浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

なかったことに出来ないのが言葉です

2023-12-12 22:33:00 | お知らせ
私は、他人に言われて、腹が立った、心が傷ついた、落ち込んだ言葉を、忘れる事が出来ません。ドラマ、半沢直樹が大ヒットしたのは、やられたらやりかえす、仕返ししてやりたいという人間の心情が私に見事にハマりました。逆に、自分が言った言葉で、相手を悲しませたり、苦しめたりしても、すぐに忘れて無かった事にしてしまうのです。でも、相手は必ず、おぼえています。そして、その行いは、いつか、自分にかえってくる。一度出た言葉は、もう、無かったことには出来ません、そんなつもりではなかったと、言い訳も通用しません。「覆水盆に返らず」です。言葉には、凄い力があります。人間を傷つける事も出来るし、救う事も出来る。阿弥陀如来は、南無阿弥陀仏の言葉の仏様となったのには、人間にとって言葉が、とても大切なものだからです。南無阿弥陀仏は、「必ず救うの阿弥陀如来の呼び声」です。私の口からは、他人の悪口が出てきます。その口から、南無阿弥陀仏も出てきます。同じ口から、相手を傷つける言葉と、人間を救う言葉が出てくる、阿弥陀如来の不思議な、はたらきの中にあるのが私たちです。出来る事なら、有り難い言葉の中で暮らしたいものですが、そうはいかないのが私の煩悩です。恐ろしい言葉は、煩悩から発せられます、よほど、気を付けていても縁にふれると、何を言い出すかわかりません。

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自分は悪くない そう思うのが人間です。

2023-12-11 20:47:49 | お知らせ

「他人の悪いところはよく目につくが、自分の悪いところは気づかないものである。もし自分で悪いと気づくようであれば、それはよほど悪いからこそ自分でも気がついたのだと思って、心をあらためなければならない。人が注意をしてくれることに耳を傾け、素直に受け入れなければならない。自分自身の悪いところはなかなかわからないものである」と蓮如上人は仰せになりました。(本願寺出版社 蓮如上人御一代記聞書 現代語訳)

蓮如上人御一代記聞書とは、本願寺第八代宗主 蓮如上人の御一代における法語や訓戒などが収録されたものです。生活の規範や座右に置いて反省の資とすべき教えが記されています。私も、この上記の言葉には、反省させられます。ところが、反省しても、やっぱり、相手が悪いと思ってしまうものです。そして、他人から注意されると、聴いているそぶりはしますが、内心、腹が立ちます。


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転じる

2023-12-10 18:22:47 | お知らせ

交通安全の最も効果的なのは、運転しないこと、出かけないことです。無病息災の最も効果的な方法は、病気をすることで、健康の有難みを知り、生きていることに感謝が出来ることです。たとえ、大切な方を亡くしても、家族が健康で一緒に笑ったり泣いたり喧嘩をしたり、そんな日常は当たり前ではなく有難いことであったと教えてくれることです。そして、阿弥陀如来に出会うことも、大切な方を亡くして、はじめて出会うことが多いと思います。もし、大切な方を亡くし、阿弥陀如来に出会うことが出来たならば、その方は、阿弥陀如来の化身(仏様が人間の姿をとり導くこと)です。また、世の中、災い転じて福となすことは、山ほどあることを教えてくれるのが仏教です。人生のピンチはチャンスでもあります。仏教は、嫌な事から逃げることを教えていません。立ち向かえ、戦えとも教えません。出来事の見方を、転じることを教えてくれるものだと私は頂いています。

親鸞聖人の名文です。



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お札問題解決

2023-12-09 21:47:00 | お知らせ
今朝、近くの神社さんの来年のお札が届きました。お札の御利益期限は一年となってます。その時、神社の世話人さんに思い切って、私の思いをお伝えしました。すると、それであれば、来年からお札を注文されなければ良いと思います。私は、今まで自分で勝手に悩んでいただけでした。世話人さんも決してお札は強制ではないし、お寺さんですから、それでよろしいんじゃないでしょうか、それで終わりでした。これで来年から1つ悩みが消えました。皆さんにとって、1番の人生の悩みはなんですか?私は死ぬことです。その死ぬことの解決が最高の御利益です。私は、無病息災、交通安全も願いません。交通安全のお守りのステッカーを貼って、凄いスピードで走る車をみかけますが、たぶん、運転に自信があるからでしょう。また、死なないようにとお願いする方は、きいたことがありません。自分は、死なないと思っているからです。死ぬ事の解決は、あまり皆さん興味はないのです。でも、それは良いことなのかもしれません。こうしてブログを読むのも自由ですし、法話を聞くのも自由、すべて自分の行いが未来を作っていくだけです。死んで、どこに行くのか、どうなるのか、不安になったら、それが本当に生きるということだと私は思います。阿弥陀如来に出会った方は、その心配は一切ありません。阿弥陀如来は、私たちに向かって、「我に任せよ、必ず救う」と南無阿弥陀のお言葉となって、私に至り届いています。それを聞かせていただくことを、信心をいただくと浄土真宗では申し上げます。信心がなければ、お浄土には、まいれません。何十年、法話を聞いたり、お寺をお参りしても、南無阿弥陀仏のいわれ聞かなければ意味はありません。しかし、臨終の時に、たった一回でも、南無阿弥陀仏の本当の意味を聞かせていただいたら、お浄土にまいれます。いつでも、阿弥陀如来の先手の救いでございます。私の1番の悩みは、死ぬことです。その死ぬことを解決することが1番のご利益でございます。

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お浄土の1日は人間の世界の400年

2023-12-08 21:10:00 | お知らせ
西本願寺の新聞である、本願寺新報に、深川和上が、時々法話を書いてくださっています。その法話が、毎回とてもありがたいものでありまして、いつも、楽しみにしています。12月1日号の本願寺 新報には、お浄土の1日は、人間の世界の400年にあたると書かれてありました。
私、前にこんな事を質問されました。早くに、死に別れたご主人に対して、私は、こんなおばあちゃんになって、私のことを主人はわかるのかしら?「あなたのような、おばあさん知りません」と言われないかしらと心配される方がいらっしゃいました。私は、ただ大丈夫ですよ、きっとわかりますよ。としか言えなかったのですが、深川和上の法話を聞いて、なるほどとわかりました。今度、質問されたらこの話をしようと思います。お浄土の時間では1日が、人間の世界の400年に当たるそうですから、お互い、別れた時と同じ姿で、出会うことができるようです。

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