番頭通信

アラフィフのドメスティックな時々。

いわき総合高校演劇部「ちいさなセカイ」から見えた全国大会(長文)

2015-08-06 21:05:58 | 演劇
 第61回全国高等学校演劇大会(滋賀大会、以下「全国大会」)は大分豊府『うさみくんのお姉ちゃん』(中原久典/作)が最優秀賞・創作脚本賞を受賞し、幕を閉じた。
 気の強いお姉ちゃんが、気の弱い溝呂木を立ち直らせるーー(こうなってほしい)という場内に応えた展開となり、大会を制した。
 ひこね市文化プラザは、声が場内に吸収されてしまう役者泣かせの会場だったが、大分豊府はパネルを立てることで声が散るのを防ぎ、強いセリフだけではなく弱いセリフも確実に場内に届け、機微のある表現で頭一つ抜けた感じがした。

 今回の審査基準を
「セリフが聞こえるかどうか」
「役者に光が当たっているかどうか」
という面で考えれば、緑風冠(大阪)『太鼓』、丸亀(香川)『用務員コンドウタケシ』といった優秀賞を受けた学校は基準をクリアしていた。同じく優秀賞の札幌琴似工業定時制(北海道)『北極星のみつけかた』は大分豊府と同様、パネルを立てることで舞台映えもし、あわせてセリフを届けることに成功していた(札幌琴似工業定時制は舞台美術賞も受けている)。

 さて、いわき総合高校演劇部(福島)が演じた『ちいさなセカイ』は、舞台のあちこちで同時多発的にセリフが発生し、特に幕開けから文化祭の出し物が決まるあたりまでの前半での超リアルさは、一人ずつのセリフの受け渡しに終始するという、他の舞台からリアルさを奪うほどの衝撃だった。
 舞台は
「わたしたちが思っていることを60分以内にまとめるなんてとてもムリなので、せめてその一部分だけでも覗いてほしい」
という観点で作られている。
 その間にTwitterやLINEといった画面がめまぐるしく変わる。
 他校が
「文字情報を読み上げる」
「画面をスライドで示す」
という一面的な方法。ーー多くても
「文字情報を読み上げつつスライドで示す」
という平面的な方法で済ませていたのに対し、いわき総合は
「文字情報をスライドで出し」
「見た感想を役者が次々に言い」
「タイムラインに扮した役者が同時にセリフを言う」
という、より立体的な方法で迫ってきた。
 このような舞台の場合、舞台上で起きているすべてのことを追うのはムリなので、舞台の何を見るかを観客が問われている。
 そのことに気づいた観客は聞こえるセリフを追おうと試みるが、なにせホールが広く(音飛びがして)、方言も聞き取れず、わからないと思われてしまった。


「基礎ができていないのに背伸びをするのはどうか。もっと等身大の舞台を作ってみてはどうか」
といわき総合は全体講評と言われた。
 ただし、彼女たちが伝えたかったのは
「あらすじ」
とか
「○○という話」
ではなく
「他の高校生たちと同じ悩みを持っている」
点である。

「『震災という話』を伝えたいわけではなく、『自分たちの今』の中に震災があるので、それを示すために、開幕と閉幕に富岡駅からの映像を使った」
とキャストの1人は生徒講評委員会合評会で述べている。

 もしかしたらいわき総合の舞台から
「震災のことについてもっと伝えてくるのか?」
ということを、観る側は期待していたのかもしれない。
 ところが舞台からは震災以外の要素がいっぱい出てきて、
「結局何が言いたかったの?」
と思われた方も多かったのではないか。

 ただし、開幕と閉幕に出た
「JR常磐線の富岡駅から自宅に帰ろうと車を走らせたが、自宅は原発事故のため立ち入り制限区域になっていて、戻ることができないというスライド」
の意味をどれぐらいの方がわかっていて、Chapter7に出た
「同じ立ち入り制限区域の出身なのに、どうして私に話しかけないで、出身者じゃない子に話しかけるの?」
という叫びを、どれぐらいの方が受け止められたのか。
 そのことを理解できた人には、『ちいさなセカイ』は胸を打つ物語として伝わった。

 1,400人収容のホールは、入場制限をかけなければいけないほどの盛況で、いわき総合が得意とする200人以下のホールで上演することは、どうやってもかなわなかった。
 実際全国大会での上演は、ひいき目にみても前方400人にセリフが届いていたかどうかであった。その中の200人ゾーンだけでも対象にできれば、舞台での密度は全然別のものになっていたように思える。

 上演後のいわき総合の面々はすがすがしい顔をしていた。
 ところが結果発表後、「優良賞」という評価の前に、一同は厳しい表情になっていた。(上位4校のうち、大分豊府・丸亀・札幌琴似工業定時制はいわゆる「等身大」の舞台で、緑風冠は「優れた脚本」が評価されたこと。内木文英賞の神奈川大学付属『恋文』も「等身大」の要素が強い作品であった)
 彼女たちは呆然としていた。

 ただし、舞台の密度と手間を考えれば、いわき総合の上を行った学校はない。
 もし彼女らが
「高校演劇らしくない」
という評価をされたのであれば、むしろ誇るべきことではないかと思う。
 
 休む間もなく、彼女らは次の公演に向けて走り出した。
「『ちいさなセカイ』を見せるための道筋をみせてほしい」(審査員)
という講評を、彼女らはどう考え、受け止めたのだろう。
(8月6日、広島に原爆が落とされて70年経過した朝に記す)

第61回全国高等学校演劇大会(滋賀大会)
第61回全国高等学校演劇指導者講習会
第39回全国高等学校総合文化祭(2015滋賀びわこ総文)演劇部門
2015年7月30日~8月1日 ひこね市文化プラザ

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。