<彼>との初めての出会いは高校3年の暑い夏の午後でした。
辺り一面に蝉時雨が降り注ぎ、その声の大きさがかえって静けさを感じるという不思議な感覚の中で、憧れだった<彼>との初対面を果たすため少しの緊張感を伴って天平時代の国宝建築である本堂に足を踏み入れたのでした。
古い木造建築特有の湿気た匂いと和ロウソク、伽羅(きゃら:香木)や白檀(びゃくだん:香木)等のお香の香りがブレンドされたほの暗い堂内の中心に鎮座する堂々とした一木作りの薬師様がその大きな目で若い侵入者を見下ろしました。
およそ1200年以上にわたり時の流れが止まったかのような独特な空気感。
僕はこの雰囲気に圧倒され、長い過去に想像も出来ないような多くの人々が味わってきただろうこの仏の世界に今回運命が巡り巡って僕がいるという事実を感動をもって認識したのでした。
この本尊薬師如来の周りを取り囲むように立っているいずれも身長160cmほどの12体の怒れる神さまたち・・・これらの神々を<十二神将>と呼びます・・・の中でもひときわその憤怒の様相が目立つ有名な像<伐折羅大将(ばさらたいしょう)>こそが今回僕が対面を念願していた神さまだったのです。
本尊を警護する神さまの中で正面近くに立っておられる<伐折羅大将>を初めて見た時、その憤怒のすさまじい形相に僕は数秒たじろぎました。時間が止まったような感覚!
<あなたは僕の何を、どこを、怒っておられるのですか?>・・・。
奈良・新薬師寺 十二神将 伐折羅大将像
訪れる人もまばらな夏の日の午後、僕はこの憤怒のシャワーを数分間そっと浴びたのです。
本堂内陣のようす(実際はかなり暗い)
伐折羅大将像
これが僕にとって(修学旅行以外で初めての)奈良の旅のスタートでした。
古都奈良には第一級の仏教美術や寺院がたくさんありますね。若き日の僕の最初の一人旅はここでした。しかも一番最初に行くお寺は<新薬師寺>、一番最初に対面したい仏像は<伐折羅大将像>と決めていたので、その念願がみごとにかなった瞬間でした。
・・・・・・・
奈良市高畑に1200年以上の歴史を持つ<新薬師寺>。「新しい薬師寺」という意味ではなく「霊験新たかな薬師の寺」と言う意味のこのお寺は天平時代に建立された当時は大寺院でしたが幾多の戦争や災難で今では辺りの住宅地にひっそりと溶け込んでいる感じでたたずんでいます。近くには旧志賀直哉邸などもあり、崩れかけた土塀が多く見られる、あの東大寺大仏殿から徒歩20分くらいの静かな町の中にあるお寺です。
その初めての一人旅以来、大学生となってからも年に2度は(夏休み2週間、春休み10日間ほど)奈良(和歌山を含む)や京都(兵庫を含む)へ仏像行脚の旅を毎年しました。
特に奈良では高3の時の旅がご縁でこの新薬師寺さんと親しくさせていただいていたので、奈良の旅の時はここの宿坊に泊まらせてもらうという実にラッキーな関係を結べて滞在費用なども安く済ませられました。学生の身としては大いにありがたかったです。
新薬師寺本堂(国宝建築)
昔の話が長くなりましたが、こんな縁もあってここの仏像にはとりわけ興味が尽きないでいましたら、数年前にその<伐折羅大将像>の天平時代の色彩をCGで再現、というプロジェクトがあったのを最近知ったのでそれをこのブログに書いておこうと思ったのでした。
新薬師寺の十二神将(薬師如来を護衛する神)・・・なかでも伐折羅(バサラ)大将像は500円切手でも有名(トップの写真)(↓参考)・・・は天平文化最高の宝として実に1250年以上も前からここに立ち尽くしている塑像(土で出来た像)なんです。
「伐折羅像」は十二神将像の中でも傑出した秀作で像の前に立つと、その激しい威嚇に圧倒されて一瞬たじろがれること間違いなしです。
頭は冑(かぶと)を着用せず、「怒髪(どはつ)天を突く」がごとくで、口をかっと大きく開けて咆哮し、五指を広げるのではなく左手の中指と薬指のみの間を大きく広げて仏敵を威嚇しています。
他の像は布製の腰紐であるのに伐折羅大将像は豪華な石帯(バンド)を着用しています。
太平洋戦争後、新しい日本銀行券(お札)が発行されるに際し当時、我が国を占領していた「GHQ(連合国最高司令部)」は新様式の通貨の製造、発行に対しては事前承認を要求しました。
発行予定の新しい通貨のうち「十円券」の肖像にこの伐折羅大将像のデザインを提案すると、「伐折羅大将の形相は戦争に敗れた日本国民の憤怒を表している」と、すなわち「連合国」に対する日本国民の怒りを表しているということで却下されました。
異国の人間が憤怒の表情を恐ろしいとたじろぐくらい見事な憤怒表現であるということです。
伐折羅大将像 伐折羅大将像C G彩色
この像と他の11神はいずれも長い年月の間に、極彩色と伝えられたその華麗な色をすっかり落としてしまい今があります。白っぽい土の色とごくわずかに残った彩色の残骸。
これはこれで十分に見ごたえがあるのですが、近年この伐折羅大将像にC G(コンピュータ・グラフィックス)とレーザー計測によって当時の色彩を再現(あくまで想像上の)する試みがあったのです。
コンピュータ・テクノロジーを最大限に使ったこの試みの詳細を記した本も3年程前出版され、僕はその本の中の極彩色の伐折羅大将を新鮮な感動をもって見ました。
「バザラにホレた!」(発行:キャドセンター)
もちろん実物に彩色するわけではありませんが、いにしえの人々がこのような極彩色をまとった憤怒の像に恐れをなしたことは想像に難くありません。
ただしこれら今回のC G彩色は興味を多分にそそられるものの、実際は今のお姿のほうが年月の重みを感じて、言うに及ばず最高であると思っています。
またいつか伐折羅大将に再会できる日を楽しみにして・・・今回はこれで終わります。
(参考までに)
ちょっと調べましたら、今発行されている通常郵便切手は1円の前島密から1000円の松鷹図まで22種類、慶弔用が5種類、人物は前島密のみ、あとは花と鳥なんです。例外が200円の埴輪と500円のバサラ大将です。
辺り一面に蝉時雨が降り注ぎ、その声の大きさがかえって静けさを感じるという不思議な感覚の中で、憧れだった<彼>との初対面を果たすため少しの緊張感を伴って天平時代の国宝建築である本堂に足を踏み入れたのでした。
古い木造建築特有の湿気た匂いと和ロウソク、伽羅(きゃら:香木)や白檀(びゃくだん:香木)等のお香の香りがブレンドされたほの暗い堂内の中心に鎮座する堂々とした一木作りの薬師様がその大きな目で若い侵入者を見下ろしました。
およそ1200年以上にわたり時の流れが止まったかのような独特な空気感。
僕はこの雰囲気に圧倒され、長い過去に想像も出来ないような多くの人々が味わってきただろうこの仏の世界に今回運命が巡り巡って僕がいるという事実を感動をもって認識したのでした。
この本尊薬師如来の周りを取り囲むように立っているいずれも身長160cmほどの12体の怒れる神さまたち・・・これらの神々を<十二神将>と呼びます・・・の中でもひときわその憤怒の様相が目立つ有名な像<伐折羅大将(ばさらたいしょう)>こそが今回僕が対面を念願していた神さまだったのです。
本尊を警護する神さまの中で正面近くに立っておられる<伐折羅大将>を初めて見た時、その憤怒のすさまじい形相に僕は数秒たじろぎました。時間が止まったような感覚!
<あなたは僕の何を、どこを、怒っておられるのですか?>・・・。
奈良・新薬師寺 十二神将 伐折羅大将像
訪れる人もまばらな夏の日の午後、僕はこの憤怒のシャワーを数分間そっと浴びたのです。
本堂内陣のようす(実際はかなり暗い)
伐折羅大将像
これが僕にとって(修学旅行以外で初めての)奈良の旅のスタートでした。
古都奈良には第一級の仏教美術や寺院がたくさんありますね。若き日の僕の最初の一人旅はここでした。しかも一番最初に行くお寺は<新薬師寺>、一番最初に対面したい仏像は<伐折羅大将像>と決めていたので、その念願がみごとにかなった瞬間でした。
・・・・・・・
奈良市高畑に1200年以上の歴史を持つ<新薬師寺>。「新しい薬師寺」という意味ではなく「霊験新たかな薬師の寺」と言う意味のこのお寺は天平時代に建立された当時は大寺院でしたが幾多の戦争や災難で今では辺りの住宅地にひっそりと溶け込んでいる感じでたたずんでいます。近くには旧志賀直哉邸などもあり、崩れかけた土塀が多く見られる、あの東大寺大仏殿から徒歩20分くらいの静かな町の中にあるお寺です。
その初めての一人旅以来、大学生となってからも年に2度は(夏休み2週間、春休み10日間ほど)奈良(和歌山を含む)や京都(兵庫を含む)へ仏像行脚の旅を毎年しました。
特に奈良では高3の時の旅がご縁でこの新薬師寺さんと親しくさせていただいていたので、奈良の旅の時はここの宿坊に泊まらせてもらうという実にラッキーな関係を結べて滞在費用なども安く済ませられました。学生の身としては大いにありがたかったです。
新薬師寺本堂(国宝建築)
昔の話が長くなりましたが、こんな縁もあってここの仏像にはとりわけ興味が尽きないでいましたら、数年前にその<伐折羅大将像>の天平時代の色彩をCGで再現、というプロジェクトがあったのを最近知ったのでそれをこのブログに書いておこうと思ったのでした。
新薬師寺の十二神将(薬師如来を護衛する神)・・・なかでも伐折羅(バサラ)大将像は500円切手でも有名(トップの写真)(↓参考)・・・は天平文化最高の宝として実に1250年以上も前からここに立ち尽くしている塑像(土で出来た像)なんです。
「伐折羅像」は十二神将像の中でも傑出した秀作で像の前に立つと、その激しい威嚇に圧倒されて一瞬たじろがれること間違いなしです。
頭は冑(かぶと)を着用せず、「怒髪(どはつ)天を突く」がごとくで、口をかっと大きく開けて咆哮し、五指を広げるのではなく左手の中指と薬指のみの間を大きく広げて仏敵を威嚇しています。
他の像は布製の腰紐であるのに伐折羅大将像は豪華な石帯(バンド)を着用しています。
太平洋戦争後、新しい日本銀行券(お札)が発行されるに際し当時、我が国を占領していた「GHQ(連合国最高司令部)」は新様式の通貨の製造、発行に対しては事前承認を要求しました。
発行予定の新しい通貨のうち「十円券」の肖像にこの伐折羅大将像のデザインを提案すると、「伐折羅大将の形相は戦争に敗れた日本国民の憤怒を表している」と、すなわち「連合国」に対する日本国民の怒りを表しているということで却下されました。
異国の人間が憤怒の表情を恐ろしいとたじろぐくらい見事な憤怒表現であるということです。
伐折羅大将像 伐折羅大将像C G彩色
この像と他の11神はいずれも長い年月の間に、極彩色と伝えられたその華麗な色をすっかり落としてしまい今があります。白っぽい土の色とごくわずかに残った彩色の残骸。
これはこれで十分に見ごたえがあるのですが、近年この伐折羅大将像にC G(コンピュータ・グラフィックス)とレーザー計測によって当時の色彩を再現(あくまで想像上の)する試みがあったのです。
コンピュータ・テクノロジーを最大限に使ったこの試みの詳細を記した本も3年程前出版され、僕はその本の中の極彩色の伐折羅大将を新鮮な感動をもって見ました。
「バザラにホレた!」(発行:キャドセンター)
もちろん実物に彩色するわけではありませんが、いにしえの人々がこのような極彩色をまとった憤怒の像に恐れをなしたことは想像に難くありません。
ただしこれら今回のC G彩色は興味を多分にそそられるものの、実際は今のお姿のほうが年月の重みを感じて、言うに及ばず最高であると思っています。
またいつか伐折羅大将に再会できる日を楽しみにして・・・今回はこれで終わります。
(参考までに)
ちょっと調べましたら、今発行されている通常郵便切手は1円の前島密から1000円の松鷹図まで22種類、慶弔用が5種類、人物は前島密のみ、あとは花と鳥なんです。例外が200円の埴輪と500円のバサラ大将です。
時とともに色が風化したんでしょうが、1200年もの間、拝観する人の厄を落とすごとに少しずつ色が抜けていったのかなぁ、と思ったりします。
HPをみてきました。写真だけでも感じる威圧感、実物を目の前にしたら凄まじいんでしょうね。
こういう美術品をみると、この世には不変で絶対的な物って存在するんだな、とハッとします。
それを同じ人間が作り出したことに人間の神秘性を感じてしまいます。
勉強になる、と言ってもらえるのはとても嬉しいです。
何にでも一応興味を持つ・・・そしてそれが自分に合わないものだったら切り捨てて、別の物にのり返る。 その連続でした。
ひとつの事に命をかける、一生それにまい進する、という性格じゃないもんで、僕の人生もあっちへ行ったりこっちへ来たりと定まりません。
こういう男を亭主に持った女性は不幸せだと、妻の寝顔を見ていつもそう思います。
この像はいわいる<塑像>と言って、芯になる木組みの上から荒縄などを巻き、ドロ(粘土?)が付きやすいようにした上で、二重三重に性質の異なった土で塗り固めて作ります。
したがって他の木造やハリコのような乾漆像と違い、壊れやすさでは一番です。像が倒れたりしたら割れますね、きっと。
だからレーザー計測で像の細かなディテールを数値化して、後年の修理や修復、レプリカ製作に役立てようとの試みなのです。<国宝のデータ化>ですね。
しかし一口に1200年といっても、よくぞ今まで生き延びてこられました、と畏怖の念をおぼえます。
(12体の像のなかで1体のみ昭和6年の補作で国宝ではありません)
この像の前に立ったら、いい人間になりますっ!と思わず誓ってしまいます。
そう、おっしゃる通りの空気感。
魅了されてときめいて、なんていうか生身の人間では得られない得も言われぬ不思議な静謐な空間。
私もロックを子守歌にして育ちました。
だからでしょうか、このアナーキーな怒髪天の十二神像や不動明王様や、東大寺の金剛力士像は聖なるハードロッカーとたちと愛してやみません。
コメント、うれしかったです!
もうだいぶ以前の記事になってしまいましたが、今だってこの神様を愛しています。ハードロック命の自分にとって、あなたのロッカーとしての立場での共感に全面的に同感です。
ありがとうございます!