horitaakioのgooブログ

88歳の老人ですけれど、天寿の続く限り頑張って見たいと思います

3.20(木) 晴

2003-03-21 02:49:00 | 日記
今日は小学校の卒業式で三年生以下の児童は登校後掃除などだけで式には参列せず下校、十時過ぎには孫から電話が入って「あと暫くしたら出て来るよ」。
明日から三連休、そして月曜日が終業式で春休みにはいることになる。この解放感は昔々の小学生だった老生にして未だ記憶に残る程のものであるから、彼がうきうきしてるのも良くわかる。

十一時頃には娘と孫が到着、彼は早速PS‐2(Final Fantasy X‐2)にとりかかり、娘は父親(つまり私)を乗せて皮膚科医院(老人性皮膚炎、だいぶ痒みも治まっては来たが)へ往復した後、また引き返して行った。

そして五時過ぎに下の子(保育園年長組、四月から小学生)を連れて再びやって来て、六時頃会社へ亭主を迎えに行って乗せてきた。それだけではない。その間にプレステのコントローラーが故障、新しいのを買いに母親と下の子を乗せて店まで往復もした。

これだけ列挙すれば、自動車という乗物がいかに便利なものか分るが運転する方は大変だ。便利ついでに文字通り自分で動く車(人が操縦しないで)だといいな。

というようなわけで今夜は我が家の人口が三倍になった。今は寝静まってジイサマ一人がPCに向かっているが、夜遅くまでわいわいガヤガヤしていた。


3.19(水) 晴

2003-03-19 19:32:00 | 日記
さすがに彼岸の入りともなれば、一段と春めいてくる。風はまだ少し冷たいが。

先般からCAFEの足跡ページのシステムがかなり変えられた。連続して同じ時間にペタペタ
足跡だけ残すという外道的弊害は防がれて結構なのだが、以前の足跡が消されてしまったのは残念。Logの機能が失われ、一言メッセージに込めたお便りとしての色合いが尊重されてない。

かわりに訪問先のページでメッセージを記入する新手は登場したけれど、これとて次のメッセージを送ったら消えてしまう。掲示板をつけてない人への伝言として使ってたのに。これもひょっとして足跡ページでは邪道だったのかな。

多分今度の改定はアクセスランキングの過熱を防ぐ方策だったのだろう。だったらランキングそのものを止めたって良かったわけだ。現に足跡ページを非公開にしている人もかなりいるみたい。それほどの被害があったのか。アクセス数そのものは尊重に値する筈なのに。

と、ここまで考えたらアマノジャクが頭もたげてきた。ならば一丁アクセスランキングに挑戦してみてやろうじゃないかと。特定の方だけにでも見てもらえればそれで良いというのが今までの僕の考え方だったが、もっと幅広くおのれのIDを流せば来ていただける方も増えるわけだし、結果としてランキングに名前が出るかどうか試してみようというわけ。

一週間分の統計だから思い立ってから数日はモチロン名前は出ない。一日のアクセス数が自分のページに棒グラフで表示されるが、ランキングはその数の単純な合計ではないらしいこともわかった。その数が一日200代に達して7本並んだら、出ました名前が。実は一昨日のことなのだが、50人中の45番目に、そして昨日はさらに10番くらい上になった。表示されてるアクセス数は1037、どういう計算がされてるのかはさっぱりわからぬ。念のため今現在の数字を見て来たら1131、33番目くらい(目がチラチラして勘定は当てにならぬ)にあった。 

Cafeじゅうをグルグル回りながら、多様なページの姿と内容に接してこれは勉強になった。プロフィール一つとっても懇切丁寧なのからIDだけという素っ気無いものまでさまざま、内容も時には思わず一時停車して読み耽るのにも出会ったし、決して足跡だけの数取りゲームではなかった。
そしてその間ご来訪の方々のうち十数人はリンクからHPや切り絵を見ていただいて、談話室や画像展示室に書き込んで下さった。ほかにミニメールや旧HPからのEメールまで頂戴したから、この試みは思った以上の成果があったのである。

所詮、社会のお役に立つ仕事は今や一切しない老残の隠居、こんなことをやれる時間はたっぷりあるけれど、体力と気力の衰えは如何ともしがたい。そろそろもとのペースに戻ろうかと思っている。

3,18(火) 晴

2003-03-18 16:31:00 | 日記

我が部屋は家の東端、その部屋の東側面にベッドを置いているので、朝日が庭木の間から窓ガラスに射し込んでくる。遮光性のカーテンを懸けてはいるが、日の出の時間が早くなると家で一番始めに明るくなる。季節のうつろいは寝ながらにして分るのである。

昨夜も就寝は3時ちょっと前だったが、7時には目が覚めてそのまま起きてしまった。習慣で
ファンヒーターのスイッチを入れるけれど室内温度は15℃、すぐに温まって20℃を超えた。
寒さの残る三月だったが、さすがにお彼岸ともなれば暖かくなる南国である。

部屋の南側はテラスへ出るガラス戸なので、このページでもしばしば登場する庭の山茶花や鳥たちの姿は座卓にすわって眺めている。レンギョウの黄色が目立ちはじめた。山茶花の枝葉が前面に威張っているので、こちらからはその隙間から見えるわけだが、満開の時期には華やかな背景色となる。

PCに疲れて庭へ下りて見た。日差しの力は冬場よりうんと強くなって、まともに当たると暑いくらいだが、北西から隣家の間を吹き抜けてくる風が今日もかなり強く、やはりまだ冷たい。

肥後椿がかなりの数咲いている。前にも書いたけれど、二種類の花が混じりあって面白い配置を見せたりする。ただこの花は盛りの期間が短くて、花びらが縁から茶色に汚れはじめてやがて寿命が尽きると大輪の花ごとポタリと落ちる。栄枯盛衰を絵に描いたような花なのである。



3.17(月) 曇

2003-03-17 17:25:00 | 日記

月曜日はやっぱり寂しい。朝から一人新聞読みながら、孫たちの甲高い声やゲームのBGMが聞こえて来ない我が部屋は深閑としている。ファンヒーターも消しているのでなおさらである。
昨日の「二回嬉しい」はやはりエピグラム(警句)特有の逆説的表現でしかないことを思い知らされた。

元同僚で僕より三つ年上のT氏が手土産に自分の庭で育てている甘夏を数個ぶら下げてのご来訪、とにかくまだまだ達者である。走ることが趣味で壮年時代から「球磨川走ろう会」などというグループを作って堤防の道路をジョギングしてた人だが、定年退職後も毎年「天草パールラインマラソン」など国内の大会のみならず、ハワイのマラソンにも欠かさず参加していて、今でも続いているという。さすがに年とって走れないけれど、コースを歩いてゴールインするのだとかで土産話がはずんだ。そのほかごく最近中国旅行にも行って来たそうで桂林とか北京とかの様子を事細かに拝聴した。そして日常生活では町内の老人会世話役やボランティア活動などなどの話、まことに以って元気そのものなのである。

一時間ばかり、こちらはもっぱら聞き役でお相手してたけれど、こんな活気あふれる生活ぶりを見せつけられると、部屋ごもりでPCにばかり向かっている我が身は肩をすぼめるばかり。

3.16(日) 雨

2003-03-16 20:44:00 | 日記

昨夜寝たのが12時過ぎていた孫、今朝は9時に起きて来て早速PS‐2の方からとりかかった。新しいゲームでかなり複雑な操作をへっちゃらでこなして、どんどんプロットを進めて行く。
さすがに難敵に勝てずに全滅したりしてはいたが、随分とキャラのレベルも上がっている。

お蔭でその間にこちらはPCが使えたのだが、あまり捗らないうちに早くも「おじいちゃん、
天上碑させて」と来る。仕方ないから「もうちょっと待って」などと無駄な抵抗の後にPCの席を譲ることになる。あとはもう彼の気の向くまま、双方を行ったり来たりで食事の時間以外に休むことがない。よくもまあくたびれぬもんだ。またそれにブレーキもかけない甘いジイサン。

2時過ぎに弟を連れて母親が出て来た。例によって二人を預けて、家内を乗せて出ていったので、昨日同様兄弟で交替の小ぜりあいなどしながら、PCとPS‐2をかわるがわる使ってのゲーム三昧。ジイサマは保護者ならぬ傍観者である。お声がかかれば返答はするが。

二時間ばかりで用は済んで、4時半頃三人は引き揚げ、あとに残るはくたびれ顔の老人二人。

「談話室」にPさんからの書き込み『孫が来ると「来て嬉しい・帰って嬉しい」2回嬉しいと言いますが・・』 たしかにそういうものなんですよね、世の祖父母様たちは。

3.15(土) 雨後曇

2003-03-15 18:02:00 | 日記

やっぱりまだ弟は兄貴に抑えられている。昨夜も主導権は兄貴であった。PS‐2である程度まで進んで弟に譲り、自分はPCでonlinegameに移るが、しばらくすると「替わって」と言ってFFX‐2 の続きをやる。とにかく新しいソフトだから先へ進めたい。
弟はしぶしぶながらも兄貴の言いなりになるほか無いのである。自動車レースをやめさせられると、お絵描きがはじまるがこれが又自動車の絵、「おじいちゃんも描いて」と紙と鉛筆を差し出す。これには閉口、何しろ概念的な自動車ではなく、ちゃんと車種のわかる乗用車でないといけない。仕方ないから彼のゲームのガイドブックの写真など見ながら、それらしく描いてみるがうまくいかぬ。彼の描きなれた線は思いきりよく生きているのだが、恐るおそる描くジイサマのそれにはまるで生気が無いのである。二枚までお付き合いしてあとは降参した。

そんなこんなで昨夜も遅くまで二人ともゲームをやってたのに、今朝は兄貴が7時半には起きて来て早速PS‐2に取りかかり、弟も8時には起きてきた。父親はもっと早く会社へ行き、昼間には母親の車で家内も買い物などに出たので、結局二人のお相手はジイサマ一人。TVとPCと交互に使って遊ぶのを、交替の調停したり相談に乗ったり、とにかく大変なのだ。

母親が人に会う用件があって4時過ぎには弟を連れて帰って行ったが、兄貴はもう一晩泊ることになり、今これを書いている横で、まだゲームの続きをやっている。

3.14(金) 晴

2003-03-14 15:41:00 | 日記

予報に反して朝から日が照っている。昔はやった小噺、いかがわしい物食べる時「天気予報、天気予報」と唱える。ココロは「当たらない」食中毒よけのおまじないなのだ。
格段に科学の進歩した現代ですら、まだ通用するみたい。ことほどさようにお天気は気まぐれなので、「お天気屋さん」などという性格表現も今なお使われるわけ。

さきほど娘から電話があった。今夜は親子四人来て泊るという。以前は週末慣例だったのだが、あちらのご両親が体の具合悪くなり、特にお父さんの方は入院などということで、ここ一ヶ月(或いはそれ以上かな)泊りこみは上の子一人だけだった 。だから娘にとっても久しぶりのお泊りとなるのである。多分子供たちと亭主が寝たあとで母親と二人だけのオシャベリが遅くまで続くことだろう。

だからジイサマにとっても夕刻までに片付けておきたい仕事(こんなのを仕事と呼べるならばだが)を急がねばならぬ。まずはメールボックス開けて返事のいるメールがあればリターンパスで送信、何通かのメルマガに目を通し(大抵はゴミ箱行き)掲示板などへの着信通知を確める。
次いでCafeとgaiax系に作った計四つのサイトを点検、最近は「談話室」や「画像展示室」へのご来訪がかなりあるので見落とすと失礼なのだが、カメRes(歩みののろいご返事)もしばしば。

そしてこの「日乗」を書くこと。考えてみると平凡な老境をわざわざ公開して他人様に読んで戴くのも、あまり価値のあることとは思えないのだが、ほっとけばますます脳ミソが硬化しっぱなしなもんで、自らに課した強制労働なのである。昔からの癖で文章にするのに時間がかかる。

さて今日の分はこの辺で打ちきりにして(「メモ帳」使って書いている)コピー&ペーストで三ヶ所のサイトへ書きこむことにする。そしてその後はお気に入り登録しているご常連、足跡ぺーじ辿って新旧のお客様の夫々のページを訪問して回るのだが・・・

たった今、孫から電話「あと10分くらいで来るけん」。うへっ、もう余裕はない。今日はやけに早く来る。そうか、FFX‐2がやりたいから一人さきに送ってきてもらうのか。ならばPS‐2だ。とにかくPCの仕事やってしまわねば。



3.13(木) 曇後晴

2003-03-13 14:16:00 | 日記
今日はまた一転して生暖かい朝になった。ほんとにもう日替わり陽気はご勘弁願いたい。
ご老体の神経はそのめまぐるしさに対応できなくて大変なんすから。

昨日の夕刻、予約していた店から FINAL FANTASY X‐2 が入荷したとの電話がはいった。
孫が待望久しかったPS2用のRPGゲームソフトである。

かなり日脚も延びて暮れなずむ街路を自転車で行くことにした。行程約10分、自動車は既に点灯して走っているのだが、馴れない老人の目に眩しくて弱った。対向車に出会うと直前がよく見えないのだ。
元気な頃は年寄のノロノロ自転車に出くわすと「何してんだよ」なんて思ったものだが、どうもご自分がその類にはいってしまったらしい。ペダル踏む脚力は衰えるし、ハンドルさばきも危うげで、道幅の狭い道路で自動車から抜かれたり、すれ違ったりが少々怖気づくようになった。

老人がゲーム買いに来るのかと、ちょっと怪訝そうな表情の若いバイト店員に大枚7千円余りを支払ってCDパックやサービスのおまけ品を受け取り、帰路はかなり暗くなっていよいよ走りづらかったが無事ご帰還。

明日は金曜だから夕方には孫たちがきっと来る。多分アニキはこの新しいゲームに飛びつくと思うが、弟も自動車レースをやりたがるに違いない。PS2は1台しかない。ゲーマーは二人。さてどんな争いが展開するか、ジイサマとしても悩みの種がまた一つ増えそうだ。  

3.12(水) 曇

2003-03-12 19:44:00 | 日記
珍しく今朝は朝寝坊をした。昨夜は相変わらず2時半まで起きていて、6時半には目が覚めたが空気が冷たいのでぐずぐずしていると、いつのまにか眠ってしまい9時少し前にベッドを下りた。睡眠時間6時間は老生にとって御の字なのだが、頭の中はかえってすっきりしない。
寒い!! ファンヒーターのスイッチいれたらセンサーの示す室内温度が何と7℃、これじゃあまるで真冬並みじゃあないか。パジャマの上にガウンを羽織って温風の噴き出す真ん前にしゃがみこんでいた。

どうしてこんなにヘンテコリンな気候が続くのか。科学的に理屈がつくのかどうかは知らないが、とにかく人間どもの日頃の行いが良くないから、多分、神様とか悪魔とかがお灸を据えてんじやなかろうかと、年寄は震えながらぼやいているのである。
残り少ない人生だから、どうかお手柔らかに願いたいものだ。

今日は2週間に一度の診察日、待合室は小生一人だけなのに、前の患者さんが内視鏡での検査とかで、随分と待たされた。診察そのものは胸と背中に聴診器をあて、仰向けに寝て腹を押してでおしまい、その間に元同僚だった患者についての話などが出た。彼はその医院に入院してたのだが、病状が悪くなって労災病院へ移したという。僕より三つばかり年上である。

どんより曇って風が冷たい帰り道、農家の庭先の畠では菜の花の黄色が際立って見えた。


3.11(火) 晴

2003-03-11 14:52:00 | 日記
好天ポカポカ陽気が、ついに部屋ごもりのジイサマを庭へひっぱり出しました。

肥後椿が尖兵だけでなく次々に花開く様相です。この樹も二十数年の樹齢なのですが、毎年八重咲きの大輪の花を樹いっぱいに飾り立てます。先日も紹介したけれど二本が一本に見えて、真っ赤な花と斑入りの花がいりまじってなかなかに素敵な眺めなのです。

気の早いレンギヨウの細長い枝に黄色の蕾(中には咲きはじめたのも)と黄緑の葉の芽が、びっしり引っ付き合って並んでいます。一斉に開花する頃は四方に伸びた長い枝が、打ち上げ花火のしだれる光りさながらに四方に広がります。ただ難点は花が終わったあと葉をつけた枝がぐんぐんと遠慮なしに伸びてきて、ほかの庭木の邪魔をすることで、先っぽは切られる運命に。

ボケの蕾もいざ開かん哉の態勢、枝がひねくれてトゲだらけで、家内には嫌われ者なのですが、薄紅色の花は愛すべき姿、かの山下清の貼り絵にこの花の作品がありましたね。
スオウはまだ花芽だけが枝々にくっついて膨らみはじめているところです。この木も天高く伸び過ぎなので花が終わったら剪定しなければならなくなりました。

地面いっぱいに雑草がはびこっています。まあ彼等にだって生存権はあるわけで、人間様の都合だけでひっこ抜かれるのは不条理ですが、可哀想だけれど致し方ないと引導わたします。

そういえば友人の中に自分の庭は雑草園だと威張ってたのがいました。