11月をピークに僕の住む東京地方の秋はいよいよ深まっていく。
テレビ番組で好きなものに大自然を扱うものや山登りとそれに関連する旅番組がある。
よくある温泉や料理中心の旅番組の場合は出演者によって選択する。でも山(登山)番組はどんなアホな出演者でも、山登りの最中に人間味が露出してしまうので面白い。人間がでてしまう、それが登山だから。
ところで先日なにげなく見ていた秋の山を登る旅番組を見て触発されたのか、昔よく山を登っていた頃の事やその時の風景を思い出した。
僕が過去に登った山で一番標高の高い山は南アルプスの「北岳」(3,193m 山梨県)だ。
若かったから若干の苦労でなんとか登ったけれど、今ではもう絶対に無理だ。普段の生活で日本第2位の標高を誇るこのような山へ登れる足腰の鍛錬が出来るわけがない。
数年前、ロープウエイを利用して谷川岳に登った時など完全に息が上がってしまい脚がパンパンになった経験が思い出される。
日本一高い山にはいまだ登っていない。もちろん富士山のことだが、あの山は登るよりその優美な姿を見るのがいい。だから今後もたぶんあそこは登ることはないだろう。でも車で五合目まではよく行くけど。
山を登るのは大変だ。でも登山口からうす暗い樹林帯を抜け(ここでは森の匂いを嗅ぐのだ)見晴らしのいい場所に出ると幸せな心もちになるものだ。さらに岩場になり森林限界を超えると、いつも無口になったものだ。息も荒く、膝も辛く、もうこれ以上登りたくはないという気分になると所構わず腰をおろして休んでしまった。
昔の秋のある日、そんな調子の中、ふと眼下を見下ろすと赤や黄色に染まった森の一角に黄金色に、ちょっと辺りの紅葉とは違う樹林が見えた。
落葉松(カラマツ)だ。
他の樹木の紅葉とは違う。どこか寂しく悲しい感じがする紅葉(黄葉)だ。
このカラマツはありふれた樹木だけれど純日本産のそれも他に類を見ない落葉する針葉樹なのだ。
僕のカラマツとの思い出がしみじみよみがえって来た。
(注:カラマツは落葉であるので、葉の量はスギやヒノキに比べて少なく、林内は明るい。しかし、林床にはあまり植物が生育していないことが多い。カラマツの落葉が厚く堆積して菌糸層が発達するので、林床にほとんど植物が生育しない森林になってしまう)
僕は基本的には秋に葉の色を変えない樹木は好きではない。
大きく葉を広げ若葉の匂い立つような生命感を感じる緑から、一気に紅葉してはかなく葉を落とす広葉樹が好きだ。
だから一年中緑色をした常緑樹やその類の針葉樹に興味を持てない。
しかし黄葉し落葉する<落葉松>は例外的に観賞に値する針葉樹だと思っている。
先ほどのTV番組。
番組内で浅間山(軽井沢がある群馬の山)の外輪山(浅間山は頂上は立ち入り禁止なのでその周りの峰を歩くのだ)への山道に黄金に光るカラマツの黄葉を見事にカメラに収めていたのだ。
昔の僕は登山をしている時は無口になっていたようだ。普段はよくしゃべる人間だけれども山登りでは独り黙々と風景を愛で森林の匂いを嗅ぎながら体力と闘いたい。
そんな時、目の前にこのカラマツの黄葉が目に入ったらどうなるだろう。
経験的にはこのようなカラマツの黄葉風景を行った先々で何度も見たことがある。
そしてある山登りの時、カラマツ林で僕は突然の孤独感に襲われた。そこは鳥の鳴く声と足元のサクサクという音とかすかな風の音だけの世界だった。もちろん周りに人はいなかった、ように思う。
カラマツを抜ける風は孤独感を一層倍増させた。
今日突然にその思い出が蘇った。
そして次に思ったこと・・・それは北原白秋の「落葉松」という詩の一節だった。
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「落葉松」 北原白秋
一
からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
二
からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。
三
からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。
四
からまつの林の道は、
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。
五
からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。
六
からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。
七
からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。
八
世の中よ、あはれなりけり。
常なれどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
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余計なことだろうが文語体だけ口語にしてみよう。
一「見き」=見た。「かりけり」=(寂し)かった、~った。
二「入りぬ」=入った
三「なり」=である
四「ひともかよひぬ」=「いろんな人も通っていた」。
「さびさびと」(前の行の「ほそぼそ」の韻を受けている)=さびしげに
五 ゆゑしらず」=「理屈抜きで」「何となく」という意味になる。
「歩みひそめつ」=そっと歩いた
六「浅間嶺」=浅間山。「うへ」=上
七「さびしけどいよよしづけし」=寂しいけれど、ますます静かだ
八「常なけど」=はかないものだけれども
--------------------------------------------------------------------------------
なんという描写なのだろう! カラマツと17回もリフレインするそのリズムの奥に深い孤独感とため息と静寂と哀しみを感じ取れる。
なんと音楽的な詩だろうか!
作者の言わんとするテーマのようなものは第一章に要約されていると考える。
落葉松の風情がもつ寂しさに共感し、自らの寂しさを重ね、自然と一体化するのだ。
こういう自然と精神との一体感を得ることこそが登山の醍醐味であり、標高を競ったりするものではないということだけは多くの自分の登山で分かったことだ。
ロックバンドのバンマスはちょっと変人なのかもしれない。
歳とともに孤独感や静寂感を大事にするようになった。ライブで演奏していてもその最中に猛烈な孤独感を感じることがある。
また、上記のような詩に音楽を感じることもある。僕が最も音楽を感じる詩人は中原中也なのだが、白秋のこの詩は山の風景が好きな僕には特別に響く。
テレビの旅番組からこんな話をしてしまったが、ライブが終わり脱力感が漂う今の時期こそ、こんな詩を観賞しながら秋を迎えたいなと思ったのだ。
次に来る楽しみは先日のライブの打ち上げパーティ。メンバーの都合で来月早々になったが、メンバー以外にもゲストが来てくれる。みんなでライブ映像を見て酒の肴にする。
その後はたぶんカラオケ宴会。 人生の楽しみの一つだ。
テレビ番組で好きなものに大自然を扱うものや山登りとそれに関連する旅番組がある。
よくある温泉や料理中心の旅番組の場合は出演者によって選択する。でも山(登山)番組はどんなアホな出演者でも、山登りの最中に人間味が露出してしまうので面白い。人間がでてしまう、それが登山だから。
ところで先日なにげなく見ていた秋の山を登る旅番組を見て触発されたのか、昔よく山を登っていた頃の事やその時の風景を思い出した。
僕が過去に登った山で一番標高の高い山は南アルプスの「北岳」(3,193m 山梨県)だ。
若かったから若干の苦労でなんとか登ったけれど、今ではもう絶対に無理だ。普段の生活で日本第2位の標高を誇るこのような山へ登れる足腰の鍛錬が出来るわけがない。
数年前、ロープウエイを利用して谷川岳に登った時など完全に息が上がってしまい脚がパンパンになった経験が思い出される。
日本一高い山にはいまだ登っていない。もちろん富士山のことだが、あの山は登るよりその優美な姿を見るのがいい。だから今後もたぶんあそこは登ることはないだろう。でも車で五合目まではよく行くけど。
山を登るのは大変だ。でも登山口からうす暗い樹林帯を抜け(ここでは森の匂いを嗅ぐのだ)見晴らしのいい場所に出ると幸せな心もちになるものだ。さらに岩場になり森林限界を超えると、いつも無口になったものだ。息も荒く、膝も辛く、もうこれ以上登りたくはないという気分になると所構わず腰をおろして休んでしまった。
昔の秋のある日、そんな調子の中、ふと眼下を見下ろすと赤や黄色に染まった森の一角に黄金色に、ちょっと辺りの紅葉とは違う樹林が見えた。
落葉松(カラマツ)だ。
他の樹木の紅葉とは違う。どこか寂しく悲しい感じがする紅葉(黄葉)だ。
このカラマツはありふれた樹木だけれど純日本産のそれも他に類を見ない落葉する針葉樹なのだ。
僕のカラマツとの思い出がしみじみよみがえって来た。
(注:カラマツは落葉であるので、葉の量はスギやヒノキに比べて少なく、林内は明るい。しかし、林床にはあまり植物が生育していないことが多い。カラマツの落葉が厚く堆積して菌糸層が発達するので、林床にほとんど植物が生育しない森林になってしまう)
僕は基本的には秋に葉の色を変えない樹木は好きではない。
大きく葉を広げ若葉の匂い立つような生命感を感じる緑から、一気に紅葉してはかなく葉を落とす広葉樹が好きだ。
だから一年中緑色をした常緑樹やその類の針葉樹に興味を持てない。
しかし黄葉し落葉する<落葉松>は例外的に観賞に値する針葉樹だと思っている。
先ほどのTV番組。
番組内で浅間山(軽井沢がある群馬の山)の外輪山(浅間山は頂上は立ち入り禁止なのでその周りの峰を歩くのだ)への山道に黄金に光るカラマツの黄葉を見事にカメラに収めていたのだ。
昔の僕は登山をしている時は無口になっていたようだ。普段はよくしゃべる人間だけれども山登りでは独り黙々と風景を愛で森林の匂いを嗅ぎながら体力と闘いたい。
そんな時、目の前にこのカラマツの黄葉が目に入ったらどうなるだろう。
経験的にはこのようなカラマツの黄葉風景を行った先々で何度も見たことがある。
そしてある山登りの時、カラマツ林で僕は突然の孤独感に襲われた。そこは鳥の鳴く声と足元のサクサクという音とかすかな風の音だけの世界だった。もちろん周りに人はいなかった、ように思う。
カラマツを抜ける風は孤独感を一層倍増させた。
今日突然にその思い出が蘇った。
そして次に思ったこと・・・それは北原白秋の「落葉松」という詩の一節だった。
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「落葉松」 北原白秋
一
からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
二
からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。
三
からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。
四
からまつの林の道は、
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。
五
からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。
六
からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。
七
からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。
八
世の中よ、あはれなりけり。
常なれどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
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余計なことだろうが文語体だけ口語にしてみよう。
一「見き」=見た。「かりけり」=(寂し)かった、~った。
二「入りぬ」=入った
三「なり」=である
四「ひともかよひぬ」=「いろんな人も通っていた」。
「さびさびと」(前の行の「ほそぼそ」の韻を受けている)=さびしげに
五 ゆゑしらず」=「理屈抜きで」「何となく」という意味になる。
「歩みひそめつ」=そっと歩いた
六「浅間嶺」=浅間山。「うへ」=上
七「さびしけどいよよしづけし」=寂しいけれど、ますます静かだ
八「常なけど」=はかないものだけれども
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なんという描写なのだろう! カラマツと17回もリフレインするそのリズムの奥に深い孤独感とため息と静寂と哀しみを感じ取れる。
なんと音楽的な詩だろうか!
作者の言わんとするテーマのようなものは第一章に要約されていると考える。
落葉松の風情がもつ寂しさに共感し、自らの寂しさを重ね、自然と一体化するのだ。
こういう自然と精神との一体感を得ることこそが登山の醍醐味であり、標高を競ったりするものではないということだけは多くの自分の登山で分かったことだ。
ロックバンドのバンマスはちょっと変人なのかもしれない。
歳とともに孤独感や静寂感を大事にするようになった。ライブで演奏していてもその最中に猛烈な孤独感を感じることがある。
また、上記のような詩に音楽を感じることもある。僕が最も音楽を感じる詩人は中原中也なのだが、白秋のこの詩は山の風景が好きな僕には特別に響く。
テレビの旅番組からこんな話をしてしまったが、ライブが終わり脱力感が漂う今の時期こそ、こんな詩を観賞しながら秋を迎えたいなと思ったのだ。
次に来る楽しみは先日のライブの打ち上げパーティ。メンバーの都合で来月早々になったが、メンバー以外にもゲストが来てくれる。みんなでライブ映像を見て酒の肴にする。
その後はたぶんカラオケ宴会。 人生の楽しみの一つだ。
末松さん、ありがとうございます。
今度は白秋でつながりましたね。このところ共通の話題がなくて・・・そんな時にこの「落葉松」で気持ちを通わせることができてよかったです。
日本語ロック黎明期にエポックメイキングな詞をお作りになった末松さんのさらなる独創的な詞の世界を今後も覗いていきたいですね。
かんたんな美しい言葉で多くの思いを抱かせてくれる。そしてなによりもリズミックであります。こんな詩が書けたらなあと思います。
不肖末松康生さらに唄の詞づくりにまい進したいと思っています。
ライブ、ほんとお疲れさん!
レンズの前に偏光フィルターを付けると最後から2枚目のような写真になるんだよ。
普通だと最後の写真のように写る。
温泉地でライブやりたいな。
宴会場のちょっと高くなった舞台の上なんかで、浴衣や丹前を着てな!
終わったら温泉にぐぐっと漬かるんだ。
小さな夢だなぁ。
あ~、旅がしたい!
温泉も行きたい!