「他人の悪いところはよく目につくが、自分の悪いところは気づかないものである。もし自分で悪いと気づくようであれば、それはよほど悪いからこそ自分でも気がついたのだと思って、心をあらためなければならない。人が注意をしてくれることに耳を傾け、素直に受け入れなければならない。自分自身の悪いところはなかなかわからないものである」と蓮如上人は仰せになりました。(本願寺出版社 蓮如上人御一代記聞書 現代語訳)
蓮如上人御一代記聞書とは、本願寺第八代宗主 蓮如上人の御一代における法語や訓戒などが収録されたものです。生活の規範や座右に置いて反省の資とすべき教えが記されています。私も、この上記の言葉には、反省させられます。ところが、反省しても、やっぱり、相手が悪いと思ってしまうものです。そして、他人から注意されると、聴いているそぶりはしますが、内心、腹が立ちます。
交通安全の最も効果的なのは、運転しないこと、出かけないことです。無病息災の最も効果的な方法は、病気をすることで、健康の有難みを知り、生きていることに感謝が出来ることです。たとえ、大切な方を亡くしても、家族が健康で一緒に笑ったり泣いたり喧嘩をしたり、そんな日常は当たり前ではなく有難いことであったと教えてくれることです。そして、阿弥陀如来に出会うことも、大切な方を亡くして、はじめて出会うことが多いと思います。もし、大切な方を亡くし、阿弥陀如来に出会うことが出来たならば、その方は、阿弥陀如来の化身(仏様が人間の姿をとり導くこと)です。また、世の中、災い転じて福となすことは、山ほどあることを教えてくれるのが仏教です。人生のピンチはチャンスでもあります。仏教は、嫌な事から逃げることを教えていません。立ち向かえ、戦えとも教えません。出来事の見方を、転じることを教えてくれるものだと私は頂いています。