IDE Lab.

北海道大学大学院教育学研究科井出研究室(福祉臨床心理)のブログです。

東北を訪ねて

2017-08-25 18:33:13 | 被災者,被害者支援
静岡県臨床心理士会の仕事で、福島県の帰還困難地域を訪ねてきました。これは静岡県臨床心理士会が受託している福島県からの県外避難者支援の活動の一貫として、徐々に帰還が進められている現地の状況を理解するために組まれたスタディツアーでした。その後,知り合いがスクールカウンセラーとして働く岩手県陸前高田市を訪ねて,現地の適応指導教室などを見てきました。

1日目は福島県庁を訪ね、その後、相馬のメンタルクリニックを訪ね,発災直後から地域での活動に関わってこられた臨床心理士のお話を伺いました。「心理として」というよりも,「人として」やってきたことが多かったということで,「やっと最近,心理の仕事をするようになってきたかな」というようなことをおっしゃっていました。
その後,相馬から福島第一原発の近くを海岸線と並行して走る国道6号線を南下し,いわき市に向かいました。途中,被災した直後の姿をとどめている学校の様子や帰還困難区域,遠くに第一,第二原発を見ながら走りました。

2日目は実際に帰還困難区域の中に入らせて頂き,町の様子を見せて頂きました。正直,町は荒廃していて,本当にここに人が戻ってこれるのだろうか,と思いました。それでも一方で,地域を通り抜ける線路は復旧が進んでいたり,規制が解除されたところには大きなショッピングセンターができていたり,コンパクトタウンと言われるこれまでの集落よりも小さな,狭い場所に家を集めた街づくりが進められたりしているのを見ると,長い時間をかけても復旧,復興していくんだなぁと思いました。ただ,避難されている方たちのことを思うと,複雑な,いろいろな気持ちが湧いてきました。








3,4日目は震災後,沿岸支援の拠点となった遠野を通り,陸前高田に向かいました。震災1年後にがれきの片付けをお手伝いするために大船渡に向かう途中で通り抜けた場所です。町の中はひっきりなしにダンプが通り,土を運んでいました。津波で浸水した場所をかさ上げして,新しい街を作るためです。高台には仮設住宅や復興団地が作られたり,作業員の方たちの宿舎があったり,人の暮らしを感じました。レストランや居酒屋さんも営業していて,おいしい海産物を頂きました(ホタテは絶品でした)。





また,岩手大学と立教大学が設立しているGlobal Campusも見学してきました。ここを拠点にしていろいろな研究が行われているのですね。帰りは,陸前高田から少し南下して,宮城県気仙沼から電車に乗って一ノ関に向かい,新幹線で帰りました。以前,沿岸を走っていた線路はBRTというバスを使った路線に代わっていました。





東北3県を回ってみて感じたことは,やはり,福島の沿岸は全く別の場所だなということです。程度の差はあっても宮城や岩手の沿岸地域は復興に向かうエネルギーを感じました。しかし,福島の帰還困難区域に近づくにつれ,震災直後のままの町が残され,時が止まったかのようでした。そして,汚染された土を詰めた袋が至る所に留め置かれていました。
帰りたいけれど,帰れない。帰りたくないけど,帰らなくてはいけない。
いろんな思いがあるように感じました。

そしてもう1つ。東北の沿岸地域は結構,辺鄙だということ。東北新幹線や東北道は東北の中心を貫いているので,そこから沿岸までは2時間近くかかります。静岡にも震災がやってくると言われていますが,一言で「静岡」と考えるのではなく,もう少し小さな地域に分けて対策を考えておかなければならないのかなと思いました。


災害後の子どものケアについて ~無理に表現させないで2~

2016-05-23 08:29:36 | 被災者,被害者支援
災害後のケアについて,兵庫県こころのケアセンターの加藤寛先生のコメントが熊日(熊本日日新聞社)に掲載されていました。




子どもの「心のケア」の主なポイントは

・「夜眠れない」といった反応は当たり前で「異常な状況に対する正常な反応」と考えて
・生活を再建し,環境を安定させるのが何よりのサポート
・地震の時のことを無理に聞き出すことは傷口を広げるだけ。絶対にやめて

です。

「聞くな!」といってるんじゃないんです。まずは安心安全を。
そして、子どもが自ら表現してくれるようになったらその表現を手伝い、しっかりと聴いてあげてください。
けして、無理に話させたり、思い出させようとしないように。無理に思い出させたり、話させたりしてしまうと、後々、その事を思い出したり、話したりするのが余計に辛くなってしまうことが出てきてしまうかもしれません。


詳しくは兵庫県こころのケアセンターのHP(http://www.j-hits.org/child/index.html)を参照してください。

また,熊本県臨床心理士会のHPにはいろいろな学会,団体が示しているガイドラインがまとめられています。
熊本県臨床心理士会


静岡大学 井出智博研究室
http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~etide/index.html

災害後の子どものケアについて ~無理に表現させないで~

2016-05-15 20:50:38 | 被災者,被害者支援
テレビやフェイスブックで震災後の子どものこころのケアについて,これはどうなんだろう?と思わざるを得ないケアをしたり,知識を流布している方がいるので,最低限気を付けてほしいことを書いておきます。少し長いですが…

震災のような強い恐怖を体験するようなことがあると,自分の身を守るように,脳と体が緊急事態対応の状態になります。
次に危険が迫ってきてもすぐに対応できるように心身を興奮状態にして身構えた状態にして置いたり,危機が及ぶような場所を回避しようとしたりするような状態です。この緊急事態対応の状態は,当たり前の生活の中で起きてしまうと「異常」と言われる状態ですが,地震のような異常な状況では「正常」な反応です(異常な事態における正常な反応)。

ところが,この状態が長く続くと,心身ともに疲弊し,元の状態を回復することが難しくなってしまいます。
そこで,私たち大人はつらかったり大変だった状況を人に話をすることで少しずつ回復を図ります。でも,その相手は誰でもいいというわけではなく,その人にとって信頼する人,安心を与えてくれる人,この人だったらちゃんと聞いてくれるなぁと思う人である必要があります。
安心安全な関係を築ける相手に対して話をすること,そのことを通して本当に自分の生活が安心安全を回復してきたなという感覚を得ることによって,少しずつ緊急事態対応の状態が日常の状態へと戻っていきます。

これは子どもでも同じですが,子どもの場合には言葉で表現することが苦手です。
なので,遊びや絵をかいたりすることを通して,そうした作業が行われます。マスコミなどで取り上げられていて「どうなのだろう?」と首をかしげたくなるのは,子どもが十分に安心安全を感じていないのに,無理に思い出させたり,表現させようとしたりするアプローチをしている人たちの取り組みです。
ひどいものでは被災した家に連れて行き,無理にその時のことを思い出させようとするものがありました。そして,「この子はいい記憶の思い出し方をしました」と解説しています。「いい記憶の思い出し方」とは…?


10年ほど前,福岡西方沖地震という地震を経験しました。
震度6弱の地震でしたが,とても大きな揺れでした。玄海島という博多湾に浮かぶ島では局地的に震度7の揺れがあったのではないかと言われている地震です。
その時,私はある施設にセラピストとして勤めていました。地震の翌日,施設に向かい,子どもたちと会いました。中学生,高校生の子どもたちは私を見つけると口々に「昨日,地震の時こうだったよ」「むっちゃ怖かった」と話をしてくれました。彼らの話を一通り聞いた後,就学前の子どもたちが生活するスペースに向かいました。
子どもたちはプレイルームで遊んでいましたが,私を見つけると,私に床の上にあぐらをかいて座るように要求しました。私が床の上に座ると子どもは私の膝の上に立ち,「ガタガタして」とせがみます。私が膝をガタガタすると,膝の上の子どもは「地震だ~」と歯を食いしばり,本当に怖いといった表情をしていました。すぐに膝の上を飛び降りたその子は,部屋の隅で子どもたちが遊ぶ様子を見ていた保育士さんのところに走っていきました。保育士さんは彼らにとっての親代わりのおとなです。保育士さんは走ってきた子どもを抱き上げ,「怖かったね」となだめています。子どもも「うん。怖かった」と言っています。しばらくするとその子は保育士さんのところを離れ,再び私のところにやってきました。「して!」ともう一度ガタガタをしてほしいと言います。私が膝の上に乗せ,先ほどと同じことをすると,やはり同じように「怖い~」と言いながら膝の上で揺れています。そして,やはり同じように膝を降りると保育士さんのところに行き,なだめてもらっています。その子は4回ほどその過程を繰り返しました。「地震遊び」と言われる遊びです。被災後,そうした遊びをすることは本で読んで知っていましたが,直接体験したのはその時が初めてでした。ただ,その子の姿を見ていて気付いたことがあります。それは子どもの表情の変化です。最初に私の膝の上で揺られていたその子は,本当に怖そうな表情をしていました。しかし,3回,4回と繰り返しているその子の表情を見ると「怖い~」と言いながらも,膝の上で笑っていたのです。4回目に膝の上で揺られたその子は,保育士さんのところに行ったあと,私のところには戻ってこずに別の遊びに向かっていきました。他の子どもたちも同じように私の膝の上で遊ぶことをせがみました。

このとき私が感じたのは,膝の上にのせてガタガタするのは私でなければいけなかったのだなということと,その場所に彼らと一緒に暮らしている保育士さんが一緒にいてくれなければいけなかったのだなということでした。おそらくそのどちらかがかけていても,そうした遊びは起こらなかったと思います。

私たちは地震があるとテレビをつけ,震源や震度を確認します。そして,その情報をもとにしてどれくらい不安になったらいいのかを評価します。ところが,子どもたちにとってそうした情報はよく理解できません。子どもたちに理解できるのは,大きな揺れが来て,物が壊れて,大人も怖がっていて,自分もとっても怖かったということだけです。つまり意味の分からないとてつもない恐怖を体験するのです。私の膝の上で地震遊びをした子どもたちは,遊びなれたプレイルームで,いつも一緒に過ごす保育士さんがいてくれて,いつも体を使って遊んでくれるセラピストである私がいるという安心安全な状況を確認したうえで,その得体のしれない恐怖をもう一度だけ再現してみようとうするとてつもなく大きな挑戦に足を踏み出したのです。
膝の上で揺られると確かに怖い。怖いけれど,保育士さんのところに行くと,その怖かった気持ちが何となく収まっていく。
「あれ?大丈夫かな?」
もう一度子どもは私の膝の上で揺られます。
「やっぱり怖い」
でも保育士さんのところに行くと収まります。こうしたことを繰り返しながら,子どもたちにとってとてつもない,得体のしれない恐怖だった体験が,よくわからないけれど,まぁ,乗り越えられる体験に変化していくのだと思います。

このプロセスは,決して誰かに急かされて起きるものではありません。
子ども自身が納得して起きてくるものです。
大人にできることは,子どもたちが安心を感じ,安全に過ごすことができる環境,関係を準備してあげることです。
機が熟せば子どもたちは自然と自分の中にある不安を表現してくれるようになります。
そして,子どもなりに,子どもがした得体のしれない体験を心の中に収めることできる形にして,持っておくことができるようにしていくのです。

被災後,被災した時の体験を,いつ,だれが,どのように,どの程度表現させることがいいのかということについては,1つの明確な「これが良い」という指針があるわけではありません。なので,専門家のいうことにも,この部分はブレがあるかもしれません。
ただ,無理に思い出させたり,表現させたりすることは良い結果につながらないということは示されています。また,子どもにとって安心できる環境,関係でなければ,そうした表現を引き出すことはしないほうがいいということも同様です。

たくさんの情報があふれる中,どれが正しいかを判断することはとても難しいと思います。
ただ,第一に考える必要があるのは,子どもが安心,安全を感じられる日常が回復されることです。余震が続く中,心だけを日常に戻すことは子どもだけではなく,大人にとっても良くないことです。傷つき,不安を感じている時は,身を固くして,自分を守ることも大切なことなのです。

ご心配をおかけした皆様へ

2016-05-06 09:37:18 | 被災者,被害者支援
1か月前に前震があって心身ともに休まらない時間を過ごしました。
GWの10日間は家族のこともあって熊本で過ごしていました。
まだ余震はありましたが,それでも少しずつ日常を取り戻しつつあるように感じます。
でも,まだまだ避難生活が続き,日常を取り戻せていない方々もいらっしゃると思います。

この期間に感じたこと,考えたことはたくさんありますが,まずは私や私の家族,熊本のこと,大分のことをご心配くださった皆様にお礼をお伝えしたいなと思います。
ありがとうございます。

大学の同僚からは心配してメールをいただいたり,差し入れをいただいたりしました。熊本の出身だということを覚えていてくださったこともとてもありがたいなと思いました。
授業の中でも学生たちに震災のことについて話をしました。教育相談や臨床心理学の授業なので,心のケアという面では学生たちにも是非学んでおいてもらいたいと思う内容です。ただ,それだけではなく,私自身が語ることで自分の体験を聞いてもらったり,整理することに付き合ってもらっていたなぁとも思います。

1か月前の前震,本震の時は,静岡大学ではなく,別の大学で集中講義をしていました。
その授業を受けていた学生さんたちにも震災後の心理や心理的なケアについてお話をしました。彼女たちは看護科で養護教諭を目指す学生たちでしたので,看護師として,養護教諭として話を聞いてくれていたと思います。集中講義を終え,私が熊本に行くということを話していたので,学生たちは「熊本に持って行って必要な人に渡してください」と差し入れをくれました。衛生を保つための物資で,看護師の卵らしい支援物資だなぁと思いました。もう,集中講義は終わってしまったので,その後の報告を直接することはできません。なので,ここでご報告しておきます。

皆さんが渡してくれた物資は避難所ではなく,避難はしていないけれど,被災して家で暮らしていた方が喜んで受け取ってくださいました。避難所には比較的,物がありましたが,そうした被災して家で過ごしていた方たちにはまだいきわたっていないところがありました。
ありがとうございました。

被災した後の支援は,本当に時間とともにニースが変わっていくのだなあということを知りました。
時間ができたらぜひ,熊本に足を運んでもらえたらいいなと思います。
良い看護師,教師になってくださいね。




被災後の心理的ケアについて(『支援者のための災害後のこころのケアハンドブック』)

2016-04-15 08:27:03 | 被災者,被害者支援
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熊本県で震度7の地震が起きました。
生まれ育った土地ですし,家族も友達もたくさん暮らしています。

特に被害が大きく,報道されている益城町惣領,馬水といった地域は大学院を修了した後,熊本で働いていた時に住んでいた場所だったり,今は亡き祖父母が住んでいた家があった場所でもあります。勤めていた情短施設も益城町にあります。
まさか自分が暮らしていたところでこんな災害が起きるとは思っていなかったし,自分が通った学校が避難所になるなんて思ってもいませんでした。
災害というのはこういう形で不意にやってくるんだなということを思い知らされる出来事です。

亡くなられた方,負傷された方,不安な時間を過ごしておられる方にはお見舞いを申し上げます。


昨夜,テレビで緊急地震速報の音が流れたとき,まず頭の中によぎったのは「いよいよ来たか」ということでした。東南海大地震が来たと思ったのです。ところがテレビを見ると「静岡」ではなく,「熊本」と出ているのを見て驚きました。すぐに実家の両親に電話し,無事を確認しました(地震直後は電話がつながるのですね。その後,つながらなくなりました)。母親は,不安な声で「逆になったね」と言っていました。

ご存知のように静岡は東南海地震が来る,と言われ続けている場所です。静岡大学に赴任した際,何もない部屋に防災ヘルメットがポツンと置いてあるのを見て,大変なところに来たなぁと思いました。
そういう土地柄,静岡大学でも,静岡県の臨床心理士会でも地震防災,被災時の対応についてはいろいろな取り組みが行われています。防災の情報はいずれ報告するとして,今,必要なのは被災後のことだと思うので,紹介をしておきたいと思います。

静岡大学防災総合センターは静岡県臨床心理士会と協働で『支援者のための災害後のこころのケアハンドブック』を作成しています(同僚である教育学部・防災総合センターの小林朋子先生が監修されています)。被災した後,子どもたちにどのような心理的な反応が見られるのか,それに対してどのように関わればよいのかということについて,簡潔に,絵を交えて説明してあります。臨床心理士や学校の先生,保育園の先生,保護者の方など,学校や家庭で子どもたちに関わる機会がある方はぜひ,ご一読ください。読んでいただくことは,子どものためだけではなく,ご自身の不安を軽減したり,自分に起きていることを理解することにも役に立ちます。また,身近な方にもぜひ,ご紹介ください。

PDF版が静岡大学防災総合センターのホームページからダウンロードできます。
ダウンロードはこちら



静岡大学教育学部
准教授 井出智博(臨床心理学)
http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~etide/