東京の下町、足立区千住桜木町。 ここには「お化け煙突」と言われ庶民に親しまれた東京電力火力発電所がありました。
4本の巨大な煙突・・・というと以前このブログにも書いた「ピンクフロイドのジャケット:バタシー発電所」を思い起こしますが、東京生まれの僕にはそれよりも自分の住む国の千住のお化け煙突のほうが当然のことながら身近な存在だったし懐かしいわけです。
この4本の煙突が見る角度によって(重なって)3本、2本、1本に見えることからついたニックネームなわけですが、子供の頃に本当に不思議だったその煙突が解体されて42年が過ぎたそうです。
僕は板橋区で生まれたので足立区千住は少し離れた場所でしたがものごころついた頃、何かの用で父の運転する車の窓越しに見たのが初めてでした。車が移動していくと見える本数が変わります。どうしてだか理解できなかったので僕にとっても「お化け」でした。
この煙突は大正15年に建造されたのですが、僕が子供の頃はすでに老朽化が進んでいたらしく、東京オリンピックの年に(昭和39年)40歳で、みんなに見守られて消えていきました。
映画にも登場した(「煙突の見える場所」S29)4本のお化け煙突。
天に向かって雄雄しくそびえ立つ煙突は高度成長期の象徴であり、庶民の元気の元であり、昭和の匂いを感じさせるものでした。
「Always 三丁目の夕日」の東京タワーより、僕にとってはこちらの煙突のほうがよっぽど「あの頃」を感じます。
4本の巨大な煙突・・・というと以前このブログにも書いた「ピンクフロイドのジャケット:バタシー発電所」を思い起こしますが、東京生まれの僕にはそれよりも自分の住む国の千住のお化け煙突のほうが当然のことながら身近な存在だったし懐かしいわけです。
この4本の煙突が見る角度によって(重なって)3本、2本、1本に見えることからついたニックネームなわけですが、子供の頃に本当に不思議だったその煙突が解体されて42年が過ぎたそうです。
僕は板橋区で生まれたので足立区千住は少し離れた場所でしたがものごころついた頃、何かの用で父の運転する車の窓越しに見たのが初めてでした。車が移動していくと見える本数が変わります。どうしてだか理解できなかったので僕にとっても「お化け」でした。
この煙突は大正15年に建造されたのですが、僕が子供の頃はすでに老朽化が進んでいたらしく、東京オリンピックの年に(昭和39年)40歳で、みんなに見守られて消えていきました。
映画にも登場した(「煙突の見える場所」S29)4本のお化け煙突。
天に向かって雄雄しくそびえ立つ煙突は高度成長期の象徴であり、庶民の元気の元であり、昭和の匂いを感じさせるものでした。
「Always 三丁目の夕日」の東京タワーより、僕にとってはこちらの煙突のほうがよっぽど「あの頃」を感じます。
よ~く分かりますよ、その時の気持ち。
お風呂屋の煙突から出る煙ならともかく、コンビナートや巨大工場の風景が懐かしいなんて、僕も思えませんよ。
工業化が人にやさしいなんて、誰も思いませんよ。
ノスタルジーとは美化することですよ。
少し前に千葉の内房線に乗って、木更津の手前まで行った時に、遠くに巨大な鉄の塊と煙突がそびえているのが見えました。が、それを見て私が感じたのはノスタルジイなんかではなく見たくないものを見させられたような、そこはかとない苦々しさだけでした…。
覚えていますか。 当時はそれほど高くて大きな建物がなかったから、あの4本煙突はけっこうどこからでも見えたんですよね。 お互い、歳がバレますなぁ。
なぜか不思議とほのぼのしますよね、煙突って。
今の最新鋭の清掃工場などのロウソクのような煙突には、何も感じませんが、あの側面にハシゴみたいなのが付いてるヤツ、ああいうのはいいですね。
コメント、いつもありがとうございます。
ライブ、近いです! 体調万全ですか?
脚本家にとりあえず拍手でした。
千住の煙突は存在感あったんでしょうね
家の側だと銭湯の煙突が何本かあるぐらいです。
でも観てると何故か「ほのぼの」します。