バンマスの独り言 (igakun-bass)

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訃報・原田芳雄、 惜別・大関魁皇

2011年07月20日 | 日常
毎日ここを訪問してくれる皆さんはさぞ退屈だったろう。
いつまでも「仁・最終回」のページが現れて一向に更新されていなかったから。


そんな時、仕事先で友人のバッカス先生に言われた。
更新したかな、といつも開けてはみるがずっと変わりばえしない「仁」のまま。
これじゃ退屈だ。何か書くことないの?と。


実はこのところの暑さで頭の回転もローレベルで、PCの前に長く座って文章を書くより、映画や音楽観賞で完全受け身の生活をしていたかったからだったんだ。

ブログはネタさえあれば憑かれたように一気に書き上げてしまうのが常だが、僕は暑さに弱いんだ。
考えることが散漫になって焦点が定まらない。
節電ブームに反してエアコンで涼んでいると(仕事は終わっているものの)明るいうちからビールやら水割りやらが飲みたくなる。
そんな中でTVや本を見ているとすぐに眠くなる。

それでも書きたいことはあった。
あったが気乗りしない毎日だった。
でもとりあえずは話題の新しいものを新鮮なうちに書かなければと考え、今日に至ったわけだ。



日本中が女子サッカー・なでしこ隊の金メダルに沸く中(僕はサッカーに興味がない。それに、にわかファンのバカ騒ぎには閉口するタイプだ)僕にとってはそれ以上に重く意味のある二人の偉大な人間のニュースが報道された。

僕にはこの二つのニュースがとてもショックだった。


一つは訃報。
大好きだった俳優・原田芳雄が亡くなった。老人の死因で一番多い誤嚥性肺炎だったそうだ。
数日前に映像(舞台挨拶)で見た彼はそれまでの僕の彼に対するイメージを大きく変え、やせ細った痛々しさ、全く別人かと思わせる老化の進行状況を見て大きなショックを受けた。


今も入院中の父の姿も似たようなもので、元気ならば良しとも思うが病気でそうなったとなれば、衰弱が誰も目にも明らかな状態を見るのはやはりとても悲しい現実なわけだ。

原田芳雄は71歳で逝った。
多くの芸能リポーターが口をそろえて言った。
「あまりにも若すぎる死」だと。

幼い子供が逝ったわけでもないのだから、もっとちゃんとした日本語をカメラの前では話してほしい。

これは多分に「まだ活躍できただろうにもったいない」という意味を込めてだと善意に解釈したいが、
けっして若すぎる死ではない。急いだ死でもない。
これが彼の寿命だっただけ。

彼のような存在感のある俳優は多くの場合、作品に恵まれている。
あまたある彼の出演作品の中で、それほど話題に残らなかったが僕には大好きな作品があったので一編だけ紹介したいと思う。

知る人も少ないのだろうが1996年の「鬼火」(監督:望月六郎)という作品だ。




(解説)
 『新・悲しきヒットマン』の望月六郎が、個性派俳優・原田芳雄を主演に迎えて放つハードボイルド。50歳を過ぎて刑務所から出所した、かつて“火の玉”と呼ばれたヒットマンの生き様を描く。殺し屋としての業と現実世界との狭間に引き裂かれ、次第に壊れてゆく男の姿を原田芳雄が熱演。共演に奥田瑛二、哀川翔、片岡礼子。かつて「火の玉」の異名をとり、極道社会で恐れられたヒットマン、国広法康。刑期を終えて出所した彼は、堅気になる決意をしていたが、弟分の谷川は極道への返り咲きを勧める。彼の申し出は断ったものの、ムショ帰りの国広が得られる仕事は限られていた・・・。

彼と恋に落ちるヒロインを演じる、片岡礼子のみずみずしい魅力も印象的だ。(以上)


大阪のとある街角で生きる主人公とヒロイン。ヤクザ映画と言ってしまえばそれまでだが、主人公の心の葛藤を淡々と描く妙な静けさがいい。
全編に流れるメンデルスゾーンのピアノ曲「ベニスのゴンドラの歌-無言歌集Op.19-6」が心に染みてしかたがない。強く悲しい男の生きざまが原田芳雄その人とかぶってしまう。
地味ではあるが味わい深い日本映画であった。


(このop19-6は大好きな曲で、これを聴くといつも原田芳雄の哀感のある風情が目に浮かぶのだ)

彼が亡くなったというニュースを聞く前の日、奇遇だが僕はこの「鬼火」(DVD)と上戸彩の「あずみ」(同)をたまたま観ていた。原田芳雄は「あずみ」でも冒頭から重要な役で出ていた。(作品自体は鬼火より格下だが)
それだからこの訃報には虫の知らせだったのか、と驚かされた。

今、彼の死の目前の映像を見て、もう彼はやることはやったんだと思った。
だからもう十分だ。原田芳雄のこれ以上の衰弱ぶりを見ないで済んだのだから。
(できればこの舞台挨拶の写真↑も見たくはなかった)

原田芳雄さん、お疲れさまでした。




もう一つは大相撲、日本人でただ一人の大関だった魁皇の引退だ。

最近の大相撲に興味が薄れていた僕が、それでもただ一人応援をしていた力士だった。
外国出身の力士がうじゃうじゃいる今の角界で、その表情、人柄、長期にわたる現役生活、それにともなう人気で現在まで最高の日本人力士だった彼。
今場所、記録を塗り替えたことで満身創痍だった身体にも鞭打ってきたのだろうが、やはり気持ちのどこかに途切れをみせたのだろう。

大関で5回も優勝を果たしたのにもかかわらず、いざ綱取りという場所でケガに泣いた不運の力士でもあった。
彼の表情を見るだけでいかにこの人の人間性が良いものなのだろうことが想像できた。

もうこれで僕は完全に大相撲から離れるだろう。白鵬という巨人がいかに素晴らしい精神性をもった強い相撲を取り続けたとしても、もう興味はなくなった。

年寄・浅香山を襲名した元大関魁皇。
引退は想像の範囲内だったけれど、いざそれが現実のものとなるとやはりさみしい。

それにしても今場所(名古屋)の空席の目立つ状況は悲惨だ。
大相撲の改革は生ぬるく、興業としての経営手腕にはかなりの不満もある。
彼らは二言めには「伝統」を振りかざすが、今やそんなたわごとが通用する時代ではないのだ。
相撲協会はこのままではやがて自滅していく道をたどるのだろう。

魁皇引退でまた一つの時代が終わり、協会は大打撃を受けることだろう。


<お相撲さん>と親しみを込めて呼べるような、<気は優しいが力持ち>的な力士がまた一人消えていった。
外国人だからといって差別する気は毛頭ないが、大関以上が全員外国出身者というのはやっぱり「異常事態」だと僕は思っている。

僕はこれにて千秋楽~と相撲観戦から引退するつもりなんだ。
だってもう誰も応援する力士がいなくなってしまったから。

魁皇、ご苦労さんでした。

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