2005年06月18日
電子ペーパーディスプレイ
折り曲げたり、くるくる丸められる電子ペーパーディスプレイが実用化されるが、一旦世に出れば、ノートパソコンを非常に軽量化するための技術革新が一気に進むに違いない。また、ネットワーク化でハードディスクも会社や家庭にあるものを利用し、モバイルの中身はメモリだけになれば、キーボードなども含め、ほとんど数百グラムのノートパソコンが実現するかも知れない。
ものは小さくなればいいかというと、必ずしもそうではないわけで、例えばキーボードなどは、ノートよりもデスクトップに付属しているものの方が打ちやすい。テンキーが分かれていたり、人間の手のサイズにあった大きさなのだろう。
また、ノートパソコンの小型化や、モバイル端末の普及に比して、デスクトップのモニタサイズはどんどん大きくなっている。唯一、モバイルの重さだけは少ないに越したことはない。究極は0gだ。
軽くて、実用上有効なノートパソコンのサイズが実現されれば、日常的に持ち歩くことが可能だ。
ライブドアが山手線内でネットワーク接続のサービスを始めるらしいが、これらのサービス合体すれば、本当にどこでも仕事ができるし、ペーパーレスも一気に進む。
ソニーは電子ブックに電子ペーパーを利用するらしいが、文庫はともかく、ハードバーや専門書を持ち歩かずとも、どこでも読める。
後は電源の供給と、省エネの推進、そして慣れだ。
CDが普及してもレコードを追いかけている人たちは沢山いる。同様に、書籍の電子化がいくら進んでも、簡単に本が無くなると言うことはないだろう。しかし、それも長期的な目で見れば、ほとんど紙の本が姿を消すという時代は来るに違いない。
紙というのは非常に便利なので、紙が無くなることはないだろうが、書籍が大幅に減ることは考えられる。
携帯がどんなに発展しても、携帯で論文を書こうという風に思う人はあまりいないだろう。だが、音声入力が正確なものになれば、ヘッドフォンタイプの入力デバイスがあれば、どこでも文章は書ける。絵だけは、非常に人間の感性に依存しているので、「手」を離れて機械化されたとしても、それは図形や、資料中に挿入されるようなイラストなどに限られよう。しかし、同じ感性が必要でも、文章は文字や音を通じてその中身が伝わりさえすればいいので、どんな形でも良い。もちろん、書道などは絵の部類だが。
我々が生きているこの時代は、電子計算機という表現がある程度聴かれるようになって、100年も経っていない。その間に、情報をやりとりする手段は非常に大きな変革を遂げてきた。今やポケットに入るパソコンがある時代に、より実用的なサイズで、より軽い製品が出現しようとしている。すごいことだ。