バンマスの独り言 (igakun-bass)

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老いた父との散歩

2008年10月27日 | 日常
秋らしく抜けるような晴天の先日、急に車に乗ってどこかに行きたいと言ってきた父。

普段は一人で家の周り数百メートルの範囲を一日5~6回散歩している父だが、この日は湿度も低く気持ちのいい天候だったこともあり、そんなことを言い出したのであろう。

それなら、とばかり車で15分ほどの所にある<東京大仏>(赤塚山乗蓮寺)へと向かった。ここは隣の区、東京都板橋区の台地が切れる場所で緑も濃く、地形も山と谷で起伏に富んだ自然のよく残っている場所なのだ。そしてそこに建つ広い寺域をもつお寺さんに、すっかり有名になった露座の阿弥陀仏(東京大仏)が鎮座している。

秋の斜めから射す柔らかな日差しが、山門へと続く百段ほどの階段に当たって、増え始めた落ち葉とともに穏やかな空気感を醸し出している。
86歳になった父の脚力では少し辛い上り下りとなるが、片手は手すりに、もう一方は僕の腕につかまりながらゆっくりと歩いていった。

桜やケヤキなどの枯葉の乾燥した匂いが心地よく辺りに溶け込み、さらにどこからともなく線香の香りも加わって、とても落ち着いた気分になっていく。
午前11時、参拝の人も1~2人といった静かな境内にあって、見上げる巨大なブロンズの阿弥陀様はリンと鎮座し、光背の無いその背中の後ろには大きな青空が広がっていた。

仏様の前で線香を立てる父の背中は弱々しかった。

病的とまではいかないけれど、多分に認知症の気配を感じる父。
しかしこの人のかつてのバイタリティーは今の僕と比べてもすごかった。
仕事が生活の中心であったライフスタイルだったため、すでにあの世に逝った母も生前は半ば孤独に僕ら子供二人を育てたらしい。
母は35年も前に亡くなっているが、父は独身を貫いてきた。途中、再婚の話もあったようだったが、一人で自分のことをなんでもやってきた。
今はこんなにも存在感の薄い老人になってしまったが、自らの家庭は経済的にもしっかり守ってくれた。

僕ら兄妹は揃って当時文科系としては高額な学費がかかる大学にも進学できたが、今、僕自身が息子を大学に入れようという時期になった。
それなのに世の中の経済情勢、自分の現状等を見ると生きていくだけで困難な時代だと感じられてちょっと気合が必要だ。
線香の束を弱々しく握る父の後姿を見て、あらためて「育ててくれてありがとう」という感謝の気持ちが湧いてきた。

家の中では、トンチンカンなことをしたり言ったりして周囲を惑わし、トイレや部屋で思わぬ粗相をしてはヒンシュクを買いまくっている父。
時々、散歩で道に迷いパトカーで帰宅する父。
道ばたで転び、通行人に通報され救急車で大学病院に搬送され、美人のナースににやけている能天気な父。

そのどれもが僕や家族がもっている数年前までの父のイメージを粉々に破壊していく。
これは子供としては見たくない現実だ。

僕ら夫婦の2回目の新婚旅行先のニューヨークやボストンにまで<別行動をとるから>と言って付いてきた父。(結婚式直後の1回目はもちろん夫婦だけで行ったが)
ブロードウェイ・ミュージカル<CATS>の踊るネコに囲まれ、気分が悪くなって一人ホテルに帰ってしまったNYの道を知る父。
国体などで使われるガス式の<聖火トーチ>を開発した、技術的に円熟期にあった知る人ぞ知る<ガス制御のプロ>の父・・・・。

そんな人だった父が今は僕のイライラの種にも時々なっている。
もちろんこれは親族だからこその心配の裏返しでもある。
ついつい強い口調で怒ってしまうこともある。
そんな時の父は力のない微笑みでその場をやりすごす。
笑ってごまかす、といった感じだ。
怒るこちらはまさに<のれんに腕押し>状態になり、いつだってとりあえず一件落着となる。

人間は長生きすれば必ず人の世話になる。
頭が宇宙人になっても、身体が石のように動かなくなっても。
高齢化社会が急速な勢いで拡大しているこの国。

中年世代の多くの人が年老いた親の面倒を見る光景がいたるところで見られる社会になっていく。
僕も近所の人たちからそう見られている。
散歩からなかなか帰らない父を自転車で探している僕の姿。
お寺の境内を手をとって散策している僕の姿。そして父の姿。

仏様の目を通して亡き母が僕らを見ている。
頭の上でシジュウカラが鳴いている。赤い前掛けをした地蔵さんのかたわらでコスモスが風に揺れている。
その周りをチョウがヒラヒラと飛んでいる。
静かだ。

父は何も話そうとしない。すでに昔の饒舌だったころの面影はない。
時折、空を見上げてはいい天気だな、と言う。
それはいいんだが、少しは足元にも気をつけてもらいたい。
足が上がらないからちょっとの段差でもつまずくのだ。
それでも父は足元なんか見ない。空や木々の梢を見入っている。
何を考えているのだろうか。
もしかして、ボケたふりをして僕らの様子を観察しているんじゃないだろうか?

僕は父の妻にはなれない。心の中に入っていく事はままならない。
伴侶を早くに無くした老人は何を思うのか。

もしや、そんな人生の寂しさを感じさせないように天は老人の頭脳の働きを少しづつ穏やかにしてしまうのだろうか。
過去のプライドや思い出、人間関係などをフェード・アウトさせて、本人にとっては心穏やかな余生を送らせるためか。

一時間ほど境内を散策して、家に戻ってきた。
遅いお昼を食べたあと、先ほどのお寺での散歩の感想を父に聞いてみた。

「そうだったか? 言われてみると大仏さまの顔を見たような気がするね」


僕自身の気持ちをリセットし、今後の展開に備えようと心に誓った。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
うっ! (ふたりー)
2008-10-27 21:27:13
なんか今回は唄の歌詞を聞いてるような・・・・・・!
最近「泣き唄」ってぇのが流行ってるみたいだけど,泣けるかどうかは,その場面になってみないと,もしくは経験してみないと
涙(泪)は出ないやねぇ!
涙も色んな種類があると思うけど,今回は理屈抜きで訳も無く出る涙ってやつかな。
敢えて悲しい涙では無いって言っておくよ。

昔の俺はこうだったとか,過去の栄光をまくしたててる奴がリーマン社会には一杯居るけど,
周りは「今」を見てると思うけどね!

でも,やっぱり親は親。過去も今も今の自分が在るのは親のお陰。
今回の書き込みは詫び寂びより不思議と応援歌みたいな気分で読ませてもらったぜ!
返信する
いずれ (boogiehat)
2008-10-28 17:33:21
数年前に仕事で認知症の病院に行ってましたが、最初は患者さんの姿も見て驚きました。若くて50代の方もいらっしゃいましたし、自分の親の姿に重ねて見ていた気がします。

自分の親も70代。
普段離れて暮らしているので、たまに帰ると老いを感じます。
週末帰ろうかな。
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ありがとう (igakun@発行人)
2008-10-31 13:23:58
>ふたりー さま

基本的には「親への感謝」の一言なんだけど、なんか違う人格になっていっちゃうと、とまどいばかりが残るんだよね。

日本もあと十年すると5人に一人が65歳以上の高齢者になるとか?
すごい時代が待っているね。
返信する
ごぶさた! (igakun@発行人)
2008-10-31 13:30:01
>boogiehat さま

元気でしたか?

親がいつまでも元気なのはいいことだけど、老いは時として残酷だ。
社会がそれをケアし、生きがいのある老後がおくれるような国にこの国はなってほしいね。


11月23日のライブでぜひ会いたいね!
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