真空管とパソコンとカテキョと

シニア世代となって気持ちもあらたに綴ります。

大正15年のラヂオ広告

2010-12-28 10:24:55 | 真空管ラジオの製作
大正15年(昭和元年)1926年のラヂオ広告を入手しました。

今から84年前のラヂオ。
このころは、ラジオではなく、ラヂオの表記です。



一つは、携帯型ラヂオ。

「斯界の寵児 エメスコ 携帯受信機」

・・・・ラヂオで一番不便を感ずるものは、アンテナ、アースを取り付けることと、
それに拘束されて受信機の位置を変えることの面倒さであります。
エメスコポータブルセットは、高さ9寸5分、長さ9寸8分、幅6寸という小型の中に、ラウドスピーカー、真空管、A,B、電池等きちんと入って、しかも目方わずかに1貫目足らずであります。ループは4つ折りにして美しい革製のサックに納めて小さな手提げになっております。この小さなループで大阪、名古屋が明瞭に受信できるという名実ともに具備せる携帯用受信が一式揃って金百八十円であります。旅行に、郊外散策に、ことに病院見舞などには、最も好適なものと存じます。


「斯界の寵児」この読み方と意味が分かりませんでした。
「しかいのちょうじ」。
斯界の意味は、・・・この社会。この方面。この専門の筋。
寵児の意味は、・・・・世間にもてはやされる人気者。
なるほどねぇ。

1貫目足らずとありますから、1貫目が3.75kgなので女性でも持ち歩けるということでしょうか。重いかな。
AB電池を用意しなくてはいけないし、180円というのも高級品で、おいおそれと
平民が買える品物では無かったことでしょう。
病院見舞というところが、どういう状況設定なのか想像できませんです。




もう一つは、卓上ラヂオ、ラッパ型スピーカー。

「大阪/米国ラジオ商会のアメリカン2球式と3球式、肉声スピーカーコメット」

2球式は48円。3球式は75円、肉声スピーカーコメットは、55円。
メーカー名がないのは、なぜでしょうか。
ラヂオ本体に比べて、スピーカーがかなり高いのですね。

このころのラヂオは、受信調整が難しいようです。



大正15年(昭和元年)。
東京、大阪、名古屋の3放送局があったそうです。
間もなくしてこの3局が統一して日本放送協会(NHK)になったとのこと。

当時はどんな番組が流れていたのでしょう。
天皇崩御の放送も流れたのでしょう。

広告を眺めながら、日本のラヂオ創生期にタイムスリップしています。