明日の主日も礼拝でお会いできますように。お待ちしています。


6月19日(日) 主日礼拝説教要約
「神の聖霊を悲しませてはいけません」長尾知明 牧師


神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。(エペソ4: 30)

 パウロの書簡は、前半は神学、後半に道徳規範に類することが語られる、という構造を持つ傾向がありますが、今日の箇所はその後半部分です。道徳規範に類する内容はどのような宗旨宗派でも語られていることで、平たく言えば常識のレベルであるべき内容です。
 姦淫してはならない、嘘を言ってはならない、正直であれ、怒ることは仕方ないかもしれないが罪を犯してはならない、憤ったままでいてはいけない、盗んではならない、労苦して働いて貧しい人に施しなさい、悪い言葉を言ってはならない、徳を建てる言葉を言いなさい、無慈悲・憤り・怒り・叫び・そしりなどを一切の悪意と共に皆捨て去りなさい、親切でありなさい、心の優しい人になりなさい、赦しなさい。
 聖書が語らずとも、この程度の善悪は誰にでも分かることです。人がこれに抵抗を覚えることがあるのは、これらの基準に遠いことを心の奥底で認識している場合を考えることが出来ます。
 人は神の似姿に創造された、と聖書は語りますが、事の善悪が本能的に分かるのは、大変合点が行く思いがします。神の創造の秩序、創造主である父なる神のもとに全てが一つであることが、事の善悪とまっすぐに結びついています。

「そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。」(4:17)常識とでもいうべきこれらの倫理規範を御言葉が、こうも物々しく語るのは、私たち人間が如何に神様から離れて生きているかということの証左でもあります。
 この書簡が記された時代にあって、神の創造の秩序に沿った徳を建てる言葉をこれほどの確信を持って語られていることは驚くべきことです。そして現代においてもこのメッセージの重要性が認識されるのは真理の言葉であることの証でしょう。
 
 「またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」(4:23-24)
 キリスト教会の特有の働き、神の救いのことがらに関する部分です。「心の霊」は、私たちの心の最も奥深くを指し、「新しい人を身に着る」とは、外側の目に見える部分をたとえています。内側が新しくされると、言動も新しくなるのです。内も外も全く変えられるのです。


 「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。」(4: 30)
 「証印」とは、後に必ず果たされるはっきりとした約束の、目に見えて拘束力のあるものです。聖霊こそは、救いのこれ以上ない確かな約束なのです。そして、必ず救いに預かるあなたであるから、その約束された恵みに相応しくあって欲しい、と御言葉は願っています。

 私たちは今、世にあってクリスチャンとして立たされています。クリスチャンは内も外も新しくされます。それ故に、世の歩みとは一線を画す部分を自ずと持っています。私たちは、真理に基づく、命につながる、聖霊が喜ぶ歩みを、天にあります彼の地に行くときまで、忠実に歩んで参りましょう。