バンマスの独り言 (igakun-bass)

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幼なじみの旅立ちに思う

2014年08月20日 | 日常
一昨日、幼なじみだった一人の女性の突然の悲報が届きました。

ずいぶんと昔の話になりますが、僕が小学校の5年生の春に一人の女の子が転校してきました。当時、僕の隣の席は空いていて担任の先生の紹介の後、自分の名前とどこから来たかだけを話してその子は唐突に僕の人生と関わる事になったわけです。

その子、U子はその時のクラスにはちょっといないような快活な女の子で、あまり物おじする様子も無く他の女子の好奇な目線が飛ぶ中をヒラリっと小走りに僕の隣に座ったのでした。
自己紹介で新宿区の小学校から移ってきたと言っていましたがそのころ僕には新宿という所がどんな所なのかは分からず、彼女を見て「ああ、きっとここら辺とは違う町の子なんだろうな」なんて想像していました。

僕とU子はその日のうちにすぐ打ち解けておしゃべりをした記憶があります。さらには家がかなり近くて親近感を増していったわけです。
小学校を卒業して、同じ中学校に進みましたがここでU子とは別のクラスに分けられて、その後同じクラスメートとなることはありませんでした。

僕は時々U子のクラスに遊びに入って彼女の変らないはつらつとした姿を見ていましたが、きっとこの頃ほのかな恋心が芽生えていたのかもしれません。何の形にもならなかったけれど、彼女にとって僕はこの地での初めての友達であったわけで、きっとお互い「幼なじみ」という感覚が強かったのかもしれません。

中学校の僕はこのブログのどこかで書いたように、クラシックを聴き始める傍らでロックバンドを組むようになっていて、しかもクラスメートに好きな子ができて、心身ともに忙しかったので、U子とは次第に疎遠になっていきました。

高校はそれぞれ別の学校に進み、家の近所で時々顔を合わせる程度で時は進みました。
大学へ進学すると僕にもすぐにたくさんの友達ができましたがその中の一人(彼はその後から現在に至るまで僕の人生に大きく関わってきます)がU子の高校時代の同級生だったのです。

僕と彼はその奇遇に驚き、同時に僕はU子と連絡が取れて、再会を果たしました。
当時の僕には高校1年からつき合っている恋人がいて、U子に再び恋心を持つようなことはありませんでしたが、家が近かったせいもあって何か助けがいる時は時間をさいていたような記憶があります。

その後月日は経ち、共通の友人の結婚式で再会したり、風の便りでご主人と地方に住んでいるなどと聞いたことがある程度で、十数年があっという間に過ぎていきました。


幼くして天国に旅立ってしまった僕の二女・望(のぞみ)をたまたま出会った近所のスーパーで抱き上げてくれたのがU子との最後の思い出となるなんて、想像もしていませんでしたが、
一昨日の友人からの電話で、彼女は病魔との壮絶な戦いの後、帰らぬ人となったと聞いたわけです。

これまで多くの人の死に接してきましたが、同じ歳の友人となるとその数はまだ少なく、それは普通以上にショックが大きいものです。
U子はこの世にもういないのです。いつもどこかでそれぞれがんばって生きているんだと思っているからこそ、多少疎遠になっても人間はタカをくくってその状況を放っておきますよね。

でももう会えなくなった、と知った瞬間、後悔ってやはり起きるのです。
どんな人間にも訪れる究極の平等とは死です。
僕は今、幼なじみの死に接し、言いようのない切なさ、空しさを心から感じています。

明日、U子の葬儀があるようです。
僕は行きません。
晩年のU子ではなく昔のU子の面影を心にしまっておきたいからです。

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