番頭通信

アラフィフのドメスティックな時々。

K君の通夜。

2014-12-02 23:25:45 | 世の中
昨晩遅く、
「K君が亡くなった」
という一報を受け取り、今晩が通夜だとわかったので、急遽斎場に向かいます。まだ21歳。
祭壇にあったタバコを見て、亡くなった状況が母のそれと酷似していたことに気づきます。
「彼から缶コーヒーを取り、タバコを取り、ヘドバンを奪ったらどうだったんだろう?」
と友人のH君に聞く。
「あー、それはありえないと思います。でも凄い人でした」。

彼の同級生で実名を検索すると、K君とH君が上位を争い、しかも2人とも検索にかかることがあるという、存在感がある人物でした。
全校生徒の前で、臆することなく堂々と発表する一面を持ちつつ、
「かあちゃん、お弁当を作ってくれてありがとう」
というような作文をデレデレになっていう面もありました。
任侠的な一面も持ち合わせ、1人で学習をするのが困難なH君のところに、ずんずんと入っていって、さりげなく、当たり前に助けるという
「人間的に慕われた」(H君)
ことは確かだったのです。

K君がいた学年は、1年次の時に不慮の事故でSさん(女子)が亡くなり、2年次の3月に東日本大震災が起こり、心騒がしい3年間の高校生活でした。その時、私の病休と重なり、彼らにはものすごく不安を感じさせたのではないかと案じていたのです。
でも彼は、
「センセー、おはようございます」「センセー、きょう、何かあるんすか?」「センセー、きょうの集まり、勘弁してほしいっすよ」と素直に思いの丈を述べ、時には
「俺ら、大部分は悪いことをしてないので、集会をやめてほしいです」
ときっぱりと意見を述べることもありました。

昨日の火葬にはとても多くの人が集まり、明日の葬儀も多そう。そんな中で、無理を言って通夜に参列し、別れを告げてきました。
高校時代よりも若干ふくよかに、穏やかな顔になって、多くの友人といろんなことをして行って、まだまだ人生これからと言うときに、何を驚かしているのだろうと。

彼は、人の中心にいなきゃいけない人物なのでしょう。そして回りに人がいないとさびしくてしょうがなかったのでしょう。
K君。君は、彼女を幸せにしてあげなきゃだめだ。彼女に思い出話をさせちゃだめだ。これからあんなこととか、こんなこととか、1日中、1年中話し続けて、自分の存在で回りから人を集めなきゃだめなのに、何を生き急いでしまったのだろう。
私がK君のところにつかつかと寄ることを、とても喜んでくれたみたいだけど、やんちゃをやめる前に人生が止まってしまった。

おかげでわれわれは
「身体に気をつけて」「じゃ、まず」「まず」というようなありきたりの会話に成り下がってしまった。
両親の自慢の息子が、自慢の兄さんが、自慢の彼氏が、どうしていきなり地上での生涯を終えなきゃいけないんだ。

せめて、結婚式をやってくれなきゃ、誰があの学年を盛り上げるんだい。

お別れにあたり、病休明けの私を支えたのは君らの学年だったと言うことを伝え、地震というアクシデントのおかげで高校生活を見届けることができたのは望外の喜びだったということも伝えます。
明日、葬儀に参列できなくて申し訳ない。でも、みんながK君のために集結すると思うので、ガツンと一言かましてくださいな。そして、みんなにエールを送ってほしい。

K君、またどこかで。

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