番頭通信

アラフィフのドメスティックな時々。

目覚めよ。

2009-08-28 18:33:41 | 演劇
もしかすると、隣人はいつまでも近くにいて、当たり前だと錯覚するのかもしれない。
もしかすると、隣人はいつでも忠告してくれて、そのことが無知・無学さに気づけない原因かもしれない。
当事者は気づいてほしい。次の段階に進むものは、五感を研ぎ澄まして、必要な用件を満たすべく努力するものなのだと。
3年生と番頭は手分けして各校の文化祭を回る。下級生はどうだ?

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