こまちゃん

爺婆ふたり生活の日記

多発性骨髄腫

2010年02月23日 | 親の介護録
母が多発性骨髄腫と診断されたのは7~8年前 70代後半の頃です
この頃、「末期に近く余命数カ月」と言われました

最初の1年ほどは入院や通院で抗がん剤を使いましたが、副作用も少なく検査結果は非常によくなりましたが、関係あるか分からないが、軽い認知症になってきた

3年程治療しましたが、その後は検査のみで経過観察の時期が2年ほど過ぎた頃
突然、倒れたり、意識をなくして救急車で病院へ行くことが度々あり
数度目に心不全で入院した折
「次にこういう状態になったら命の保証はありません。そう遅くない時期になるでしょう」と言われた

「母は心臓の病気で亡くなるのなら、嫌がっている血液検査を続けるのはかわいそう」
と思い、多発性骨髄腫の経過観察をやめることにした

それから、数年、認知症は進んで行きましたが、穏やかな時間が過ぎていきました

食事がとれなくなり、歩行が困難になり、近所の医者で点滴をしていました。

急激な様態の変化があったわけではないけれども
「大きな病院で診てもらいたい」と思い
長い待ち時間を耐えられる様子ではないので、市民病院へ救急で行きました。

最初は
「入院する部屋がないのでここで、少し治療したら帰ってもらいます」と言われ
「入院できる他の病院を紹介してもらえないか」と頼んだ。

しばらくして
「ここに、入院してもらいます。多発性骨髄腫の悪化から多臓器不全(死に至る上で誰もが通る過程)になっています。状態は非常に悪く退院できることはないでしょう」と言われ、死が近いことをほのめかされた。

「2か月ほど前から肩が痛がっていました」
「同じ頃に鼻血が止まらなくなり耳鼻科で治療してもらいました」と言うと
「その頃から悪くなっていたのかも知れませんね」と言われた

この時点で呼びかけても返事もしなくなった。

多発性骨髄腫は最終的に死に至る病気で治す方法ないが、治療をすれば病気の進行を遅らせることができます。

多発性骨髄腫は一般に60歳以降に生じ、遺伝が関係していると考えられているので
私も60歳になり、健康診断を受けていこうと思っている

入院から4日経ったが、経過は驚くほど回復しているように見える

病院へ行きたいので今日はこれまで。

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