大國魂神社は古くからの由緒あるやしろとあって、けやきの巨木がたくさん繁っている。入口の道路際にも巨樹が対を成しており、人工の鳥居を凌ぐばかりの自然の鳥居といった存在感を示している。
一方、少し内側には寄る年波には逆らえず、年季が入りすぎてうろが来た欅もあって、愛嬌がある。
うろが来て
老いの極まる
あれとなれ
ともに清しく
余生語らむ
大國魂神社は古くからの由緒あるやしろとあって、けやきの巨木がたくさん繁っている。入口の道路際にも巨樹が対を成しており、人工の鳥居を凌ぐばかりの自然の鳥居といった存在感を示している。
一方、少し内側には寄る年波には逆らえず、年季が入りすぎてうろが来た欅もあって、愛嬌がある。
うろが来て
老いの極まる
あれとなれ
ともに清しく
余生語らむ
旅の安全祈願は今年は大河ドラマが家康なので武蔵国で行った。
一ノ宮の小野神社か総社の大國魂神社か迷ったが、両方参った。
大國魂とはいかめしく屈強な名前だが、それに相応しく徳川家康が江戸入城に際し御前相撲が1590年8月1日に催された。それが八朔相撲として今に伝わり、立派な土俵がある。
照ノ富士の横綱土俵入りは明治神宮と伊勢神宮に奉納されたが、今年は家康が大河ドラマのテーマなので、新大関が誕生すれば大國魂神社で土俵入りをお披露目すれば、すぐ陥落するような恐れのない力士魂が注入され、天下を取る横綱に成長するのではないかと想像されるが、「どうする?協会」。
食ふための
闘ひに暮れ
土俵際
打っ遣り打って
取り直したし
5年前に突然発症した変形性膝関節症が再発しだしたので、これはもう旅命あと1年だなと自己診断した。何処にも出歩けず一生を終えるのは、ロシアのラーゲリかシベリア流刑並みに酷いので、路銀の用意もなく何はさて置き、陋屋を後にした。
枷を引き
老いさらぼへし
この命
解き放たれて
神のまにまに
千葉県木更津市にある伝説の證誠寺を訪ねた。
むかし、寺の和尚さんが夜中に外が騒がしいので、そっと節穴から覗いてみると、狸が数十匹輪になって腹鼓をポンポコ叩きながら楽しそうに踊っていた。愉快なので自分も加わって毎晩踊り続けた。ところが暫くして狸達が来なくなった。不思議に思っていると、ある日藪の中で狸が腹が割れて死んでいるのが見つかった。可哀想に思った和尚さんは、狸塚を造って葬ってやったという話である。
それを野口雨情が童謡『證誠寺の狸囃子』として作詞し、中山晋平が曲を付けた。本当の歌詞は知らないけれど、学生時代に寮の先輩から替え歌を教えてもらった。
処ッ、処ッ、処女じゃない、処女じゃない証拠には、つ、つ、月の物まだ出てこない。彼女のお腹はポンポコポンのポーンポン。純真な童謡らしさが影を潜めた下品な宴会歌であった。ChatGPTではないが、本物と偽物の違いをよく見極めよという先輩の教えだったかもしれない。
平家維盛の嫡男六代丸の末裔として生まれ、その容姿から光源氏の生まれ代わりと陰で揶揄された自分も、須磨、明石ではないけれど、あちこち転勤人生を卒業した末の旅先で丹後一宮の籠神社(このじんじゃ)に着いた。浦島太郎ゆかりの地で気付いたことは、すっかりよぼよぼの老人に成り果てていたことであった。
ここまで渡り歩いても、竜宮城にも乙姫様にも遭遇できなかった。付いてなかったと諦めるしかないのか。密教の初歩入門書には、輪廻の空しさを知り、正見、正語、正念など八正道を励行することによって解脱を図れと書いてある。昔も今も裏をかく輩が居て、なかなか自分の思惑通りには行きそうにないけれど、解脱とまではいかなくても、好き気ままにに脱落くらいはできるだろうと、気を取り直すことにした。
我詠ふ
ゆえに我あり
ツイッターに
むかしをとこを
甦らせて